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17歳からのメッセージ

高校生の今の思いをメッセージにして募集する第23回高校生フォーラム「17歳からのメッセージ」は、今年も3万1677作品の応募がありました。9月4日(月)に最終審査会が行われ、意見と感想が交わされた結果、グランプリ3作品、金賞9作品、銀賞51作品(学生審査員賞1作品含む)、奨励賞87作品のほか、学校特別賞30校が選出されました。紙上(2023年9月30日付読売新聞大阪本社版、西部本社版・朝刊)ではグランプリ作品を、WEBではグランプリ及び金賞の作品について紹介いたします。

主催/大阪経済大学 後援/読売新聞大阪本社、読売テレビ、マナビジョンブック、大阪府教育委員会

テーマ1 今までの自分、これからの自分
テーマ2 自分が思う「多様性のある暮らし」とは
テーマ3 今、これだけは言いたい!(自由課題)

グランプリ

テーマ1
「無理」という言葉
神戸市立神港橘高等学校(兵庫県)板井 京介 さん

 私には夢がありません。これは決してかなしいことでなく、自分にはこれといってやりたいことがなく、ただ流れに身を任せ、なるようになれば良い。そう思っていました。でも、そんな考えが打ちくだかれたのが、母からの一言でした。
 「あんた、無理って言葉めっちゃ使うよね。」その時、私は初めて「無理」という言葉を多く使っていることに気付きました。そして、それが自分の可能性を消しているのではないかと思いました。母は続けて言いました。
 「無理っていうのは、そのことについて頑張って頑張って努力して、それでもできなかった時に初めて使う言葉やで。」
 はっと思わされました。私が今まで無理と言ってきたのは「無理だった」ではなく、「無理だろう」だったのです。それをすることなく、勝手に決めつけ、やらない。私の無理は仮定だったということに気付きました。それと同時に、自分は無意識にやりたいことをできないと思い込み、やろうとしなかったと思いしらされました。
 私には夢がありません。ですが、したいことができました。今まで「無理」だとあきらめていたことをしたい。「無理だった」と思えるほど努力しようと思います。自分勝手な「無理」を努力して「できる」に変えるために。


テーマ2
みんなと違うものを、私は持っている。
大阪府立春日丘高等学校(大阪府)篠原 晄 さん

 「生まれつきやから。」私はよくこの言葉を使っていた。
 私の父は外国で生まれ、肌は黒く焼けている。そんな父の子として生まれてきた私も周りの友達よりも肌の色が濃い。似合う服が見つからなかったり、手のしわが目立ったりして落ち込むことが多かった。何より辛かったのが、肌の色をいじる心ない言葉をかけられたことだ。私はいつものあのセリフで聞き流そうとしていた。でもやはり心にはずっと残っていた。
 今ふり返ってみて、このコンプレックスへの気持ちが変わる転機だと思うのは、高校入学直後だ。自己紹介の場を使って、私の特徴としてあえて父の話をした。するとクラスの何人かが、その国の話がしたいと来てくれた。彼らと話すうちに私はこの生い立ちに、みんなとは違うものを持っているという誇りを感じた。今では、肌の色は変わらず目立っており、悩みを克服したわけではないが、周りの人々に支えられ気にならなくなった。
 私の思う「多様性」とは、周りとの違いを気にするのではなく、他人が持っていないものを持っていると考え、差異を愛することで、「多様性のある暮らし」は、そう考える人で溢れることで実現すると信じている。私はそんな人になりたいと思うと同時に、これを読んでいる中の同じ悩みを持つあなたにとって、私を支えてくれた仲間のような存在になりたい。


