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高松 寿夫(たかまつ・ひさお)/早稲田大学文学学術院教授 略歴はこちらから

新元号閑話三題

高松 寿夫/早稲田大学文学学術院教授
2019.5.27

 新元号が発表になって以来まだ2箇月たっていないが、私のところには関連する仕事の依頼が、すでにいくつか寄せられている。テレビ・ラジオでの短いコメントや、地域の市民講座で関連の講演、昔関わった万葉集関係書籍の再版といったもので、本コラムの執筆もそのひとつ。今度の元号は和書を典拠にするのではないかということが、かねてから評判になっていたこともあり、新元号が『万葉集』由来となったことについては、正直なところ、私はそれほど意外には思わなかった。むしろ、その後、関連する仕事を私などが立て続けに請け負うことになったことを、意外に感じている。

「令和」の典拠となった『万葉集』の漢文(早稲田大学図書館蔵・古活字本『万葉集』より)

 請け負った仕事のひとつに、高校の新聞部からの取材というのがあった。埼玉県川越市にある星野高校の新聞部の生徒さん6人が、私の研究室を訪ねてくださり、1時間ほどお話をした。事前調査も万全で、まことにゆきとどいた質問に感心しながら応答させてもらった。やりとりをしていて気づいたのは、新元号「令和」のアクセントが、取材する高校生と応答する私とで異なっているということだった。質問する高校生は「令和」を「平和」「挿話」「講話」などと同じ平板なアクセントで発音し、答える私は「冷夏」「戦火」「進化」などと同じ頭高のアクセントで発音していた。取材の終りの方で、念のため6人の生徒さん皆さんに尋ねてみたところ、1人だけ私のアクセントと同じ人がいたが、5人は平板なアクセントであることが確認できた。テレビ・ドラマの「ドラマ」や、ガールフレンドの「彼女」を、私などは頭高で発音するが、もう何年も前から多くの学生諸君は平板に発音するようになっている。これと同じ傾向なのだな、と思った次第。もっとも「ドラマ」「彼女」は、正式な放送アクセントは現在でも頭高なのだろうと思うが、元号「令和」のアクセントは、放送局でも対応が分かれている様子。これがどれか1つのアクセントに落ち着くのかどうかは、しばらくの経過観察待ちといったところだろうか。

 アクセントに限らず、「令和」をどう発音するかについては、ほかにも議論の余地がある。政府が「レイワ」と読むと公表しているので、一応その点は最初から決着しているのだが、出典とされる『万葉集』の本文をどう読むか(発音するか)ということが、案外これまでないがしろにされていたように思う。該当の本文は「初春令月、気淑風和」というものだが、現在流通している『万葉集』の活字本では、「令月」にほぼ例外なく「れいげつ」とルビがふってある(一部、ルビがふられていない本もある)。

 漢字の音には、その発音が基づく中国本土の時代の違いによって、いくつかの種類が存在する。中国六朝の古い発音に基づくとされる呉音、隋唐の発音に基づく漢音、より新しい時期の発音に基づく唐音がそれ。漢字「行」を「修行」「行事」などで「ぎょう(ぎゃう)」と発音するのは呉音、「行動」「銀行」などで「こう(かう)」と発音するのは漢音、「行灯」「行在」などで「あん」と発音するのは唐音である。『万葉集』に収録される作品が創られた時期と同時代の中国は唐の時代だが、その時期の日本の漢字音は古い呉音が一般的で、漢音はまだ定着していなかった、というのが一応通説になっている。だから『万葉集』の部立(和歌の分類)の「相聞」は、「しょうぶん(しゃうぶん)」(漢音)ではなく「そうもん(さうもん)」と呉音で読む。だとすると、「令月」は「りょうがつ(りゃうぐゎつ)」でなくてはいけないはずだが、現行の『万葉集』でそのようにルビをふったものがないのは、どうしたことだろう。漢音で統一するというなら、それはそれでよいのだが、一方で、『万葉集』の同じ巻(巻5)に掲載される有名な作品、山上憶良の「貧窮問答歌」の「貧窮」には、多くの場合「びんぐう」とルビをふるのは、呉音によっているのである。「令和」の典拠とされる『万葉集』の漢文は、大伴旅人が執筆したと考えられるが、仮に彼が「令和」を発音したらどうなるか。呉音で発音すれば「りゃうわ」、漢音で発音すれば「れいくゎ」だったろう。つまり、大伴旅人(を含めた奈良時代の日本人)には、「れいわ」という呉音・漢音ちゃんぽんの発音は、へんてこな響きに感じられることだろう。

『隋書』「乞伏慧伝」の冒頭部分(早稲田大学図書館蔵・汲古閣版より)

 さて新元号が令和だと発表されると、すぐその日のうちに各メディアで盛んに報じられた話題のひとつに、実在する「令和」さんの紹介があった。読み方は「よしかず」「のりかず」などの由。改元当日の「元号に関する懇談会」でも、「「のりかず」という名前の方がいる点が少し気になるが」との意見が出たことが、後日報道された。現在、何人かの「令和」さんがいるのだから、過去にも「令和」を名乗った人物はいるだろうと思うのだが、日本での歴史的人物の実例がいまのところ私には探し当てられない。一方、中国の歴史の記録には、何人か「令和」を名乗った人物が見出せる。最後にその一例を紹介しよう。

 6世紀末から7世紀初頭に乞伏令和という人物がいた。令和は字(あざな=通称)で、本名は乞伏慧といった。『隋書』巻55に伝が掲載されている。彼は馬邑郡(現在の山西省北部)出身の鮮卑人。隋の建国に武功があり、隋高祖にとりたてられて地方官などを歴任した。隋煬帝の時、煬帝の巡行を天水郡(現在の甘粛省東部)の太守として迎えたが、現地の道路は整備されておらず、提供された食事も劣悪で、煬帝は激怒し、近臣に乞伏令和の処刑を命じた。しかし、令和の髪の毛がないのを見て、処刑は免じて官界からの追放で許したという。髪の毛がない(原文では「無髪」と記してある)というのは、どういうことだろうか。天子の怒りを買ったことへの詫びとして頭を丸めたということか、老齢故に禿げ上がっていたというのか。ともかく追放された令和は、以後、故郷に帰って一民間人として終ったらしい。この「令和」は隋代の人物なので、「れいくゎ」と発音したのだろうか。

 以上、新元号をめぐる文字通りの閑話で、へィご退屈さま。

高松 寿夫(たかまつ・ひさお)/早稲田大学文学学術院教授

1994年、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程中退。1996年、早稲田大学第一・第二文学部専任講師。博士(文学)。専攻は日本古代文学。著書に『上代和歌史の研究』(新典社)、『コレクション日本歌人選・柿本人麻呂』(笠間書院)など。論文に「「養老改元詔」をめぐって」(『日本文学』2019年5月号)など。