早稲田評論
▼音楽評
菅野 由弘(かんの・よしひろ)/早稲田大学理工学術院・表現工学科教授・作曲家 略歴はこちらから
国立劇場開場45周年特別企画公演「新たなる伝統の創造」声明「十牛図」と雅楽「秋庭歌」
菅野 由弘(かんの・よしひろ)/早稲田大学理工学術院・表現工学科教授・作曲家
2011.11.25
去る9月10日、国立劇場大劇場において、開場45周年特別企画公演「新たなる伝統の創造」と題する公演が開かれ、劇場としては14年ぶりの新作となる声明「十牛図」と、雅楽の名曲「秋庭歌」が演奏された。声明「十牛図」は、国立劇場委嘱作品として、私、菅野由弘が作曲と音楽監督を務めた。一方の雅楽「秋庭歌」は、1978年に作曲された、故武満徹氏の名作である。国立劇場は、その使命として「伝統の保存と伝承」と「新しい伝統の創造」つまり新作の創造を、車の両輪として活動してきた。それが、14年間新作を生まない空白期間を経て、今年復活した貴重な公演でもあった。声明(しょうみょう)とは、仏教の典礼音楽で、いわゆる「読経」のタイプと「唄う」タイプがあるが、これらはグレゴリオ聖歌にも匹敵する、日本の伝統的な声の芸術である。
秋庭歌
45年前の国立劇場開場記念公演として「聲明公演」が行われ、初めてコンサートとして、音楽としての声明を取り上げ、広く紹介したのが、日本に於ける聲明=声明=音楽の発祥である。それまでは、聲明という言葉でこの仏教の典礼音楽を総称する習慣は無かったし、何よりも、これを音楽として舞台で上演することはまず無かった。グレゴリオ聖歌に比肩できる素晴らしい音楽だとは、ごくごく一部の人を除いて、誰も気づいていなかった。仏教伝来以来1500年近い歴史の中で、と考えると、僅か45年であるが、20世紀にこの音楽的価値に火を灯した国立劇場の功績は大きい。その間に「聲明」は「声明」という常用漢字表記にしても「せいめい」ではなく「しょうみょう」と読んで頂けるように、少しずつではあるが定着してきている。
その45年目の記念作品の依頼を受けたことは望外の喜びであった。グレゴリオ聖歌が、西洋の声楽の礎となり、後に宗教を離れたように、純粋に日本の伝統的な音楽表現としての声明作品を考え、素晴らしい「声」の世界に取り組んでいた。そして、禅宗のテキストである「十牛図(じゅうぎゅうず)」を、こちらも、仏教や禅という範疇を超えた普遍的な自己探査のテキストとして読み直していた。その矢先、3月11日の東日本大震災が起こった。それによって、改めて人間の生き方、いやでもそこで終わらざるを得なかった人々への思いなどを、真剣に考えざるを得なかった。そして生まれたのが「鎮魂と再生への祈り -心の四十五声- 十牛図」である。初演当日は、浄土宗、真言宗、日蓮宗の三宗派、45名の僧侶により、国立劇場の会場いっぱいに、祈りの空間を拡げる事が出来たと信じている。未曾有の出来事に対して、音楽はほとんど何の役にも立たない、と痛感している。しかし、その中でも、ささやかな鎮魂と再生への祈りをお客様と共有することで、小さな一歩と出来たのではないかと思う。
十牛図
十牛図
十牛図
写真提供:国立劇場
菅野 由弘(かんの・よしひろ)/早稲田大学理工学術院・表現工学科教授・作曲家
東京芸術大学大学院作曲専攻修了。79年「弦楽四重奏曲」がモナコ・プランス・ピエール作曲賞。94年、電子音楽「時の鏡Ⅰ ―風の地平」がユネスコ主催IMC推薦作品、02年「アウラ」でイタリア放送協会賞受賞。作品は、国立劇場委嘱の雅楽、聲明、古代楽器のための「西行―光の道」(春秋社刊)、NHK交響楽団委嘱のオーケストラ「崩壊の神話」、NHK大河ドラマ「炎立つ」、NHK「フィレンツェ・ルネサンス」など。