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河野 勝(こうの・まさる)/早稲田大学政治経済学術院教授 略歴はこちらから

選挙での「なりすまし・二重投票」問題を考える

河野 勝/早稲田大学政治経済学術院教授
2019.8.5

 先月(7月21日に)行われた参議院選挙では、投票率が48.8%と5割を下回り、国政選挙としては史上二番目に低かったことが話題となった。その一方で、投票日の前日までに市役所など定められた場所で投票した人の数が過去最高の1706万人にのぼったことも報じられた。期日前投票制度は、2003年に導入されて以来、利用する人の数がほぼ一貫して増え続けており、いまや日本の民主主義を支える重要な制度になったといってよい(図1および図2参照)。

 しかし、普及・定着が進む中、この制度については気になる批判も聞かれる。有権者が本人であることを確認する作業がおろそかにされている、という批判である。実際、制度の運用上、市役所などにおいては有権者の名前、住所、生年月日を口頭で伝えるだけで、本人とみなされて投票できてしまうことが指摘されている。だとすると、ある有権者が他の有権者に「なりすまし」て投票することも、またそうすることで一人の有権者が複数回投票する「二重投票」も可能ではないか、という懸念が生じる。もしそうしたことが本当に起こっているとすれば、(選挙に参加する)権利の平等や一人一票の原則に反しており、選挙不正を野放しにしている、ということになる。

 以下では、この問題をどう考え、またそれにどう対処していくべきかについて、現時点での筆者の考えをまとめてみる。

 そもそも、決められた投票日以外に一票を投じることが、なぜ認められるのか。日本では、かつて「不在者投票」という制度があり、それは身体に不自由を抱え移動に時間のかかる障害者や貧困に苦しみどうしても投票日に働かなければならない人々が投票に参加できるよう促す制度であった。しかし、現行の期日前投票制度は、社会的弱者を救済する目的を超えて、明らかに「投票率を上げる」というより一般的な効果を目論んで導入された。周知の通り、現行制度では、やむを得ない場合だけでなくほとんどどのような理由でも(例えば旅行やレジャーに行くという理由でも)、投票日以外に投票することが認められる。ただ、投票率を上げることを目的とする制度は、価値中立的ではない。例えば、日本では、高い投票率は自民党にとって政治的に不利であると考えられている。では、特定の政党や政治家を利するかもしれないのに、投票率の上昇を制度として推進していくべき理由は何か。それは、民主主義のもとでは、高い投票率が選挙の正当性を高めると信じられているからである。逆に、多くの国民が投票をボイコットしたり、投票率が極端に低かったりすると、その選挙結果を民主主義過程の帰結として素直に受け入れることは難しくなる。

 さて、前置きが長くなったが、ここで冒頭に紹介した批判に立ち返ると、本人確認を義務付けないまま投票ができてしまう制度−−−本人確認がなければ投票できないとする制度の不在−−−は、投票率を高めようとする(総務省や選挙管理委員会による)一連の流れの中に位置付けられることがわかる。もちろん「なりすまし」や「二重投票」は不正であり、徹底した選挙管理が行われるべきであることはいうまでもない。しかし、本人であることを確認するための書類提示を強制しない状況は、実は投票日の投票所においても同じで、もし本人確認を義務化するのであれば、(これも平等の観点から)期日前だけでなく投票日においてもそうしなければならない。おそらく、そうした規制強化は、大きな混乱を引き起こすであろう。一度投票所まで足を運んだのに「書類を持って出直してこい」と追い返される有権者の多くは、結局選挙に参加しなくなるかもしれない。そのような制度変更は、投票率を押し下げる結果を招くと考えられる。

 とすると、この問題をどう考えていくべきかが見えてくる。選挙不正である「なりすまし」や「二重投票」による悪影響と、そうした不正を防止するための規制強化がもたらす投票率低下という悪影響とで、どちらがより深刻かを比較衡量していくのである。ところが、現在の時点では、どの程度頻繁に「なりすまし」や「二重投票」が起こっているのかを判断するための実証的根拠がない。ゆえに、筆者は、まずやるべきことは、実際にどのくらいの割合(確率)で「なりすまし」や「二重投票」が起こっているのかを、きちんと調査し把握することではないか、と思う。

 全ての投票者に投票した後で本人確認の書類を求めるのが現実的でなければ、抜き打ちのサンプル調査をやればよい。その結果、不正が極めて稀にしか起こっていないということが確認されれば、規制を(再)強化するまでの必要性はないと結論づけられる。逆に、頻繁にそのようなことが起こっていると判明したなら、義務化する方向に舵を切ってもよいであろう。なお、こうした抜き打ち調査をするということを事前にアナウンスするだけでも、「なりすまし」や「二重投票」を抑止するとも考えられる。したがって、実態把握の目的だけでなく、抑止という観点からこうした調査を制度化するのも一つの有効な対策ではないか、と考える。

 ここからは蛇足である。上述の通り「なりすまし」や「二重投票」は、どれほど深刻かがよくわかっていない問題である。それに比べて、「一人一票」原則に反するという点では、日本ではいわゆる一票の格差の問題がずっと存在し、根本的に是正する制度づくりがなされていないまま取り残されてきた。こちらは、間違いなく深刻な問題なのである。

図1
出所:総務省「衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査 結果調」、総務省「国政選挙における投票率の推移」より筆者作成

図2
出所:総務省「参議院議員通常選挙 結果調」、総務省「国政選挙における投票率の推移」、総務省「期日前投票の最終結果(選挙期日前日現在) 令和元年7月22日発表」より筆者作成

河野 勝(こうの・まさる)/早稲田大学政治経済学術院教授

【略歴】
1962年、東京都生まれ。上智大学法学部卒業。イェール大学修士(国際関係論)、スタンフォード大学博士(政治学)、ブリティッシュ・コロンビア大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所ナショナル・フェローなどを経て、現在、早稲田大学政治経済学術院教授。著書にJapan's Postwar Party Politics (Princeton Univerity Press)、『制度』(東京大学出版会)、『政治を科学することは可能か』(中央公論新社)ほか