テーマ3
夢って持たなきゃダメですか?
梅花高等学校(大阪府)本多 奈恵 さん

 高校で夢を考える授業があった。
 将来はどんな仕事に就きたいの?流されていたらダメなのよ!先生は言う。そんなに“夢”を強要しなくても…。私はもう高校生だけれど、まだ高校生。社会のことはよく知らない。世の中には私が見たこともない世界があって、知らない仕事が数多あるはず。「保育士になりたい。」「先生になりたい。」「看護師になりたい。」クラスメートが次々と口にする。ほらね、高校生が思いつく職業なんて分かりやすいものばかり。今、知っている中になりたい職業はない。
 昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ。金子みすゞの詩が好きだ。世の中の本質は見えないものがほとんどだと思う。動物園の亀の甲羅はいつも綺麗、誰かが磨いているのかもしれない。明日は夏至、誰かが計算しているのだろう。砂場の砂はどこでも同じ、この砂が砂場の砂だと誰かが決めているのかもしれない。見ることはできないものの確実にそこにある何かに支えられ、私は生きている。見えないものの中に私を夢中にさせる何かがあるはず。そう思うと、胸がときめく。見えないからこそ、無限の可能性が潜んでいるかもしれない。
 私には知らない世界が沢山ある。目に見えないことにも興味を持ち探求し、少しずつ成長していく。だから、ひとつ、お願いがあります。私は、これから流れていく中で、必ずどこかに流れ着く。だから、「将来の夢」を強要しないでほしい。きっと、きっと今の私に見えていない、はるか彼方まで流れ着くから。

金賞

テーマ1
大きな窓
徳島県立城西高等学校(徳島県)寺内 佑依菜 さん

 お、飛行機雲だ。
 そう思いながら私は座ったままぼんやりと外を眺めていた。私が外を眺めているこの部屋は、今は私の一人部屋だが、元々は姉と共に勉強部屋として使っていた。その部屋はベランダと繋がっていて、満月の夜には月見をしたり、雷の鳴る日には光ってから何秒たったかを数えたりと、大きな窓の前に二人で飲み物とお菓子を持って眺めていた。
 姉が中学へと進学した時に、姉の一人部屋を作った。一人部屋ができたことにより、二人で使っていた部屋は私の一人部屋になった。それからというもの、姉は学業で忙しくなり、遊ぶことはほぼ無くなった。二人で眺めていたあの景色を今では一人で眺めている。
 それから数年後、私が中学生の頃に雷が鳴り続ける大豪雨の日があった。ビショビショになりながらも家に帰り「ただいま。」と言うが、返事が無い。先に帰っているはずの姉の姿も無く、不思議に思いながら自分の部屋に入ると、窓の前に座って外を見る姉がいた。その後、数十分間二人で昔のように外を久しぶりに眺めた。
 成長するにつれて、共に外を眺めることも、共にいることもより少なくなった。来年には私も社会人だ。ますます共にいることが少なくなるだろうから、一日一日を大切にしていこうと、大きな窓から見える晴れ渡る空と段々と伸びていく飛行機雲を見ながら思った。


テーマ1
ありがとうは素敵な言葉
つくば開成福岡高等学校(福岡県)加藤 舞 さん

 「ありがとう。」と言った私に祖母は愛らしい笑顔を見せてくれた。
 祖母は認知症だ。一緒に住み始めてから、イライラする出来事が増えた。どうして嫌な思いをしないといけないのだろうと思っていた。
 「それ私のプリントやけん、触らないで。」「いや、これは私のたい。」いつものやり取りだ。取り返そうとすると、ビリビリッ。案の定、破ってしまった。最悪。私は怒りを抑えられずひどい言葉を言い放った。祖母は悲しい顔をしていた。それからしばらくして、友達とありがとうと言い合い、照れたら負けという遊びをすることになった。恥ずかしかったが、気持ちが晴れて嬉しかった。そしていつもの日常が始まった。祖母は、母の眼鏡を握っている。返してもらうために、いつもと違う伝え方をしてみようと思った。
 「とってくれたの? ありがとう。」すると、「はい、どうぞ。」と祖母はかわいい笑顔で渡してくれた。何気ないやり取りだったが、温かく感じた。素敵な言葉だと思った。
 ありがとうを見つけて伝えてみる。そうすると、不思議とうまくいくこともある。今では祖母と笑顔で接することが増えた。これからは、ありがとうを伝えることを意識する。そして、相手が伝えてくれるありがとうの言葉を大切にしていきたいと思う。


