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石井 昌幸/早稲田大学スポーツ科学学術院准教授  略歴はこちらから

記憶の場としてのスタジアム

石井 昌幸/早稲田大学スポーツ科学学術院准教授

 欧州や南米の有名サッカー・クラブには、スタジアムにミュージアムを設置しているところが少なくない。日本のスタジアムではほとんど見かけないのだが、なぜだろうか。

 ミュージアムに展示されているのは、まずはトロフィーやカップなどである。クラブが獲得した栄光の品々が、ショーウィンドーのなかできらきらと輝いている。しかし、それだけならミュージアムではなくて、ただのトロフィーの展示室だ。ミュージアムのミュージアムたるゆえんは、クラブの歩んださまざまな「歴史」が展示されている点にある。と言っても、チームの戦績が、ただ年表的に並べられているだけではない。創設からこんにちまでのクラブをめぐるさまざまな物語が、過去に在籍した選手たちの顔、サポーターたちの姿などとともに、まるで一遍の叙事詩のように展示されているのである。

トルコ、フェネルバフチェ(イスタンブール)のミュージアム

 日本のサッカー・スタジアムには、このような設備がほとんどない。ひとつの理由は、大部分のスタジアムが、国や自治体の所有であるためだろう。ホーム・スタジアムといっても公共施設だから、クラブが自由に手を加えることは難しい。外壁をチームカラーに塗ったり、正面玄関にクラブの功労者の銅像を建てたり、過去に在籍した選手の名前を刻んだプレートで壁を埋めたりすることはできないのである。ましてや、特定のクラブのミュージアムを常設することなど、認められないだろう。

 スタジアムにミュージアムが作れない理由は、気候風土にもあるらしい。海外ではクラブ関連施設が、観客席の下にできた空間に作られていることが多い。客席は階段状に斜めになっているから、その下(裏側)に直角三角形の空洞ができる。日本のスタジアムでは、通常この部分は吹き抜けになっていて、階段や通路がある程度である。これに対して世界の多くのスタジアムでは、建物の外周がぐるりと壁で密閉され、内側の空間がさまざまな用途に用いられている。三角形の空洞は、3階建てや4階建てに仕切られているのだが、上に行くほどスペースは狭くなるから、その部分はオフィスや会議室に使用されている。逆に、1階部分はかなり広いので、そうしたスペースにミュージアムが置かれているのである。

 スタジアム建築にたずさわったことのある知人の建築士に聞いたところ、日本では湿度の関係で、このような密閉型スタジアムを作るのが難しいのだそうだ。周囲を外壁で覆ってしまうと、通気性が極端に悪くなる。日本ではスタジアムの外側から内側に風が吹き抜けるような作りにしておかないと、芝生が傷んでしまうというのである。

 だが、日本のスタジアムにクラブのミュージアムがないのには、じつはもっと根本的な理由があるのではないだろうか。それはサッカー(あるいはスポーツ)というものをめぐる、大げさに言えば「思想」の違いである。その違いは、たとえばクラブのホームページにもあらわれている。

 プレミア・リーグ(イングランド)各クラブのオフィシャル・ウェブサイトを見てみよう。そこには、ほとんどのクラブに“history”のページがある。ミュージアムの展示と同じように、過去にクラブが経験したさまざまな出来事が、ピッチの内外を問わず綴られている。これに対して、Jリーグ各クラブのホームページには、そのような部分が皆無に近い。かりにあったとしても、そこでの歴史とは、「戦績」と同義である。Jリーグ○位とか、××カップ優勝とか、自軍の選手が得点王になったといったことの年表がある程度なのである[これは、卒論で日英のスタジアムを比較研究したゼミ生に教えてもらったことだ]。ホームページにはミュージアムと比べればお金もかからなければ、所有権も気候も関係ないのだから、ここにはやはり、なんらかの価値観の違いがあるのだ。

 スタジアムに話を戻そう。欧州や南米のスタジアムを訪れると、そこには何か、日本のそれとは異なった「オーラ」のようなものを感じることがある。それは、ミュージアムに端的に表れているように、スタジアムというものが、クラブとサポーターのための「記憶の場」としてそこにあるからではないだろうか。

元浦和レッズの阿部勇樹選手が在籍するレスター•シティのスタジアム内にあるサポーター用カフェの壁。ここにも、たくさんの「記憶」が刻まれている。

 そして、時としてそれは、クラブが手にした栄光よりも、むしろ味わった痛みのほうに、より良く体現されている。たとえば、マンチェスター・ユナイティッドのオールド・トラフォード・スタジアム。そのミュージアムに行くと、1958年にクラブが主力選手・関係者を大量に失った飛行機事故の悲劇と、そこからの奇跡の再建の物語を知ることができる。客席の最も良いブロックには、クラブを支えた過去の英雄たちの名前が、椅子の背もたれに、一つずつプレートで取り付けられている。リヴァプールの本拠地アンフィールドの一角には、1989年のスタジアム事故で亡くなったサポーターの慰霊碑に、いまでも毎日、花がたむけられ、ロウソクの火が灯っている。ここでもミュージアムは、事故の顛末について詳しく教えてくれる。試合前にサポーターが合唱する“You will never walk alone”の歌声は、そうした記憶の堆積のうえに響いている。巨大なコンクリートのかたまりが、血の通った生き物のような空気を持っているのは、おそらくそのためだ。欧州や南米において、スタジアムは試合を観るためだけの場所ではない。喜びも悲しみも含めて、そこに集まる人びとの記憶が静かに沈殿し、熟成し、発酵する場なのである。

 日本のスタジアムの大部分に、どこかよそよそしい、無機質な空気が漂っている気がするのは、そのようなスタジアムをめぐる「場の思想」が欠けているからではないだろうか。ミュージアムの不在は、そのひとつのあらわれであると言ったら、うがちすぎだろうか。こんにち、スポーツを語る言葉は、ますます科学やビジネスの語彙であふれるようになってきた。たしかに、それは世界的な潮流でもある。しかし、今なお世界のスタジアムは、もっと詩的な空間であるように思えるのである。

 日本でも、ピッチの内外でさまざまな出来事が矢継ぎ早に起こっている。勝利も敗北も含めて、喜びも悲しみも含めて、スタジアムに、そうした記憶を刻み込んでみてはどうだろうか。

石井 昌幸(いしい・まさゆき)/早稲田大学スポーツ科学学術院准教授

早稲田大学教育学部体育学専修卒業、京都大学人間・環境学研究科ヨーロッパ文化地域環境論専攻修了。広島県立大学専任講師を経て現職。専門はスポーツ史。主な論文に「ラグビーでみるイギリス社会史」、『季刊民族学』(国立民族学博物館編)所収、「フィールドのオリエンタリズム」、『スポーツ』(ミネルヴァ書房)所収など。