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横野 恵(よこの・めぐむ)早稲田大学社会科学総合学術院専任講師 略歴はこちらから

臓器移植と家族
─改正臓器移植法によせて─

横野 恵/早稲田大学社会科学総合学術院専任講師

 7月17日に改正臓器移植法が全面施行された。8月26日の時点で、改正法で導入された規定に基づく臓器提供がすでに3件行われているが、いずれのケースでも提供の最終的な決定は「家族の総意」によるものであったと報じられている。この言葉が示すように、今回の法改正によって移植医療における家族の役割が大幅に拡大した。

家族の承諾

 改正臓器移植法では、臓器提供の意思決定において家族が重要な役割を果たす。改正前の法律では、法的脳死判定を受けて臓器を提供するという意思を本人が書面で表示していることが脳死下での臓器提供における必須の要件であった。これに対して改正法では、本人の書面による意思表示に基づく臓器の提供に加え、本人が法的脳死判定・臓器提供について諾否の意思を表示していない場合に、家族の承諾に基づいて法的脳死判定・臓器提供を実施することが可能となったのである。

 法的脳死判定を受け臓器を提供するという決定は、臓器提供者の生命維持治療を中止するという決定でもある。そのため、今回の法改正は、臓器提供の場面にとどまらず生命維持治療に関する決定のあり方全般に影響を及ぼす可能性がある。医療の現場では、患者本人の意思が確認できない場合、家族の意向に基づいて生命維持治療に関する方針を決定することは一般的であるが、実はこのような場面における家族の役割は法律上十分に根拠づけられているわけではない。医療上の決定においては患者本人の意思を尊重することが原則とされている一方で、本人の意思を確認しえない場合に誰が決定を担うのかについては明確な法的ルールがないのである。とくに生命維持治療の中止のような重大な決定を家族など本人以外の者ができるのか、かりに家族が決定できるとした場合にその決定の性質をどう位置づけるのか──本人の決定権を家族が代わりに行使するのか、本人の決定権とは別に家族には固有の決定権があるのか、あるいはあくまでも本人の意思に基づく決定が前提とされるべきであって、家族の意見は本人の意思を推定するための手がかりにすぎないのか──についてはさまざまな議論がある。

 臓器提供の場合に限定されるとはいえ、従来本人の決定が必須とされていた事項について家族の決定を許容するルールが改正臓器移植法によって導入されたこと、さらにはその根拠として身近な家族が本人の意思を忖度することは本人の意思の尊重につながるという考え方(国会答弁)が示されたことの意味は小さくない。このことが、生命維持治療に関する決定をめぐる医療現場での対応や、理論面での議論にどのような影響を及ぼすのか注視する必要がある。

ドナーとしての家族

 改正臓器移植法によって、親族への優先提供の意思表示に関する規定が導入された。臓器提供の意思と併せて臓器を親族に優先提供するという意思を表示することができる(本人の書面による意思表示に限られる)。これにより、生体移植のみならず、脳死・心停止下での移植においても家族がドナーとなる可能性が出てきた。

 わが国における臓器移植の大半を占めてきたのは生体移植である。とくに腎臓や肝臓など生体移植が可能でかつ移植希望患者の多い臓器に関しては、1997年の臓器移植法成立により脳死移植が実施されるようになった後も、生体移植が拡大しつづけてきた。臓器移植法改正に伴って脳死ドナーからの臓器提供が増加しても、移植の多くを生体移植が占める状況は容易には変わらないだろう。

 生体移植における臓器ドナーは原則として患者の親族に限定されている。これは血縁者間の移植であれば組織適合性が高く良好な治療成績を望めることや、親族であれば自発的に臓器を提供する蓋然性が高く臓器売買や臓器提供の強制を排除することができるといった理由によるものだが、限られた範囲の中でのドナーの選択は候補者とされる人への圧力につながり自由な意思決定を妨げると指摘されている。また、臓器の提供は健康なドナーの身体を傷つけ、健康上の問題を残すことも少なくない。生体移植はドナーの家族が心身両面で大きな負担を引き受けることによって成り立っているのである。

 わが国では、脳死臓器移植について世界でも類を見ないほど激しい議論が行われ、長い時間をかけて臓器移植法が作られた。これに対して生体移植については、その是非や適正な実施のあり方についての社会的な議論は乏しく、規制する法律もない。社会は生体移植を患者とその家族の問題ととらえて関心を払ってこなかったのではないだろうか。

「家族の思い」だけでいいのか

 改正臓器移植法による家族の役割の拡大が、家族の切実な思いの実現につながる場合もあるだろう。他方で、家族の思いが前面に出されることによって、移植医療の実態や問題が見えにくくなってしまうことはないだろうか。2003年に生体肝ドナーが死亡したケースでは、病院はリスクを把握していたが、ドナー(患者の母)の強い希望を受けて手術に踏み切ったとされた。改正臓器移植法に基づき家族の承諾で実施された脳死移植に関しても、臓器移植ネットワークが、家族の思いを強調する一方で、家族の希望を理由に提供の具体的な経緯を明かさなかったことに批判が集まっている。家族の思いが強調されることで、脳死移植の実態が見えにくくなれば、脳死移植もまた患者・ドナーと家族の問題とされ、社会が関心を失ってしまう可能性がある。

最後に

 改正臓器移植法で前提とされている家族像は、たがいに意思を忖度でき、家族への優先的な臓器提供を望むような、密接な精神的つながりをもった家族である。家族とのつながりをもたずに生きていくことがそう困難ではない現代において、そうした家族像を前提とする制度のはらむ困難さ、危うさについても意識する必要がある。

横野 恵(よこの・めぐむ)/早稲田大学社会科学総合学術院専任講師

【略歴】
1997年早稲田大学法学部卒業。早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了、同博士課程退学。早稲田大学法学部助手、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て2006年より現職。専門は医事法・英米法。

【主な著作】
『新生児医療現場の生命倫理─「話し合いのガイドライン」をめぐって』(共著)(メディカ出版、2005年)、『子どもの医療と生命倫理─資料で読む』(共編著)(法制大学出版局、2009年)