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研究力

▼知の共創-研究者プロファイル-

秋本 崇之/早稲田大学スポーツ科学学術院 教授 略歴はこちらから

分子細胞生物学の方法論で
スポーツ科学の先端領域を切り開く

秋本 崇之/早稲田大学スポーツ科学学術院 教授

運動の健康に対する効用への興味

 超高齢社会に突入して、「いかに健康で長生きするか」が社会的なテーマになっています。しかし、病気を治すための研究に対して、健康に生きるための研究はそう進んでいるとはいえません。「運動すると健康に良い」ことは当たり前と思われていますが、その科学的なメカニズムはまだほとんど理解されていないのが現状です。運動によって身体には様々なことが起こります。体温や心拍数が上がり、呼吸も亢進します。筋肉には力学的な刺激が入力されます。私はこの力学的刺激=メカニカルストレスに注目し、運動に対する筋肉の適応現象を、細胞や遺伝子のレベルで研究しています。

 高校、大学、大学院とラグビーをやっていたこともあり、運動や健康に関連する研究にはもともと興味がありました。どうしたら健康に生きられるかのヒントは、もっぱら疫学研究といわれる方法によって得られてきました。これは大規模な不特定多数の人から生活習慣、運動経験、健康状態などのデータを継続的に収集し、統計的な分析によって「運動は健康に良いらしい」「食事習慣と健康は関係がある」といった相関関係を得るものです。1940年代にアメリカでスタートしたフラミンガムスタディという有名な研究に始まり、体系的な調査が様々に行われてきています。早稲田大学でも、卒業生を対象にした「WASEDA’s Health Study」という疫学研究プロジェクトが始まっています。

 疫学研究は、健康の研究において多くのヒントを与えてくれるものですが、健康を科学的に理解するためには、実際に私たちの身体の中で何が起きているのか、例えば、どのように運動が身体に作用し、健康という状態をもたらすのかというメカニズムを科学的に解明する必要があります。私の関心はもっぱらそこにあります。生化学や分子生物学の方法論に基づいて、分子や細胞のレベルで筋肉の働きを探究し、運動と健康の関係を明らかにすることを目指しています。

 大学院博士課程までは自己免疫の研究をしていたのですが、その後東京大学に助手として職を得てから現在のテーマに方向転換しました。細胞レベルの実験に着手し、さて細胞を相手にメカニカルストレスをどうかけるか。世界的にもそんなことやっている研究者はほとんどいなくて(笑)――通常、細胞の培養実験はプラスチックのシャーレに貼付けて行いますが、試行錯誤の末、シリコンの上に筋肉のもとになる細胞を貼付け、土台のシリコンを引っ張ることで細胞にメカニカルストレスをかける方法を採用しました。実験の仮説として、運動刺激を与えることで筋肉モリモリになるような細胞の発達分化が見られるかと思いきや、結果は逆で、分化が抑制されました。原因はまだ未解明ですが、どうも筋肉のもとになる細胞には、メカニカルストレスを受容し続けることで、未分化な細胞の形質を維持しようとする性質があるのではないかと考えています。

アメリカの最先端研究拠点へ

 筋肉の中でも、骨格筋の研究を中心に取り組んでいます。骨格筋というのは体重の4割ほどを占める人体最大の非常に可塑性に富んだ組織です。つまり環境に応じて、例えば運動によって増強され、加齢や運動不足によって衰えます。骨格筋の役割は、もちろん身体を動かすこと。生きる上で最も重要な、危険から逃げる、食料を採るなどの基本的な運動機能を担いますが、運動に必要なエネルギーや体温維持に必要なエネルギーを貯蔵し、エネルギーを生み出す組織としての機能を忘れることはできません。骨格筋には速筋と遅筋という収縮速度や代謝特性の異なる筋あり、これらが全身に分布しています。

 速筋は主にグルコース(糖)を分解してエネルギーに、遅筋は酸素を使って糖や脂肪酸からエネルギーを作り出します。エネルギー効率は酸素を燃やす遅筋のほうが断然高い、いわゆる有酸素運動の時に主に使われるエネルギー代謝ですね。現代の生活習慣病として社会問題になっているのが、いわゆるメタボ(メタボリックシンドローム)や、糖尿病など、代謝性疾患の増加です。エネルギー効率を高める遅筋を増やすことができれば、代謝性疾患の改善に効果が期待できるのです。

