早稲田大学の教育・研究・文化を発信 WASEDA ONLINE

RSS

読売新聞オンライン

ホーム > オピニオン > 社会

オピニオン

▼社会

山本 恵子(やまもと・けいこ)早稲田大学文学学術院助教 略歴はこちらから

スーパーマーケットの美学

山本 恵子/早稲田大学文学学術院助教

 7月も半ばを過ぎ、春学期の授業も試験・レポート期間前の山場を迎えている。私が担当する講義「生活環境美学」も残すところあと1回となった。生活環境美学とは、これまで芸術が中心であった美学の対象を、衣食住をはじめとする身近な生活の場へと拡大し、「美」「感性」「五感」といった美学的視点を切り口として、広く文化を考察する授業である。例えば多くの人が毎日のように足を運ぶスーパーマーケットの食品売場も考察の対象となる。

 スーパーマーケットとは、よりよいものを得ようとする消費者の強い欲望が、さまざまな商品と対峙する戦場である。食品偽装や農薬、添加物の話題にも敏感で、食には気を遣っていると自負する消費者も足繁く通う戦場――。ところが実際の購入プロセスをよくよく反省すると、買おうとしている当のもの「そのもの」を十分に吟味して購入が決定されているわけではないことに気づかされる。多くの商品が「パッケージング」されているからである。例えば大きさが均一な複数個のトマトが1つのトレイに収められ、上部をラップで包装されている。これは特に日本で多く見られる光景であるが、私にはここにスーパーマーケットにおける感性に関する2つの問題が潜んでいるように思われる。

左がドイツ、右がオーストリアのスーパーマーケットでのトマトの陳列風景。一般的に欧米では野菜は種類ごとに、無包装でばらばらに積まれているので、1つ1つ自分で手にとって野菜を選ぶことが可能である。

消費社会における無感性化

 現代は「感性の時代」であるといわれる。「感性消費」という言葉が『現代用語の基礎知識』に登場したのは1985年であり、現在では経済産業省の施策として「感性価値創造イニシアティブ」が策定されている。高性能、信頼性、低価格に続く第4の価値軸としての「感性」が注目を集め、色や触感に関する感性マーケティングが重視されている。なるほど近所の野菜売場でもトマト3個入りのパックが大量に美しく整然と並べられており、売場全体が消費者の感性を強く刺激するように作られている。表現方法は様々だが、ますます感性化は進んでいる、そのような印象を受けることも多い。

 しかしドイツの美学者W.ヴェルシュはこれを感性化ではなく「無感性化(Anästhetisierung)」と表現する。ショッピングゾーンなどの消費を演出する場面では、興奮をかきたてる感性的価値が瞬間的にわたしたちを圧倒する。しかしながらその細部に注目し観察すると、表面的で瞬間的な刺激以上のものは何も見出せない空虚、すなわち無感性化が、生じていることに気づかされる。あふれかえる感性的な情報によって逆に感性が麻痺させられるような状況が至るところで生み出されているというのである。こうした瞬間的な刺激によって購買を促すような感性化は、確かに個々の品物に注目する感性が働かなくなるような状況を生み出しやすいといえよう。

もうひとつの無感性化

 しかし売場全体の過度な感性化にとらわれまいと固く心に決めてトマトに注目しようとしたとしても、もうひとつ別の無感性化がさらに行く手をふさいでくることになる。それは、消費者がラップ包装のために野菜の手ざわりや匂い、質感などから遠ざけられることにより、豊かな五感の使用が疎外されるということである。ちなみに最近のトマトには匂いがないという声が聞かれることがあるが、パッケージングがその要因のひとつであるように思えてならない。なぜならパッケージングは、もう〈匂いがなくてもよく、手ざわりがよくなくてもよい〉トマトを許容する装置そのものだからである。パッケージングの過剰は環境問題などでよく批判されるが、このように感性論の領域においても重大な問題を含んでいる。

 とはいえ、包装されていて「触れない」、したがってよく「選べない」はずの野菜を、あたかも主体的に選んで買っていると思い込んでいる消費者も多い。それはなぜなのか。

 商品を選択するときに、もはや匂いや触感などの観点が必要とされないかわりにラップの上にはたくさんのシールが貼られている。シールには値段や生産地にはじまり生産者の氏名や顔までもが示されている。つまり文字表示が、消費者の商品選択における最も大きな判断材料となっているのである。2002年から2007年を中心に乱発した食品偽装表示問題をきっかけにトレーサビリティへの取り組みが促進されるなど、食品における情報の可視化が飛躍的に進んだこともその背景にある。

 しかし食品偽装表示問題の際に同時に明らかになったことがある。それは、これまで習慣的に文字表示に頼り続けてきた結果、消費者は肉を見ても、食べても、国産品か輸入品かを自分で見極めることができない状況に陥っていたことである。それゆえ、食品偽装問題において文字表示の真偽が疑われるようになったとき、消費者は自分の五感ではなく、さらにメタレベルの表示、表示を保証する表示〔トレーサビリティ〕に頼らざるを得なかった。ますます退化してゆく五感の能力と、逆にますます偏重される文字表示。パッケージングは、受動的、非主体的な消費のプロセスを今日もわたしたちに強いている。ものと人間との間の距離は遠ざかってゆくばかりである。こうした状況に無反省的でありつづければ、日本の消費者の感性的価値判断能力の鈍麻は、今後一層避けられないものとなるであろう。

山本 恵子(やまもと・けいこ)/早稲田大学文学学術院助教

【略歴】
1974年生まれ、岡山県出身。武蔵野音楽大学卒業後、哲学に転向し、早稲田大学大学院文学研究科にて博士号を取得。早稲田大学文学学術院助手を経て、現職。ニーチェ哲学を足がかりとして、現代美学、文化哲学、生活環境美学、身体論の研究に携わっている。著書に『ニーチェと生理学』(大学教育出版、2008年)などがある。2009年度より料理研究家土井善晴氏らと「食の文化研究会」を主宰している。