テーマ2
自分らしい色で
大阪府立布施高等学校(大阪府)堀内 美来 さん

 赤色、黒色、青色、水色…
 十一年前の春、私は重大な決断を迫られていた。
 目の前にたくさんのランドセルが魅力的に並んでいる。六歳の私の心を鷲掴みにしたのは水色のランドセルだった。笑顔でそれを指差す私に母は一言、「女の子なんだから赤色じゃないと後悔するよ。」その言葉を鵜呑みにした私は赤色のランドセルを選んだ。六年間とても大切に使っていた。
 十七歳になった今、猛烈に後悔していることがある。水色のランドセルを選ばなかったことだ。何年経っても私の目に輝いて映るのは水色のランドセルなのだ。
 近年、性の多様性やLGBTQ、ジェンダーレスという言葉をよく耳にする。人を性別で判断せず、個人として見るという考えはとても素晴らしいと思う。しかし、むしろそれこそが差別なのではないだろうか。自分らしく生きたいだけなのに、どうしてジャンル分けされて特別な目で見られなければならないのか。本当の多様性とは、そういった考え方を広めなくても個人を個人として見ることができることだと私は考える。
 誰もが誰かに否定されることなく、何かにジャンル分けされることもなく、自分らしく生きられる社会を心待ちにしている。もし私に子供ができたら、性別など関係なく自分らしい色のランドセルを背負ってもらいたい。


テーマ3
女性は敵に回すな!
東京都立武蔵村山高等学校(東京都)橋口 空翔 さん

 僕は小学3年生の頃、オスの「セバスチャン」というザリガニを飼っていた。川でするめいかをつるして取ったどこにでもいるザリガニだった。でも僕にとっては、大きいはさみの手で赤く輝く体をしていてカッコ良かった。毎日「何のエサをあげようかな~」と学校帰りウキウキしていた。そんな時、セバスチャンの子どもが欲しいと思った僕は川にメスを捕まえに行った。そして知識ゼロで幼稚だった僕は、オスとメスを同じケースに入れて「仲良くなれ~。」と言った後、焼肉を食べに行った。帰って来て部屋の明かりをつけた、するとオスの赤く輝く大きなはさみがポカンと浮かび体は跡形もなくなっていた、その後からメスが怖くなり元の川に逃がしに行った。
 カブトムシでも同じ事をした。海外に旅行に行っていた、いとこからあのヘラクレスオオカブトをもらった、オスメスどちらもだ。またまた同じケースに入れた、大きくてカッコイイ一番強くて有名なカブトムシは、あっけなくメスに食べられていた。見掛け倒しだ。また泣いた。
 人間の世界でも一緒だ、僕の家でも同じ光景をよく見る。母に怒られる父の姿、母と姉に怒られる兄と僕、今思えば僕は小さい頃から女性の方が強いという事を知る事ができた、セバスチャンとヘラクレスのおかげです、なのでこれから僕は極力女性を敵に回さず、将来お嫁さんができたら大切にしていこうと思います。


