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研究力

▼知の共創-研究者プロファイル-

渡邊 克巳/早稲田大学理工学術院 教授 略歴はこちらから

「心」はどこから来る――?
主観や無意識をサイエンスで解明する

渡邊 克巳/早稲田大学理工学術院 教授

心のリアリティを見据える

 高校時代から人間の心に興味があって、大学では文学部の心理学科に進みました。最初は漠然と精神分析のような臨床心理の世界に憧れを抱いていたのですが、入った学科の心理学は実験心理学が中心でした。被験者を実験室に集めてひたすらデータを収集して分析するのですが、やってみたらとても面白かった。そのなかで「心理物理関数」という図との出会いが、その後の自分の方向性を決定づけました。

図1 心理物理関数の図。横軸に客観的な物理量、縦軸に主観的な心理量を対置し分析する手法

 例えば「色」は、あくまで心理的な変数で、物理的変数ではない。「赤く見える」という心理的現象が、どういう物理的特性と結びついて出現しているのかを分析するために、横軸に物理量、縦軸に心理量を配置してグラフにしたものが心理物理関数(psychometric function)です(図1)。この物理量(客観)と心理量(主観)を同じ平面上にざっくり配置してしまうという乱暴なやり方に「そうか、主観も科学的に研究できるのか!」と新鮮な衝撃を受けました。

 大学院に進学し、博士課程からはアメリカのカリフォルニア工科大学へ進学しました。理工系なので心理学専攻はなく、計算科学―神経システム専攻という学際的領域で、クロスモーダルインタラクション(知覚―感覚間統合)という研究テーマに取り組みました。具体的には、人の知覚や感覚がいかに相互に影響を与え合っているか、例えば、見ることと聞くことがいかに相互作用するかといったテーマで研究を行いました。

 博士課程終了後は、研究員としてアメリカのNIH(国立衛生研究所)などに籍を置き、システム神経科学の分野で、脳の中で動機や報酬がどのように行動に変換されるのかの研究に携わりました。分野を全く変えたことになりますが、単一の神細胞の活動を直に観察できたのは、私にとって大きな経験でした。神経活動のような物理現象や主観的体験といった心理現象を、なんの計算処理も抽象的モデルも挿んでいない直接的な現象として観測するという態度は、その後も「心」という存在のリアリティを見失わずに研究活動を拡大していくうえで、ひとつの拠り所となってきました。

外からの影響でつくられる心

 心を実際の現象として真摯に向き合う時には、やはり無意識や感情といったものを避けて通れません。これは、私の元からの興味の真ん中にあります。多くの人は、感情は心の内側から湧き上がるものと考えていますが、本当にそうなのか。この問題には歴史的な論争があって、感情は内側から湧いて来る(中枢起源)とするキャノン・バード説と、感情は身体の反応が先立つ(末梢起源)とするジェームズ・ランゲ説という対立する学説があります。キャノン・バード説では「悲しいから泣く」ということになり、ジェームズ・ランゲ説では「泣くから悲しい」ということになります。

図2  DAVID(Da Amazing Voice Inflection Device)は、人が話している時に実時間で音声に感情表現を与えることができる音声感情誘導のデジタルプラットフォームとして開発された。オープンソースとして公開されている。

 結論から言うと、心のほとんどの現象は、外側の要因に影響を受けて起こると考えられます。ここ最近取り組んできたテーマに、自分が自分をいかに知覚しているかという「自己知覚」の研究があります。例えば、楽観的な人は何でも楽観的に捉える自分を知覚していっそう楽観的に、悲観的な人はその逆といった具合に、正や負のスパイラルをかけて自己形成あるいは自己維持をしていると考えられます。ならば、知覚のフィードバック情報を加工してやることで、スパイラルに介入できるのではないか。そんな仮説をもとに取り組んできた研究から、「音声感情誘導=DAVID(Da Amazing Voice Inflection Device)」という新しい方法を開発しました(図2)。

 具体的には、被験者に短い小説を10分ほど朗読してもらい、その音声にフィルター加工をかけて、「悲しい」「楽しい」「怖がっている」声に変調させて、ほぼリアルタイムで本人に音声をフィードバックさせます。実験の前後に、質問紙調査で感情状態を測定したところ、悲しい音声に変調された人は悲しい感情を、楽しい音声は楽しい感情を、怖がっている音声は怖い感情を、それぞれ喚起されたことが分かりました。明らかに内からではなく「外から」起因して感情が起きていると言えるわけです。

