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研究力

▼知の共創―研究者プロファイル―

リー・トンプソン(Lee Thompson) 早稲田大学スポーツ科学学術院教授 略歴はこちらから

スポーツ社会学で読み解く日本
―「伝統」から「近代」に至る歴史―

リー・トンプソン(Lee Thompson)/早稲田大学スポーツ科学学術院教授

日本のテレビと力道山

 私がなぜ日本で、相撲やプロレスといった日本のスポーツの研究に取り組むようになったかというと、最初から計画的な経緯があったわけではなくて、いくつかの偶然や出会いの中で自然とそうなったといえます。

 大学時代に日本を訪れる機会があり、日本で学生生活を送りながら、NHKの英語番組やラジオ、ケーブルテレビなどの番組に出演する機会を通じて、日本のマスコミに関心を持つようになりました。その頃はまだ、自分が何をやりたいかはっきり進路が見えていなかったのですが、20代後半になってから、腰を据えて何かにじっくり取り組みたいと思うようになり、アメリカの大学でコミュニケーションを学び直した後、大阪大学の大学院に進んでコミュニケーション論を専攻し、日本のマスコミ研究に本格的に取り組むようになりました。

 日本のマスコミの歴史を遡ってみて、相撲やプロレスの実況中継とテレビというものが、切っても切れない関係にあることに気づかされました。テレビの黎明期を振り返ってみると、なかでも力道山という人の存在がとても大きい。大学院生当時、日本の相撲やプロレスのことは何も知りませんでしたが、これは面白いテーマだと思いました。

 力士出身のプロレスラーである力道山が、シャープ兄弟をはじめとする外国人プロレスラーの悪玉と対決するのですが、もちろん勝つのは善玉の力道山です。表にこそ出さないものの、八百長という暗黙のシナリオがあったわけですね。こうした独特の枠組みを「フレーム分析」という社会学の研究手法で捉え直し、力道山が活躍していた約10年間の新聞報道を分析するなどして、「テレビの普及と力道山プロレス」をテーマに修士論文を書きました。

 力道山は、「日本民族の英雄だ」と称えられていました。しかしじつは、力道山は、朝鮮半島で生まれた、今の言葉で言うと「在日朝鮮人」でした。このあたりもとても興味深く、その後、スポーツと人種や国籍の関係について考えることにもつながりました。始めはマスコミ研究からスタートして、社会学という切り口から、スポーツ社会学へ、あるいはスポーツメディアの研究へと、自分の関心領域が絞り込まれていったわけです。

相撲は“近代的”スポーツ

 修士論文への取り組みを通じて、スポーツの近代化とか、スポーツの伝統について次第に考えるようになりました。例えば、相撲は日本の国技であり、日本の伝統的スポーツであると、だれしもが言いますが、本当にそうだろうかと疑問を持つようになったのです。

 『スポーツと現代アメリカ』という本を書いたアレン・グッドマンという社会学者が、近代スポーツの特徴を、近代以前の伝統的スポーツと比べて、世俗化されている、合理化されている、平等である、数量化されている、記録が追求されている、などといった特徴で表しています。例えば、近代のサッカーでは、11人対11人とプレイヤーの人数は決まっていますが、中世のフットボールにそんな平等なルールはなかった。何人でも、たくさん連れていけばいくほど有利になるという世界でした。

近世の相撲の風景 慶長15(1610)年、名古屋城築城襖絵

 いろいろ調べていくうちに、私たちが今見ている相撲は、近世の相撲とはだいぶ違うということが分かってきました。例えば、「横綱」というのは、江戸時代には、単に特定の力士が一人で土俵入りをする際に腰に巻く白い綱を指す言葉であって、決して地位を意味するわけではなかったのです。番付表を見ても、大関や関脇はあっても、横綱という地位は存在しませんでした。横綱という名称が番付表に初めて書き入れられたのは1890年で、相撲協会によって正式にその地位が認められたのは、1909年からのことです。

 そもそも相撲が「国技」と呼ばれるようになったのは、両国に「国技館」が開館された1909年からです。優勝制度も、1909年に初めて導入されました。現在の「横綱」や「優勝」という制度は、まさに相撲が近代化されていく過程で、新しく作り出されたものなのです。「横綱はいちばん強い人でなければならない」、それも成績によってきちんと証明されたものでなければならないという考え方は、まさに近代スポーツの価値観であって、決して伝統的なものではないのです。

 今では、どの力士が優勝するかが大衆の最大の関心事ですが、近世の相撲への人々の関心は、どうも優勝とか成績とは別のところにあったようです。イギリスのエリック・ホブズボウムという学者は、「伝統とは発明されたものである」ということを言っています。私たちが迷うことなく「伝統的だ」と思っているようなことが、じつはそうでもないということが意外にたくさんあるということです。

