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片田 房/早稲田大学理工学術院教授  略歴はこちらから

オートリンガル(AutoLingual)時代の到来
-AIテクノロジーが外国語運用能力像に革命的変貌をもたらす-

片田 房/早稲田大学理工学術院教授
2018.6.4

英語がサイバー・リンガ・フランカ(Cyber Lingua Franca)に吸収される時代

 情報通信環境のユビキタス化によって進行するグローバル化時代の21世紀は、コミュニケーション能力が重要な役割を果たす時代でもある。殊にグローバルな競争の前線に立つ理工系技術者に対し、国際共通語(リンガ・フランカ)としての英語によるコミュニケーション能力が強く求められ、英語教育に多大な社会的コストが費やされている。一方で、ユネスコが2月21日を国際母語デー(International Mother Language Day)と制定し、世界に存在する7,000もの多様な言語の尊重と、それぞれの言語(母語)による学校教育の重要性への認識を喚起している。英語一極集中と言語多様性尊重との間にどのようなバランスが見出せるのだろうか。世界に厳然と存在する言語格差(Linguistic Divide)なるものは軽減され得るのだろうか。

 振り返ること40年前、ハードディスクなるものを備えたPCが普及する直前の1980年代初頭といえば、機械翻訳やCALL等の教育ソフトウェア開発の黎明期であった。筆者は、当時米国においてその双方の分野に言語学の観点から言語アナリストとして携わった経験があり、その後日本において理工系学生の英語教育に長年携わってきた。その間に、AIテクノロジーは飛躍的な進展を続け、人の脳内のニューラルネットワークをコンピュータ上に再現するディープラーニングブームが到来している。このような変遷を振り返り、外国語運用能力像に革命的変貌をもたらすオートリンガル(AutoLingual)な時代が到来していることを提示したい。オートリンガルとは、「誰もがそれぞれの母語を使ってあらゆる言語の話者と意思疎通がとれるコンピュータスキル」と定義した筆者の2002年の言葉である。このコミュニケーション手段は、コンピュータ技術者が創り出すCyber Lingua Franca (サイバー・リンガ・フランカ)によって実現されるのであり、その機能は確固たる母語の力によって発揮される。リンガ・フランカとしての英語はこのサイバー・リンガ・フランカに吸収されることになり、ここに世界の言語格差を軽減する希望が見出せるのだ。そのような時代を牽引するのは、職人気質(しょくにんかたぎ)の理工系技術者であることを様々な物証を交えて以下に提示する。

母語が基盤となるオートリンガル時代のコミュニケーション

 約1年半前の2016年秋に、The Invention of Monolingualism(モノリンガリズムの創造)と題する興味深い書籍が米国で出版され、アメリカ応用言語学会2018年のブックアワードを受賞した。著者は、単一言語話者(monolingual speaker)の享受する恩恵を様々な角度から観察してやまないDavid Gramling(デービッド・グラムリング、アリゾナ大学准教授)である。この中で、Lawrence Summers(ローレンス・サマーズ、元ハーバード大学学長/元米国財務長官)の“What You (Really) Need to Know” (君たちが(真に)知るべきこと)と題する社説(2012年ニューヨークタイムズに掲載)が分析され、解説されている。サマーズ氏の指摘は、米国にて外国語教育に費やされる膨大な費用に疑問を投げかけるもので、「グローバル言語としての英語の浮上と機械翻訳の急速な進歩の下、アジアでのビジネスやアフリカの病気治療や中東の紛争解決に、外国語の力は必須ではない」と述べ、多言語教育の肯定的側面を強調する外国語教育界に一撃を放った。

