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野村 亮太(のむら・りょうた)/早稲田大学人間科学学術院・准教授  略歴はこちらから

劇場認知科学という挑戦

野村 亮太(のむら・りょうた)/早稲田大学人間科学学術院・准教授
2022.3.28

 早稲田大学は古くから演劇研究が盛んです。1909年に坪内逍遥によって開設された演劇研究所や1928年に設立された早稲田大学坪内博士記念演劇博物館はその象徴でもあります。これまで演劇の研究は、その多くが人文科学や建築学の分野で行われてきました。その一方で、2010年以降には演劇や落語・文楽といった舞台表現を認知科学という学問分野で研究する動きも盛んになっています。このオピニオンでは、私の研究室で行っている劇場にまつわる認知科学(以下、劇場認知科学)について、最新の研究をご紹介していきます。

 認知科学は,人間の行動の背景に認知活動を想定し、そうした認知の仕組みを研究する分野です。人文科学としての演劇研究が、典型的には演劇の歴史や表現の変遷を調べるために数十年単位を扱うのに対して、劇場認知科学は表現と鑑賞が生じているごく短時間、具体的には数秒から数十分を扱うという特徴があります。

 私の研究室でも、伝統的な心理学実験により、表現が観客一人ひとりにどのように作用するのかを調べています。また最近では、観客の生理的反応から逆に表現の訴求力を定量化する試みも行っています。図1には、音楽を聞いてもらっている際に生じる心拍変動から再構成した音楽の訴求力を示しています。再構成した訴求力がサビメロディで強くなるという結果は、私たちの素朴な理解を精緻に理論化するための根拠になりえます。なお定量化には、物理学の一分野である非線形科学の理論を応用し,複数試行で得られた1観測変数の時系列データから,共通入力を再構成する手法[1]を用いています。

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図1 中島みゆきが歌う「糸」の訴求力。男性1名に閉眼条件で楽曲を繰り返し聴いてもらっている間に測定した心拍間隔データから訴求力を再構成した(mは時間遅れ座標の次元数)。再構成時系列は120秒から始まる「縦の糸はあなた」の箇所(A)、1分56秒以降で歌唱が再開する箇所(B)、2分23秒から230秒「こんな糸がなんになるの」の箇所(C)に加えて、333秒付近の後奏でサビメロディを含んだ部分(D)で振幅が大きくなった。木村真実さん(ゼミ3年生、掲載当時)による口頭発表[2]より引用。

 さらに、表現が鑑賞者へ与える作用を調べる際には、心拍といった生理指標だけではなく、様々な行動指標も利用することができます。例えば、映像作品全般に広く適用できる行動指標として瞬目が挙げられます。地方PR動画を用いた実験[3]では、瞬目数によって動画への好意度をおおまかに予測できることが明らかになりました(図2)。

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図2 視聴中の瞬目数による動画への好意度予測
決定係数は0.40であり、分散は大きいもののデータの一部を予測できた。村田仁志さん(ゼミ卒業生)の2021年度卒業論文[3]のデータから再作図した。

 劇場では、多くの観客が同時に鑑賞をするので,個人内の過程だけではなく個人間の過程が果たす役割も忘れることはできません。普段よく経験するように、ある観客が笑えば周囲の観客もやはり楽しくなる傾向があります。こうした対人相互作用のメカニズムを明らかにすることも、劇場認知科学の重要な課題の一つです。この問題について、私の研究室では、観客間の相互作用を数理モデル化し、電脳空間に再現した劇場において、客席での笑いを媒介にした快感情の伝播(情動伝染)や同期の性質を調べています。その上で、ネタ数やネタの強度を一定にして、観客の反応が最大になる配置を探索する数値実験にも取り組み始めています。

 新型コロナウィルス感染症がパンデミックの様相を示すなかで、劇場認知科学は実世界への貢献も強く期待されるようになってきました。2020年以降、舞台表現のオンライン配信が急増しました。オンライン配信ではどうしてもライブ感(liveness)が失われてしまうという問題意識から、20213月に国際シンポジウムが開かれました。このシンポジウムには、エンターテインメント業界が大きな市場を有するヨーロッパ諸国、アメリカ合衆国だけではなく、世界中の多くの国から実践者と研究者が集い、ライブ感の喪失問題について議論しました[4]。しかしながら、明確な解決方法は現時点ではまだ得られていません。私の研究室としても、オンライン配信を一人で視聴する際に、どのような操作によってライブ感を取り戻し楽しめるようになるのか、その条件を解明しようと複数の学生が日々研究に取り組んでいます。

 と、ここまで紹介してきて、劇場認知科学という研究は、伝統的な演劇研究からみるとやや急進的なのだなという印象を抱いたかもしれません。そうした見立てはおそらく正しく、ともすれば異端であるということも否定しません。それでもなぜこのスタンスで研究を続けるのかと言えば、私たちがこの数年に行う研究を基盤に、10年後や20年後ひいては100年後の研究のあり方が組み上がっていくと信じているからです。日本には,文化を色濃く反映した多種多様な芸能があります。加えて、理論的基盤となる非線形力学系や同期理論の研究層が厚いという希望もあります。劇場認知科学は、いまはまだローカルな研究活動に過ぎませんが、世界に広がっていく可能性を秘めています。日本発の劇場認知科学が、ゆくゆくは各国の研究グループに広がり、劇場研究における世界標準規格となることを願っています。


引用文献

[1] Nomura, R. (2019). A Computational and Empirical Study on Blink Synchronization Induced by Performer's Inputs. Doctoral Dissertation, Tokyo University of Science.
[2] 木村真実・野村亮太 (2022.3) 人の心を動かす音楽の力の再構成 情報処理学会第88回全国大会発表予稿集.
[3] 村田仁志 (2022.3) 視聴行動に基づく地方 PR 動画への好意度予測 早稲田大学人間科学部2021年度卒業論文.
[4] Nomura, R. (2021.3). Recurrence-based reconstruction of performer's input with using audience's blink responses. Online liveness symposium: Conceptualising, practicing, and measuring liveness. Goldsmiths, University of London, UK.

野村 亮太(のむら・りょうた)/早稲田大学人間科学学術院・准教授

1981年生まれ。2008年九州大学大学院人間環境学府博士後期課程修了。2019年東京理科大学大学院工学研究科博士後期課程修了。博士(心理学)、博士(工学)。東京大学大学院教育学研究科特任助教、鹿児島純心女子大学人間教育学部講師を経て2020年より現職。

近著に「やわらかな知性 認知科学が挑む落語の神秘」、「舞台と客席の近接学ライブを支配する距離の法則」(いずれもdZERO)がある。