テーマ3
「また明日」
新潟県立長岡商業高等学校(新潟県) 八木 愛世 さん

 「また明日ね!」と私の親友はいつも言う。私はその言葉が好きだ。
 「また明日」は子どもの頃は当たり前だ。だが大人になると言う機会が減る。「また明日。」ではなく「お疲れ様でした。」などに変わっていく。「また明日。」と言ったとしても「また明日も仕事よろしく」という意味合いになってしまう。
 子どもの「また明日」は前向きで温かい。親友といることが楽しいから、また明日も会いたい。明日のことなんて誰にも分からないし、「また明日」も本当に会えるという保証もない。だが明日があると信じて当たり前に「また明日。」と言って、次の日もその次の日も顔を合わせる。その当たり前が大切だ。「また明日。」と言い合える親友がそばにいてくれることが幸せだ。
 私も親友ももう高校三年生。お互い進学先も進む方向も違う。「また明日。」と直接言い合うことはきっと少なくなる。当たり前だったことが当たり前でなくなってしまうことはとても悲しい。それでも、それぞれの目標に向かって夢を叶えて、「また明日。」と言える日が来たら、今度は私から「また明日。」と言いたい。


テーマ3
仕事上等!!
聖マリア女学院高等学校(岐阜県)川島 彩礼 さん

 私は現在、この学校の生徒会長を務めている。「どうも、生徒会長です。」―あぁ! なんていい響きなんだろう! ―それが会長就任式で思った感想だった。可憐で秀才で全校の憧れ。髪を靡(なび)かせ廊下を歩く時、きっと皆が私に注目するのだ。中学の頃から憧れたトップに座ることができた私の心に溢れる、まさに空も飛べるような幸福感。これからの生活に少し期待するのも必然だった。が、しかしなんだ。蓋を開けてみれば、漫画やドラマのような花が舞う毎日は、現実には少しもなかった。日々重なる仕事に確認を取りに走る毎日。常に上と下との主張の架け橋役。皆がパンとお弁当を片手に楽しくおしゃべりしている時、私はペンとノートを持って廊下を走る。いや、こんなの聞いてない。私だってあそこに混ざりたい。私はまだ十七歳で、高校生で。昼休みにやることは走り回ることではなくて、皆と喋ることのはずじゃないか。
 しかしいくらそう思えど、仕事は待ってくれないのだ。辞めたい気持ちがないといえば嘘になる。が、今日もまた私は廊下を走っている。辞められないから仕方なく? いや、違う。自分が思い描いた世界と違うのならば、今から塗り替えていけばいいじゃないかと気づいたからだ。今日も私は燃えている。廊下を走り、実績を積み上げ、なりたい生徒会長になるために。目指す未来を作るために。私は退任式まで決して折れない。ほら、もうすぐそこに、皆の憧れの目が待っている。


テーマ3
今年で36歳になる母さんへ
岡山県立岡山東商業高等学校(岡山県) 茶山 柚香 さん

 まず、大変だったと思う。小学3年の頃、急に剣道したいって言い始めた時から今までずっと。腰の骨2回折ったし。ほんまごめん。私も焦ったけどそれ以上の心配を母さんにかけた。でも母さんがずっと支えてくれたおかげで今の私がおるからほんまに感謝しとる。ありがとう。約2週間後の県総体。母さんは待ち遠しく思ってくれてるよね。今回も任せてもらえた大将を母さんの為にも最後までやり遂げるよ。今、私が東商に通えとるのも母さんのおかげだと思ってる。母さん手作りの毎日受験くじ、大吉しかなかったけど1枚1枚に書いてある母さんからのメッセージのおかげで「まだ出来る。もっとやろう。」って前向きに受験勉強が出来た。合格通知が来た時は涙が溢れた。あれが3年前って思うと時間が経つのは本当に早いね。私が中学3年生だった頃かな、母さんが私に父さんがいない理由とか母さんが高校生の頃に私が産まれた理由を詳しく説明してくれたの。小学生の頃、「お父さんに会いたい?」って聞かれた事何回もあったけど、私、母さんがいてくれるだけで本当に幸せよ。母さんを傷つける父さんなんか会いたくない。母さんが「ゆずだけいれば良い。」って言うのと同じで、私も母さんさえいてくれれば幸せなんだよ。当時高校生でシングルマザーって想像つかない程大変だったと思う。でも、私に会えるのを心待ちにして、私を捨てないでくれた母さんへ。今は、この気持ちを、どう伝えるか考えようかな。


