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天野 正博(あまの・まさひろ)/早稲田大学人間科学学術院教授  略歴はこちらから

気候変動枠組み条約のパリ協定と森林の役割

天野 正博/早稲田大学人間科学学術院教授

顕著な地球温暖化の兆候と世界全体での取り組みの遅れ

 1997年の京都議定書では先進国は1990年比で温室効果ガス排出量を5%削減することが目標となった。当時の大気中のCO濃度は370ppm程度であり、400ppm前後で安定するだろうとの想定だったが、最大のGHG(温室効果ガス)排出国であった米国の京都議定書離脱や途上国の急速な工業化の進展により、2015年には400ppmを越してしまった。このため、「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の第5次評価報告書では温暖化対策だけでなく、地球温暖化を止めることの難しさから適応策が強調されている。

 こうした危機意識から、パリ協定は先進国のみが削減目標を設定した京都議定書とは異なり、全ての国が今世紀末の気温を産業革命以降の気温上昇2℃以下を目標に、COの排出削減に取り組むことになった。ただ、各国が約束した削減目標を取りまとめると今世紀末には2.7℃の温度上昇が見込まれることから、5年毎の見直しによって削減目標を高めていくことになっている。

パリ協定が目指す目標への取り組みと森林の役割

図1 パリ協定が採択した排出シナリオ
出典:IPCC第5次報告書 第一作業部会 SPM 2013

 図1に示したように、パリ協定の2℃目標は21世紀末にGHG排出量を0にすることである。ただ、化石燃料の使用を全く止めるのではなく、陸域や海域でのCO吸収量と排出量のバランスをとり、ネットで排出量を0にする。

 この目標を実現するには吸収源としての陸域生態系の活用が不可欠である。森林が中心的な役割を担うが、FAO(国際連合食糧農業機関)が編集した2015年の「世界森林資源評価」では図2に示したように、森林面積は年換算で330万haの減少傾向にある。これを熱帯林に限ってみると、人口急増および経済のグローバル化によるアブラヤシなどの商品作物のプランテーション拡大などにより、図3のように500万ha以上の森林が毎年消失している。このように、森林減少の多くは熱帯地域であり、減少によるCO排出量は人為起源排出量の10数%を占めている。一方で、森林は排出されたCOの約30%を吸収しており、パリ協定ではこの役割に期待をしている。熱帯林の大気中COの吸収能力は温帯林、北方林の3~5倍あり吸収源としての熱帯林の役割は大きく、熱帯林保全が出来ない場合はパリ協定の目標達成が難しくなる。そこで、パリ協定は第5条において「森林の減少及び劣化の抑制」を強調している。

 森林減少速度を半減するには毎年210-350億ドルの投資が必要だとIPCCは推定しており、政府間協力に加え民間の資金・人材の投入も期待されている。また、森林保全に一時的に成功しても、森林火災や違法伐採があれば森林中の炭素は大気中に放出されるため、森林地域の貧困の解消や住民、村落の森林管理能力の向上が必要である。

図2 世界の森林面積の推移(FRA2015より作成)

図3 年平均の熱帯林の減少面積(FRA2015より作成)

短期的な便益追求の経済と、長期的な環境便益

 気候変動の影響が顕著になるのは数十年先であり、人々が地球温暖化に直面する将来世代を想像できる能力が必要である。森林保全も同じ問題を抱えている。短期的な便益を考えれば、森林を伐採しての木材販売、あるいは農地に転換し農産物を栽培した方が有利である。現在の森林減少・劣化はこうした短期的な経済性を重視する人為活動の結果である。

 健全な森林には炭素固定だけでなく、水源かん養、気候緩和、土砂流出防止、非木材生産物、レクリエーションの場の提供など多くの便益がある。とくに、複雑な生態系から構成される熱帯林の再生には極めて長期の時間が必要であり、いったん自然環境が劣化してしまうと将来世代もそのまま受け入れざるを得ない。大気中の放出された温室効果ガスの回収が困難な気候変動も同じである。

自然環境を管理するためのガバナンス

 途上国の森林は公的な所有で管理主体が明確でない社会共通資本的な扱いを受けることが多く、誰かが森林を破壊しても責任の所在は曖昧である。次世代にとって良質な社会共通資本としての自然環境は重要であっても、現代の世代にとっては将来の自然環境よりも、現在の経済的便益を優先したい。米国では職を得ることが困難な人々の支持でトランプ新大統領が誕生したと言われている。政権を選ぶ権利がない将来世代よりは目の前の経済的便益を優先するのは、支持してくれた選挙民のことを考える政治家には当然の選択かも知れない。

 長期的視点で森林を保全するためには、地域社会の合意と関係者が協働しての自然資源管理というガバナンスが必要である。地域の人々が目に見えない森林の環境的な便益を認識でき、将来世代に引き継ぐ自然環境を想像できる能力の獲得と、それを管理する地域社会を構築することが、持続的な森林保全に必要である。気候変動問題においても、社会共通資本である大気を共同で管理する国際社会の確立と、それを支持する市民の育成が必要とされる。そのためには、次世代の地球環境を考え、環境配慮行動を実施できる市民を増やす取り組みが重要となる。

天野 正博(あまの・まさひろ)/早稲田大学人間科学学術院教授

【略歴】

1972年名古屋大学農学研究科修士課程修了、森林総合研究所において森林資源管理、林産物の長期予測に関する研究に従事、1980年代より熱帯林減少問題も携わるようになり、JICAの専門家として多くの森林保全プロジェクトに参加、1980年代後半より地球温暖化と森林の関係についての研究も行っている。2003年より現職。

【最近の著書・論文】

天野正博、京都議定書の森林吸収の扱いを巡る科学的考察、環境情報科学、37-1、9-14(2008)
Amano, Masahiro、Expectation of LiDAR on Forest Measurement in Kyoto Protocol、Journal of Forest Planning、Vol. 13、275-278(2008)

天野正博、森林科学、文永堂出版、250-263 著書(2007)
Amano, Masahiro, Roger Sedjo,Forest Sequestration:Performance in Selected Countries in the Kyoto Period and the Potential Role of Sequestration in Post-Kyoto Agreements, An RFF Report、 Resources for the Future,1-58,2006