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田中 章浩(たなか・あきひろ)早稲田大学高等研究所助教 略歴はこちらから

声色を読む日本人

田中 章浩/早稲田大学高等研究所助教

日本人のコミュニケーション

 いま目の前にいる相手は怒っているだろうか、それとも喜んでいるだろうか。これは簡単なようで難しい質問だ。無邪気な笑顔の子どもは本当に喜んでいる可能性が高いが、笑顔で接してくれる部下は心の中では怒っているかもしれない。

 日本は「空気を読む」社会だといわれて久しい。社会的動物である私たち人間は、他者と良好な関係を維持するために、良し悪しはともかくとして、多かれ少なかれ「空気」を読み合いながら生活している。相手の感情を推測することも、「空気を読む」行為の一つだろう。

 では、どのようにして相手の感情を読み解いているのだろうか。言葉も情報源の一つだ。しかし、メールで相手が「了解しました」と返信してきたとき、本当に納得してくれたのかどうか考え込んでしまった経験を持つ方も多いだろう。対面コミュニケーションでは、顔の表情や声の調子など、さまざまな非言語情報を利用できるが、メールでは非言語情報を伝えにくいのでどうしても誤解が生じやすい。

 相手の感情を読み解くとき、有効な情報源は顔の表情だ。もちろん、作り笑顔もできるので信頼できないことも多いが、言葉と比べると表情は制御がききにくいというのは、読者の方の実感としてもあるのではないかと思う。

 やっかいなことに、ある場面である表情がもつ意味は、文化によって異なる。「顔で笑って心で泣いて」「笑いながら謝る」などは、日本人には馴染み深いが、外国人には理解しにくい表現だろう。こうした感情表現や読み取り方の違いは「文化の壁」となって、しばしば言葉の壁以上に異文化間コミュニケーションを阻害する原因になる。これは国際的な交渉場面などで外国人に大きな誤解を与えかねない重要な問題である。

日本人は声の調子に敏感

 不思議なことに心理学や脳科学の分野では、人間がどのように相手の感情を解読するのかという問題に対して、顔の表情ばかりが取り上げられて研究が進んでおり、日常場面のように、顔と声など複数の感覚器官からの情報に基づいて感情を判断する能力の文化差には、多くの謎が残されている。

 そこで、ティルブルグ大学のBeatrice de Gelder教授らとともにこの問題について取り組んだ、私たちの日蘭国際共同研究を紹介したい。研究では、日蘭の大学生を対象として、相手の顔を通して読み取った情報と声を通して読み取った情報をどのように結び付けて、感情を判断しているのかを比較文化的に検討した。実験では、人物の顔と声の感情表現が一致しているビデオと一致していないビデオを作成し、参加者に視聴してもらった(図1)。そして、顔または声のどちらか一方のみに着目して、人物の感情を判断してもらった。実験の結果、日本人はオランダ人と比べて、顔に着目して判断する場合には、無視すべき声による影響を強く受け、声に着目した場合には逆に、無視すべき顔による影響を受けにくいことがわかった(図2)。つまり、日本人は相手の感情を判断する際に、声の調子に自動的に注意を向けてしまう傾向が強いことが示されたことになる。

図1:実験参加者が視聴したビデオの例。登場人物が意味的には中立な言葉に喜びまたは怒りの感情を込めて発話したビデオを編集して、顔と声の感情が一致した条件(例:顔も声も喜び)と不一致の条件(例:顔は喜び、声は怒り)を設定した。参加者は、条件によって顔または声の一方に着目し、他方は無視して、人物の感情を推測した。顔にはノイズをかけて、顔と声の判断の難しさが等しくなるように調節した。

図2:感情判断時に、無視すべき情報から自動的に受けた影響の強さを日蘭学生で比較すると、顔に着目する場合、日本人(21.0%)はオランダ人(12.3%)と比べて、無視すべき声から強く影響を受けた。逆に声に着目する場合には、日本人は無視すべき顔からの影響をほとんど受けなかった(日本人2.6%、オランダ人10.0%)。