テーマ3
がんばり
福岡県立八女工業高等学校(福岡県)松尾 奏吾 さん

 今、ぼくは、がんばっていると思う。いやがんばっている。毎日5時40分に起き、7時間授業を耐え抜き、その後は、部活だ。そしてへとへとになって家に帰り、そこからまた宿題やレポートなどに追われるのだ。やっぱりぼくは、がんばっている。そして今、ぼくはあるものと戦っている。そいつは、とても強力でおそろしいのだ。時刻は1時すぎ、そいつは、不意にやってくる。まるで鬼のようにやってくる。そしてぼくをおそう。必死に抵抗をするが、ぼくには毎回どうすることもできない。そう、その鬼、睡魔がぼくをおそうのだ。5時間目、ぼくは、かなうはずもなく寝入ってしまうのだ。その上5時間目が社会や数学といった時には、いつもの数倍いや数十倍力を増す。そう、さっき睡魔を鬼と言ったが、まさしく鬼に金棒だ。とてもかなうはずがないのだ。でも、それは悪いことではない。だってしょうがないのだ。昼ごはんを食べ、絶妙に血糖値が上がってからの授業なんて寝て当然だ。いや、もしかしたら、寝なければならないのかもしれない。そう、どんな高級布団より寝やすい環境が整っている5時間目、ぼくは、がんばって寝ない努力をしているんだ。そう、今、ぼくは、がんばっていると思う。いや、がんばっている。


テーマ3
SNSの思わぬ影響
沖縄県立浦添工業高等学校(沖縄県) 呉屋 美旺 さん

 「自由に作文を書いて良い。」そう言われた時、私はなかなか書き始める事ができなかった。これがもし「自由に書ける作文」ではなくもう少し真面目な「意見文」なら大して興味のない「地球温暖化」や「ゴミのポイ捨てについて」みたいな事を適当に調べて終わるのだが、「自由な作文」というとそういうわけにはいかなかった。
 私が頭を悩ませていると、先生が「自分の経験とかを書いても良いよ。」と言った。しかし私は、それを聞いてさらに困ってしまった。なぜなら、私は作文用紙を一枚書ききるほど心に残っているような経験がないのだ。だからといって、作文用紙を一枚書ききれるほど興味を持っているものもない。私は結局ふりだしに戻ってしまった。
 しかし、これはもしかすると「あるある」なのかもしれないと思った。毎日SNSを見るようになって世界中の人々の面白い話やすごい経験に慣れてしまったせいで、自分が経験した事は心に残らずそういった刺激の強い話にかき消されていっているのではないかと考えたのだ。実際、スマホを持っていなかった小学生の時はお題が「自由」の日記でもスラスラ書けていたように思える。
 SNSのおかげで毎日が刺激的になったように感じていたが、実はその逆で私達は今、SNS無しでは作文一枚すら自分の事だけで埋めるのは難しいのかもしれない。

銀賞

テーマ1
▽常総学院高等学校・上坂 立帆▽桐朋女子高等学校・中野 奈津▽立教池袋高等学校・西本 大晟▽北陸学院高等学校・土定 夕純▽北杜市立甲陵高等学校・吉村 和夏▽金城学院高等学校・柴 琴実▽京都府立東稜高等学校・上田 遥▽同志社女子高等学校・畑野 伊世莉▽大阪府立信太高等学校・勝沼 海優▽愛媛県立川之江高等学校・山岡 龍玖▽大分県立盲学校・岡田 陽南▽鹿児島県立喜界高等学校・喜禎 あさひ

テーマ2
▽本庄東高等学校・髙田 百花▽早稲田大学本庄高等学院・八巻 こころ▽横浜市立みなと総合高等学校・圷 沙那美▽森村学園高等部・小林 莉々子▽金城学院高等学校・前川 智子▽岡山県立西大寺高等学校・山田 紗和▽沖縄県立那覇商業高等学校・大城 柚乃