図1 運動によるPGC-1α転写活性化のメカニズム(出典:Akimoto et al. 2005

 教員になって3年目に、アメリカのデューク大学に在外研究員として滞在し、骨格筋可塑性の研究で世界トップレベルの研究室に籍を置きました。研究の基本的な方法論から最先端の研究まで一通り学びながら、自身の研究にも取り組みました。メカニカルストレスによる骨格筋の適応をテーマに、遺伝子組み換えマウスを作製して個体ごとの表現型を評価分析し、さらに細胞実験でそのメカニズムを深く調べました。結果的に、メカニカルストレスあるいは筋収縮に由来する細胞内シグナル(p38 MAPK)が、転写コアクティベーターPGC-1αの転写活性化を介して、骨格筋の遅筋化に重要な役割を果たしていること明らかにしました。この論文は国際的にも注目されて、アメリカ生理学会から学会賞もいただくことができました。

研究人材を育てたい

デューク大学時代のラボにて

 在外研究は1年間の予定でしたが、結局そのまま日本の大学を退職して、研究員として2年半、デューク大学に留まりました。デューク大学は経営学の大学院がエリート校としても有名ですが、アメリカに居る間、その大学院のラグビーチームに所属してプレイしていました。その後、子どもが生まれて、やはり子どもを育てるなら日本かなと考えたこともあって、早稲田大学の先端科学・健康医療融合研究機構(Consolidated Research Institute for Advanced Science and Medical Care, Waseda University:略称 ASMeW)の生命医療工学研究所に講師の職を得て日本に戻ってきました。

 ASMeWはスーパーCOEプロジェクトの推進母体として早稲田に設置された期限付きの研究所で、理工学系を中心に様々なジャンルの研究者が100人ほども集まる学際的な組織で、「新しいことを始めよう」という雰囲気に溢れていました。ここでは研究もさることながら、当時研究機構長だった白井克彦前総長をはじめ幹部の教職員とディスカッションしながら大型プロジェクトを構想するなど、研究経営や科学技術政策について勉強することができたのが大きな収穫でした。

ASMeW時代、ドイツとの共同プロジェクトで

 ASMeWには2年間在籍し、その間にマイクロRNAという小さくて特殊なRNAに着目した研究に着手しました。マイクロRNAはメッセンジャーRNAとは異なり、タンパク質にならないRNAで、遺伝子の発現調節に機能していることが分かってきました。筋肉でそれらのマイクロRNAがどのような役割を果たしているのかを調べようと、当時知られていた1千個のマイクロRNAを網羅的に調べ、約200種類が筋肉に存在することを見出し、さらにその中から遅筋と速筋で異なる役割を果たしているマイクロRNAを抽出して、マウスの個体と培養細胞でそれらの機能を解析しました。

 この一連の研究には数年かかり、その間に東京大学の医学系研究科に研究の拠点を移しましたが、私たちが注目したマイクロRNAの1つが、筋萎縮の抑制に関与することを発見できました。また、あるマイクロRNAがアメリカ時代に携わったPGC-1αという骨格筋の遅筋化に関わる遺伝子(前述)の発現を抑制していることも分かりました。これらはマイクロRNAが骨格筋可塑性において重要な役割を果たしていることを明らかにした初めての報告でした。

東大医学部時代、ラボのメンバーと

 東京大学へ移動してから8年半の後、2016年4月に早稲田に再び戻り、現在のスポーツ科学学術院で教えることになりました。これまでの私の研究キャリアの大部分を過ごしてきた医学系や理工学系とは異なる、スポーツ科学という領域で、スポーツマインドを持った骨太な学生をしっかり育てたいと考えています。私が学んできた分子生物学、細胞生物学の方法論を取り入れて、スポーツ科学、健康科学の学問を深化させていけるような人材を育てることを現在の目標にしています。

秋本 崇之(あきもと・たかゆき)/早稲田大学スポーツ科学学術院 教授

2000年筑波大学大学院医学研究科修了。博士(医学)。2000-04年東京大学大学院総合文化研究科助手、2003-06年デューク大学メディカルセンター研究員、2005-07年早稲田大学生命医療工学研究所講師、2007-16年東京大学大学院医学系研究科講師、2010-11年パドヴァ大学客員教授、2016年4月から現職。専門は筋生物学、メカノバイオロジー。受賞歴に2004年日本体力医学会若手奨励賞、2004年アメリカ生理学会リサーチリコグニションアワード、2006年ASMeW優秀業績賞、2016年早稲田大学リサーチアワード(国際研究発信力)等。