 グラムリング氏は、筆者(Katada)の2002年の小論文“The Linguistic Divide, Autolinguals, and Education-for-All”(言語格差、オートリンガル、そして万人への教育)に言及し、サマーズ氏の社説が単なる無分別なアバンギャルド的な激発ではないことを証明する論文が10年も前の日本に既に存在すると述べている。筆者(Katada)は、この小論文で、世界の言語格差を解消し、EFA(Education for All)を実現させるのは、IT技術から生み出されるオートリンガルだと主張した。非英語圏が英語圏に迫る英語運用能力を獲得することを期待するのは非現実的というものであり、英語をコミュニケーションの手段とする限り、言語不平等を解消することはできない。この場合の英語運用能力とは、思考を編成していける英語能力を意味するものであり、会話レベルとは一線を画すものである。思考を編成する言語能力は、「母語による教育」によって磨かれるものであり、ユネスコの制定した国際母語デーの精神もこれを認知してのことである。

 筆者は更にコストパフォーマンスとの関連に言及し、1990年代後期に既に開始されていたコンピュータ技術者による多言語同時翻訳・通訳機器の開発に明るい未来が託せることを予見した。サイバー・リンガ・フランカと名付けたこのコミュニケーション手段により、人々はオートリンガルとなり、フランス語で書かれた文章をスワヒリ語で直接読めることは夢ではなくなったのである。人々は、其々の母語によって思考し、発信する。多様な母語の間を結ぶコミュニケーションの手段―それがサイバー・リンガ・フランカなのである。その後、AIの開発が急速に進み、オートリンガルの時代が実際に到来している。この方向は今後益々進展し、人々のコミュニケーション能力像が大きく変遷していくものと思われる。

 サイバー・リンガ・フランカとは、コンピュータ技術者が開発するものであり、人々がこれまでの英語のように学習しなければならないものではない。すべて其々の母語のレベルで勝負できるのである。この意味において、言語格差は軽減されると解釈できよう。しかし、これはまた、母語の確固たる知識と運用能力の重要度が増すことを意味する。

語学教育政策への想い

 国際的な意思疎通の手段が必要であることに疑いの余地はない。しかし、人間にとって認知的にも自然で最適な多言語運用能力とはどういうものかを再考する時期にきている。英語が世界の共通語になった今でこそ、英語という言語がどのような構造的特質をもち、なにが問題なのかを世界が再認識する必要性がある。また、AIの飛躍的な進展を視野に入れた語学教育の必要性を認識することは、グローバル化時代の国家的な競争力を支える基盤についての考えを深めるためにも重要である。英語だけが極端にできないという人々から悩みの相談を受けることもたびたびある中、オートリンガルな時代においてはそのような悩み自体が存在しない、との逆説的な見解に、肯定的なアバンギャルド性を見出すことも人生の開拓には必要なことではないだろうか。

参考文献

Katada, Fusa (2002) “The linguistic divide, autolinguals, and the notion of education-for-all.” Proceedings of the International Conference on Computers in Education.
Gramling, David (2016) The Invention of Monolingualism. New York: Bloomsbury Academic.
Summers, Lawrence (2012) “What you (really) need to know.” The New York Times. 20 January.

片田 房(かただ・ふさ)/早稲田大学理工学術院教授

【略歴】
東京学芸大学教育学部数学科卒。南カリフォルニア大学大学院言語学博士(Ph.D.)。1982年米国労働省認定Scientific Linguist。SYSTRAN(機械翻訳開発研究所,カリフォルニア州ラ・ホヤ)、専修大学法学部を経て、1997年早稲田大学理工学部(現理工学術院)に着任。2009年マサチューセッツ工科大学(MIT)客員研究員、2013‐2014年理工系英語教育センター長を経て現在に至る。

研究分野は、理論言語学、非定型性認知・言語研究、音韻性英語ディスレクシアと外国語教育政策等。
主な研究プロジェクトに「ウィリアムズ症候群にみる音韻処理・生成能力と韻律構造の解明」、「大学におけるギーク症候群の実態とインクルーシブ教育の可能性の検証」、「才能と障害のインターフェイス:非定型発達児者にみる特異性メタ認知と多重知能の検証」、「バイリンガルとセミリンガルの狭間:グローバル化時代の言語格差と多言語運用能力像」がある。