テーマ3
▽函館白百合学園高等学校・布川 結衣▽水戸葵陵高等学校・王 欣曄▽東京都立武蔵村山高等学校・築地 結衣▽東京女学館高等学校・岡﨑 葵衣▽新潟県立上越総合技術高等学校・二ノ倉 唯生▽富山国際大学付属高等学校・城岡 奈津海▽長野県大町岳陽高等学校・紺野 菜々美▽多治見西高等学校・石原 和果▽大阪府立茨木西高等学校・中西 陽愛▽大阪府立信太高等学校・河合 桃愛▽大阪府立布施高等学校・岡本 逢里▽大阪学院大学高等学校・木谷 音々▽関西大学第一高等学校・土佐 胡陽▽兵庫県立伊丹北高等学校・高島 唯▽須磨学園高等学校・伊藤 紗奈・井本 菜月▽滝川高等学校・岡田 寛人▽天理高等学校・鈴木 実▽奈良女子高等学校・禰冝田 恭江▽鳥取県立鳥取商業高等学校・倉見 勇人▽山口県立大津緑洋高等学校大津キャンパス・竹井 紗稀▽山口県立熊毛南高等学校・山本 愛理▽愛媛県立東温高等学校・毛利 未來▽済美高等学校・高岡 瑞季▽高知県立高知東高等学校・都築 悠雅▽福岡県立香椎工業高等学校・本村 煌吏▽福岡県立八女工業高等学校・大久保 澪莉▽長崎県立長崎明誠高等学校・川口 麗▽鹿児島県立大島高等学校・数原 悠▽沖縄県立首里高等学校・泉水 ほのか 他2名

(敬称略)

奨励賞

テーマ1
▽本庄東高等学校・齋藤 一華▽東京都立片倉高等学校・山口 純花▽横浜市立みなと総合高等学校・村上 蘭▽山梨県立笛吹高等学校・石井 美咲▽長野県丸子修学館高等学校・中澤 明日香▽金城学院高等学校・丹羽 結那▽皇學館高等学校・向井 音々▽セントヨゼフ女子学園高等学校・植田 羚愛▽幸福の科学学園関西高等学校・大石 莉子・橋本 紗季▽京都府立綾部高等学校東分校・細見 星那▽京都府立鳥羽高等学校・加藤 甲大▽京都市立塔南高等学校・浅地 育穂▽大阪府立鶴見商業高等学校・岡本 亜也▽兵庫県立伊丹北高等学校・二瓶 凌真▽兵庫県立武庫荘総合高等学校・桐谷 結沙▽須磨学園高等学校・河本 杏樹・戸石 愛子▽和歌山信愛高等学校・松島 絵里香▽明誠学院高等学校・嶽﨑 亮▽高知市立高知商業高等学校・髙石 琴▽長崎県立上五島高等学校・栄 小桜▽岩田高等学校・佐藤 未乙▽別府溝部学園高等学校・古道 もも香▽宮崎県立飯野高等学校・黒木 里海 他2名


テーマ2
▽立命館慶祥高等学校・成澤 みなみ・橋本 富士子▽日本航空高等学校石川・吉川 咲希▽山梨県立上野原高等学校・落合 陽平▽愛知県立名古屋聾学校・大石 未羽▽桜花学園高等学校・片桐 舞紀▽セントヨゼフ女子学園高等学校・平安 唯莉▽滝川高等学校・上月 備▽鳥取県立鳥取商業高等学校・畑岡 珠莉 他1名