 この結果は、見たものと聞いたもののように、異なった感覚器官からの情報を脳が統合するメカニズムにまで文化の影響が及んでいることを示している。文化の違いによって、脳の配線まで違ってくるというわけだ。おそらく、日本人は日本の文化・言語的環境に適応していくうちに、どのくらいのウェイトで見たものと聞いたものを重みづければよいのかということが最適化されていくのだろう。では、いったい文化や言語のどのような側面が、声を重視する傾向へと結びつくのだろうか? これは今後の研究から明らかにされるだろう。

異文化間での感情コミュニケーション

 研究の結果から、異文化間コミュニケーションで感情を誤解してしまう原因の一部をうまく説明できる。話し手が日本人で、聞き手が外国人の場合、両者は顔と声への依存度が違っている。話し手が笑顔を保ちつつも声に怒りを滲ませたとき、聞き手は顔の表情に依存して判断してしまい、怒りに気づかず、喜んでいると誤解してしまう。こうなると、その後の会話もうまくいかなくなる。このように、話し手と聞き手の文化における感情の表現方法と解読方法が一致していないことによって、誤解が生じる部分もあるのだろう。

 仕事の交渉場面など、相手が本当の気持ちを明かすことが少ない状況では、感情を読み解く能力は大いに役立つだろう。今回の結果に基づけば、相手が日本人なら、声に注目すれば真意を読み取れる確率が高いということになるだろう。今回の実験でも、日蘭ともに、顔に着目すれば顔に出た感情を読み取れて、声に着目すれば声に出た感情を読み取れる確率が高かった。どちらに気を配るかという心がけ次第でも、読み取れる感情は変わってくるわけである。

 ところで、よく日本人は感情表現に乏しいといわれる。しかし、それは本当だろうか? もしこの言説が、欧米人が日本人を見た印象に基づいて形成されたものだとしたら、それは相対的な話である。あくまでも顔やジェスチャという欧米の基準で見た場合に感情表現が乏しく見えるだけであって、日本人は声に滲み出すようにして、別のやり方で感情を表現しているのかもしれない。そして日本人同士の会話では、高度に発達した「空気を読む」力を駆使して、声の調子から微妙な感情を読み解いているのではないか。

「文化の壁」を超える技術へ向けて

 近年のコンピュータによる音声言語翻訳技術は飛躍的に向上しており、言葉の壁は今後急速に取り払われていくだろう。では、感情などの「文化の壁」はどうだろうか。私たちは、家族や友人の感情だってしばしば誤解する。ましてや外国人の感情を翻訳するなど、まだ遠い先の話のようにも感じられる。でも私は、今回の研究を地道に発展させることで、顔と声を併用した感情翻訳技術の工学応用へとつなげることもできるのではないかと考えている。異文化の話し手が表出した感情をも「翻訳」できる新たなコミュニケーション技術である。総務省の戦略的情報通信研究開発推進制度(SCOPE)による支援を受け、今後この基礎研究に取り組んでいきたい。

脚注1:本研究は、日本学術振興会海外特別研究員制度(H20-21)、文部科学省科学研究費特別推進研究(19001004)の支援を受けた。

プレスリリース(米心理科学協会):

http://www.psychologicalscience.org/index.php/news/releases/perception-of-emotion-is-culture-specific.html

田中 章浩(たなか・あきひろ)/早稲田大学高等研究所助教

【略歴】
1975年東京生まれ。埼玉県立川越高校卒業。早稲田大学第一文学部心理学専修卒業。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(心理学)。国立身体障害者リハビリテーションセンター研究員、東北大学電気通信研究所研究員、東京大学大学院人文社会系研究科助手、オランダ・ティルブルグ大学客員研究員(日本学術振興会海外特別研究員)等を経て現職。専門は心理学、認知科学。著書に「認知心理学ワークショップ」(分担執筆、早稲田大学出版会)など。