外国人力士数の国別推移

 一連の研究は、「スポーツとしての相撲の近代化」というテーマで、博士論文としてまとめました。そして現在に至るまで、「世の中であたりまえと思われていることを、疑ってみる」という社会学の基本を、スポーツの世界に投げかける研究を続けてきています。

日本人のパワー・コンプレックス

 2008年夏には北京オリンピックが開催されましたが、それに先立つ2008年1月、日本オリンピック委員会の主導によって設置が進められてきた選手強化施設の「ナショナルトレーニングセンター」が、本格的に始動しました。春にはそこで、日本代表チームのコーチが必ず受けなければならない講習が開かれたのですが、その中で私は、外国からの招聘コーチを対象に講演を行いました。

 オリンピックでは、日本の選手はさまざまな外国の選手を相手に戦うことになります。そのとき、日本人選手は自分たちをどう見ているか、あるいは外国人選手をどう見ているかということを、認識しておくことが大切です。そこで、以前から私が研究してきたテーマ、日本の新聞のスポーツ報道で、「パワー」という言葉がどのように使われているかについて、話をしました。

 朝日新聞の記事データベースを分析してみると、「パワーがある」という表現が使われるのは、もっぱら日本選手に対する外国選手についてであること、また日本人選手に「パワーがある」という表現が使われるときには、それは他の日本人選手に対してであるということが分かります。歴史的に「パワー」という言葉が導入された過程を追えば、最初は外国選手に対して使われ、やがて日本選手に対しても使われるようになったという経緯が見えてきます。

 日本選手もいまやさまざまな競技でメダルを取るようになり、決して外国選手にパワー負けしているわけではないのですが、やはりまだ外国選手への体力的なコンプレックスが、社会全体にもマスコミの論調にも根強く残っていて、それが選手にも精神的に影響を及ぼしていることに注意が必要です。こうした話は、外国人コーチにも感心をもって聞いてもらえたようです。

 それにしても、日本人とか外国人という、スポーツを人種で分ける線引きは、考えてみるととても不思議です。2007年に出された『スポーツニュースは恐い―刷り込まれる〈日本人〉』(森田浩之著)というとても興味深い本がありますが、日本のスポーツニュースというのは、まさに「日本人」や「日本のスポーツ」というメッセージを強力に発信していて、テレビを見ている一般の人々はもちろん、スポーツ選手もまた、そうした風潮にいやおうなく巻き込まれているのです。

 人種というのは、じつは明確な定義はなくて、境界のあいまいなものなのです。先ほどの力道山の例もそうですが、「日本」や「日本人」がいったいどのように自分自身を定義しているのかを見ていっても、そう簡単に説明できるものではないことが分かります。

ヨーロッパで広がる相撲

『Japanese Sports: A History』
アレン・ガットマン、リー・トンプソン著/ハワイ大学出版会刊(英語版のみ)

 こうした問題を国際的に議論していくためにも、日本のスポーツの歴史について、海外に広く知ってもらうことが重要です。2001年には、『Japanese Sports: A History』という、古代から現代に至るまでの日本のスポーツの歴史を紹介する本を英語で出版しました。

 また2008年7月には、京都で第5回国際スポーツ社会学会世界会議(ISSA2008)が開催され、世界30カ国から200人以上の研究者が集まりました。本学のスポーツ科学学術院からも何人か参加し、論文発表をしました。私は、「日本の伝統身体文化における本物と発明」というテーマで、3人のゲストスピーカーを迎えてワークショップを主宰しました。

 最近、日本のアマチュア相撲の組織である日本相撲連盟が、相撲をオリンピック競技にしようという目標を掲げて、海外各地で相撲を普及させる活動を行っています。近年、大相撲にヨーロッパ出身の外国人力士が増えている背景には、こうした事情もおおいに関係しています。2008年の秋学期から1年間の特別研究期間(サバティカル)を取る予定ですが、ドイツ・ケルンのドイツスポーツ大学に滞在して、最近のヨーロッパにおける相撲の浸透について調査したいと考えています。

スポーツ科学部1年生の野外実習風景。根子岳にて

リー・トンプソン Lee Thompson/早稲田大学スポーツ科学学術院教授

1953年、米国オレゴン州生まれ。1987年、大阪大学大学院人間科学研究科博士課程単位取得満期退学(社会学専攻)。学術博士。大阪大学人間科学部助手、大阪学院大学国際学部助教授を経て、2003年より現職。専門はスポーツ社会学、コミュニケーション論。主な著書に『Japanese Sports: A History』、『力道山と日本人』、『講座・スポーツの社会科学1 スポーツの社会学』他(いずれも共著)。

WASEDA早稲田大学研究推進部 http://www.waseda.jp/rps/