テーマ3
▽市立札幌平岸高等学校・山本 美咲▽本庄東高等学校・大井 綾乃・大下 楓乃音・奥野 ひと葉▽東京都立大田桜台高等学校・菊池 苺椛▽富山国際大学付属高等学校・魚岸 寿希▽金沢高等学校・石田 はるな▽北陸学院高等学校・松浦 心音▽長野県飯山高等学校・山岸 洸斗▽多治見西高等学校・伊佐次 桃香▽静岡県立静岡農業高等学校・南條 希生斗▽愛知県立古知野高等学校・日置 里歩▽愛知県立豊田東高等学校・飯田 芽愛▽桜花学園高等学校・齊藤 夢奈・西浦 鈴▽金城学院高等学校・山本 悠華▽セントヨゼフ女子学園高等学校・田中 照志奈▽京都市立紫野高等学校・片桐 たまき・山村 遼哉▽大阪府立西高等学校・遅越 楓花▽大阪商業大学高等学校・松田 陽仁▽履正社高等学校・萱原 文▽兵庫県立伊丹西高等学校・岡田 美久・宮北 雪杜▽兵庫県立農業高等学校・増田 温子▽天理高等学校・本田 ゆきの▽和歌山県立那賀高等学校・永家 伶▽岡山県立岡山南高等学校・川田 瑞己▽岡山県立西大寺高等学校・井田 朋花▽岡山県立和気閑谷高等学校・青江 和瑚▽徳島県立城西高等学校・德元 悠惺▽済美高等学校・山本 千夏▽高知県立安芸高等学校・中平 花穂▽福岡県立明善高等学校・辻 珠稀▽長崎県立上五島高等学校・濱田 美葉▽長崎県立長崎明誠高等学校・池田 祐成・前川 聖良▽岩田高等学校・戸髙 ハンナ・𠩤 慶子▽宮崎県立小林高等学校・小𠩤 碧斗・水元 桜▽宮崎県立延岡商業高等学校・甲斐 亜緒里▽都城東高等学校・内倉 瑠華▽鹿児島県立大島高等学校・西村 優亜▽鹿児島県立武岡台高等学校・松山 阜樹▽鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校・髙木 詩乃▽沖縄県立那覇西高等学校・桃原 莉々香・永山 美咲 他2名

(敬称略)

学生審査員賞

テーマ3
洗車だって手伝ってやる
山口県立大津緑洋高等学校 大津キャンパス 竹井 紗稀 さん

学校特別賞

 大賞 
神戸市立神港橘高等学校(兵庫県)

 特別賞 
▽宮城県名取高等学校(宮城県)▽本庄東高等学校(埼玉県)▽昭和学院高等学校(千葉県)▽武蔵野大学高等学校(東京都)▽高岡第一高等学校(富山県)▽北陸学院高等学校(石川県)▽静岡県立掛川東高等学校(静岡県)▽愛知県立古知野高等学校(愛知県)▽桜花学園高等学校(愛知県)▽金城学院高等学校(愛知県)▽立命館守山高等学校(滋賀県)▽大阪府立桜和高等学校(大阪府)▽大阪商業大学高等学校(大阪府)▽大阪電気通信大学高等学校(大阪府)▽履正社高等学校(大阪府)▽大阪スクールオブミュージック高等専修学校(大阪府)▽兵庫県立伊丹西高等学校(兵庫県)▽和歌山県立那賀高等学校(和歌山県)▽鳥取城北高等学校(鳥取県)▽岡山県立岡山南高等学校(岡山県)▽済美高等学校(愛媛県)▽福岡県立香椎工業高等学校(福岡県)▽福岡県立小倉東高等学校(福岡県)▽福岡県立八女工業高等学校(福岡県)▽長崎県立長崎明誠高等学校(長崎県)▽宮崎県立宮崎大宮高等学校(宮崎県)▽聖心ウルスラ学園高等学校(宮崎県)▽都城東高等学校(宮崎県)▽鹿児島情報高等学校(鹿児島県)