「悲しいから泣く」のか「泣くから悲しい」のかを、客観的に測って切り分けるのは難しかったのですが、この方法ならいったん「音声」という形で外化された物理情報を利用することで、自己知覚を物理量と心理量の関係として明瞭に捉えることができます。この方法は、基礎的な研究の手法として有用であることに加えて、気分障害やPTSDなどの治療への応用も期待できます。また、人同士のコミュニケーションの改善や、生産性向上などにも効果があるかもしれません。

 私自身もこの方法を使って、基礎研究、応用研究を続けていますが、たくさんの人に使ってもらって可能性を広げてほしいと考え、共同研究者と相談して、論文発表と同時にDAVIDをオープンソース化してインターネット上に公開しました。多くの人(例えば夏休みの自由研究など)に使ってもらい、ボトムアップ的に研究が発展していけばうれしいなと思っています。

能力も社会や環境に規定される

図3 潜在アンビエント・サーフェス情報の研究プロジェクト概念図

 心理学では、感情のみならず、能力すらも外部や他者からの影響を受けて変わるということが分かっています。ただボタンをどれだけ速く押せるかという単純な実験でも、周りの人が速ければ自分も速くなり、周りが遅ければ自分も遅くなる。自分の力の限界が、集団や組織の環境、社会の環境で大きく変わりうるのです。前に、競泳の選手がレーザー・レーサーという水着を着用して、オリンピックや世界選手権でタイムを驚異的に縮めました。その水着は使用禁止になってしまいましたが…。じつはあの時、スーツを着用していなかった選手もタイムを上げているのではないかと思っています。着用した選手がタイムを伸ばすという「社会的環境」が、身体能力に及ぼす社会的な抑制を解除するのではないか。つまり、社会や環境は、超えられない壁を規定するとともに、超えられない壁を超えさせてしまうような力すら持っているということなのです。

 このようなわれわれを取り巻く空気のような環境(雰囲気:ambience)が引き出す潜在的能力に着目して、「潜在アンビエント・サーフェス情報」というプロジェクトに取り組んでいます(図3)。人から滲み出ている雰囲気とか、人と人の間の感情や行為の同期などを科学的に測定・分析・活用するという研究です。「あの人って何となく気が合うな」とかよく言いますよね。二者間や集団で何かしら同調現象が起きている時に、そこでどんな情報が伝播しているのか、心拍、体温、発汗、筋緊張などの生理現象の同期がどのように起きているのか、実際にパフォーマンスは上がっているのかを、ウエアラブルデバイスなどを装着して調べようというものです。

 そのためにまず、われわれ研究者でスポーツのチームを結成しました(笑)。実験室での被験者実験では、動機づけも報酬も弱い。自分事として必死になって闘う、何がなんでも勝つぞという気合いをかけた社会的状況と環境を形成して、チームメンバー全員がウエアラブルデバイスを着けて、リアルタイムで測定して集団全体の状況を測定することを目指しています。

 情報化やネットワーク化が進んで、これからさらに人工知能が社会の中に登場してきます。私自身はテクノロジーそのものではなく、新しいテクノロジーとの出会いの中で人の心や能力がどう変わっていくかに興味があります。人の心や能力が「ネットワーク」でつくられるという考え方がスタンダードになれば、私たちの生き方、人との関係も大きく変わっていくはずです。人間社会そのものを見直すことで、障がい者など社会的弱者と言われる人たちとの共生関係が再構築され、ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)を可能にする新しい世界観も確立されていくのではないでしょうか。

渡邊 克巳(わたなべ かつみ)/早稲田大学理工学術院 教授

1995年東京大学文学部心理学科卒業、1997年 東京大学大学院総合文化研究科認知行動科学専攻修士課程修了(学術修士)、2001年 カリフォルニア工科大学(Caltech)計算科学—神経システム専攻博士課程修了(Ph.D)。日本学術振興会特別研究員(順天堂大学医学部第一生理学講座)、National Eye Institute, National Institutes of Health、産業技術総合研究所人間福祉医工学研究部門研究員、科学技術振興機構ERATO下條潜在脳機能プロジェクト意思決定Gリーダー等を経て、2006年 東京大学先端科学技術研究センター認知科学分野 助教授、2007年 同准教授。2015年より現職。東京大学先端科学技術研究センター客員准教授なども兼務。研究業績等は研究室HP参照。