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島崎 敢(しまざき・かん) 早稲田大学人間科学学術院助教 略歴はこちらから

「安全に」危ない目に遭う?
事故映像を用いたリスク認知訓練

島崎 敢/早稲田大学人間科学学術院助教

 ジョン・マクレーンはいつもツイてないので、3~5作目あたりになれば「そろそろこの辺で悪いことに巻き込まれる頃だな」という予測が、ダイ・ハードシリーズを順番に見ている人ならできるようになってきます。しかし、ダイ・ハード以前は、ヒーローが積極的に事件を解決していく映画が主流で、ほぼ丸腰の非番の刑事がたまたま運悪く事件に巻き込まれるというパターンの映画はあまりありませんでした。だから、シリーズ1作目を初めて見た時には、予想外の展開に今よりもずっとハラハラドキドキしたのではないでしょうか。

 私たちは、あるパターンを持ったものを繰り返し見たり聞いたりするうちに、似たようなパターンのものに対して予測を立てられるようになります。エンターテインメントの場合には、予想外であることがたのしさにつながる場合もありますが、現実の世界では、予想外が不都合を招くことがよくあります。そこで、不都合が起きそうな状態を、過去に蓄積されたパターンから予測し、対処の準備をしておくことで事故の発生を防いだり、被害を小さくしたりする必要が出てきます。

図1

 自動車の運転でも、危ない目に遭う経験を繰り返していくうちに「こういう死角からよく何か飛び出してくるんだよな」とか「これは典型的な右直事故のパターンだな」とか予測ができるようになり、事故を起こしにくいドライバーになっていきます(図1)。しかし、幸か不幸か運転中に危ない目に遭う確率はそう高くはありません。現在、日本では運転免許を取る為には路上で20時間程度の教習を受けますが、この20時間の間に危ない目に遭う人は稀です。また、運良く(運悪く?)危ない目に遭ったとしても、事故のパターンはいくつもあるので、色々なパターンを網羅的に経験できません。さらに、危ない目に遭うだけなく、事故に発展してしまうと困るので、現実世界で危ない目に遭うのはできれば避けた方が良さそうです。

 

図2

 そこで「安全に」危ない目に遭うためにドライビングシミュレータ(DS)が開発されました。しかしDSは家に置くには大きすぎますし、一番安価なドライビングシミュレータですら本物の自動車よりも高価です。また、教育用のDSでは予めDSに入っているいくつかの場面でしか走行ができないので、繰り返し利用しているうちに飽きてしまうという問題もあります。さらに、日本全国には約8000万人のドライバーがいますが、彼らに繰り返し学習してもらうにはDSの数が圧倒的に足りないという問題もあります。

 プラントや医療、航空機などの事故は、危機的状況が発生してから事態が致命的になるまでに、少なくとも数分程度の時間がある場合がほとんどです。一方交通事故は、相手に気づいてから衝突するまでに、長くても数秒の時間しかありません。したがって、事故パターンを理屈で理解しているだけでは対処が間に合いません。事故パターンを「体得」し、図2のように、ほとんど考えなくても反射的に危ない場所に目を向けられるようになるためには、スポーツや楽器を覚えるときのような繰り返しの練習が必要です。

図3

 DSにはいくつかの問題がありましたが、交通状況を提示し、事故が起きやすいパターンを学習するだけであれば、ハンドルやペダル、360度スクリーン、6軸モーションベースなどは不要です。そこで我々の研究グループでは、iPadを利用して自動車事故が起きやすいパターンを学習するツール(図3)を開発しました。学習用の映像として使うのは、DSのようなコンピュータグラフィックスではなく、ドライブレコーダで撮影された実際の事故映像です。学習者はiPadの画面上に映った映像を見ながら、危ないと思うところを指でタッチしていきます。学習者が衝突対象や衝突対象が隠れていた死角をタッチできたかどうか、つまり、そこが危ないことに気づけていたかどうかは、ソフトウエア側でタイミングなどを記録してフィードバックを行います。また、最後に衝突シーンも見られるので、何が危なかったかは一目瞭然です。事故映像はドライブレコーダで毎日のように撮影されてしまうので、新しい映像をインターネット経由で次々と配信できます。したがって場面に飽きてしまうこともありません。

 この教育ツールは複数の効果検証実験によって、運転中に見る場所が適切になる、運転が慎重になるなどのポジティブな効果が確認されており。実際にタクシー会社や保険会社などで使われ始めています。現在はハザードマップとの連携やランキング表示など学習のやる気を上げる為の機能追加を進めています。また、医療や建設、鉄道など道路交通以外の分野への応用も行っています。このソフトウエアはAppStoreから無料で配布していますので、ひとりでも多くの人に利用していただき、事故を減らすことができれば嬉しいと考えています。

※アプリの名前はHazardTouchです。事故映像の配信は今のところ限られたユーザーのみが対象になっています。

島崎 敢(しまざき・かん)/早稲田大学人間科学学術院助教

【略歴】
1999年静岡県立大学国際関係学部卒業。大型トレーラーやタクシーのドライバーとして働いた後、交通心理学を学ぶべく、前交通心理学会会長・早稲田大学石田敏郎教授の門をたたく。早稲田大学大学院人間科学研究科で修士課程、博士課程を修了、早稲田大学人間科学学術院助手を経て2011年から現職。全ての一種運転免許の他、重機、危険物取扱など資格多数。主任交通心理士、JSAEエンジニア、博士(人間科学)。