講評

大阪経済大学 学長 山本 俊一郎
時代を超える共感
 時代を区分したり、特徴や性質を分類したり、物事を枠にはめたがるのは研究者の性だろうか。斯くいう私も作品を審査するにあたって、コロナ禍前後で高校生の思考にどのような変化がみられるのだろうかなどと考えていた。読み進めるうちに、それが浅はかな思い込みだと気づかされる。
 コロナ禍の前後で考え方が変化するほど、高校生の心情はヤワではない。考えてみれば、災害、事故、差別、暴力など、いつの時代にも日々の生活を脅かす出来事は身の回りに溢れている。そんな不安のなかで、高校生は少し先の未来に希望を抱きながら、今の自分を乗り越えようと懸命に生きている。マスク自粛生活は大変ではあったけど、学校や進路、家族や友人関係に悩み、感情の波に揺られながら、自分を必死で探している高校生にとって、コロナ禍でも、アフターコロナでも、ニューノーマルでも、過ごす世界はそれほど変わらない。戦争やパンデミックなど、時代を揺るがす大きな出来事が起きたとしても、変わらない日常もあるんだよと、高校生が教えてくれた気がした。
 文学や音楽が愛され続けるように、日常の心の機微を綴った想いは時代を超えて人々の共感を呼ぶ。
 
 そんな素晴らしい作品を送ってくれた高校生の皆様に心から感謝申し上げます。


17歳からのメッセージ審査員長 辻 晶子
「ことば」は生きていくこと
 「17歳からの」瑞々しいメッセージを、ひとつひとつ噛みしめるように読みました。
 私たちの住む世界には、目に見えない、触ることもできない「ことば」が、溢れるほどに存在しています。そのような不確かな存在である「ことば」を、どれだけ確かなものとして実感することができるか。私はそれが、自分を手に入れること、つまりは生きていくことなのだと感じています。
 原稿用紙に書かれた600文字からは、皆さんが、もがきながら、何かを掴もうと必死に生きている息づかいを感じとりました。「大人」になっていくことへの焦り、理不尽な社会に対する憤り、失ったものへの追慕などによって紡がれた「ことば」の数々は、読む者すべてに、「私は今ここに生きているのだ」と懸命に訴えかけるようでした。
 「ことば」は「言の葉」と書きます。「ことば」の葉を広げ、どっしりとした幹を育てていけば、どんな嵐が来たとしても決して折れることのない、しなやかな木となります。その木は、あなたの人格、あなたが生きてきた軌跡そのものです。そして、その木が作る木陰は、疲れた旅人を眠らせることでしょう。実った果実は、誰かの飢えや渇きを癒やすことでしょう。「ことば」というのは、自分を手に入れ、そして誰かを支えていくものなのです。そのことを、17歳からのメッセージは、改めて私に教えてくれました。
 皆さんが、素敵な18歳を迎えられますように。心から祈っています。


読売新聞大阪本社 生活教育部長 中舘 聡子
術中にはまった
 「17歳からのメッセージ」の審査の醍醐味は、高校生が見ている景色を疑似体験できることです。家族と屈託のないやり取りをしたり、公私の課題に真剣に向き合ったり――。そうした体験から紡ぎ出される意見には共感するものも数多く、「この勢いのある文章は教室で一気に書き上げたのだろうか」などと推理しながら、楽しませていただきました。
 今年のグランプリ3作品のうち、「夢って持たなきゃダメですか?」と「『無理』という言葉」の2作品がいずれも「夢を持たない自分」をテーマにしていたのも印象的でした。ある民間団体が昨年、国内外6か国の17~19歳の男女を対象に行った調査では、「将来の夢を持っている」と答えた割合は日本が最低だったそうです。両作品も、未来に希望を持ちにくい時代の表れかと思いましたが、読み進めていくと、筆者が伝えたかったメッセージは実に前向きなものでした。タイトルや1文目で読む人を引きつけるという術中にまんまとはまってしまったと、表現レベルの高さに感心することしきりでした。
 この作品集が幅広い世代の方に手にとっていただけることを願っています。高校生の感受性の豊かさに触発されて、「成長できるってすばらしい。いくつになってもあきらめないで頑張ろう」と奮起するきっかけとなりそうです。