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浅野 豊美(あさの・とよみ)/早稲田大学政治経済学術院教授 略歴はこちらから

和解学の創成
東アジア地域問題解決を目指す市民的意識の共有に向けて

浅野 豊美/早稲田大学政治経済学術院教授

 現代人の道徳観念、正義観念は、国民という共同体を無視しては語ることができない。一方、人権に係わる普遍的価値が存在することも事実である。では、国民的な価値の手段とされないような普遍的な価値は存在し得るのか。そもそも、普遍的な価値を実現する上で国民的な価値と一切無関係ということがあり得るのか。さらに、国民的な価値を和解させ、その土台の上に、普遍的な価値をともに支えることはできないものなのか。

 こうした疑問を念頭にしながら、「和解学の創成」は学問上の新領域を、果敢に開拓せんとするプロジェクトである。正式名称「和解学の創成-正義ある和解を求めて」は、平成29年度「新学術領域研究(研究領域提案型)」に新規採択された。学問上で和解学という新しい領域を開くためのカギとなるのは、欧米で発達している紛争解決学と移行期正義論である。それらが国際関係論や比較政治学、社会学を母体として欧米で発展してきたことを踏まえ、それらを国民的価値が重視される東アジア固有の歴史的文脈と結び合わせるのが「和解学創成」の基本コンセプトである。和解学の最終目標は、ネーションが想像されるのと同様に、各国民が各々のやり方で和解を「想像」し得るような社会的基盤となる学問体系・学知の構築である。

 このプロジェクトでは、5つの研究計画班によって実証的分析を遂行する予定である。班の配置は国民的な正義を支える五つの主体、すなわち政府・知識人・大衆・市民というアクターに即する。それらが国内で、そして国境を越えて、重層的に織りなす関係および共有される価値と文化に焦点を当て、歴史をめぐる問題の起源と展開の構造を明らかにしていきたい。その基盤の上に、可能であれば、ネーション相互の関係を想像するための知的インフラのあり方を提言し、東アジア地域の市民的意識の共有に向けた文化・教育政策の呼び水となりたいと願わずにはいられない。

 各班の詳しい紹介を行おう。

 政治・外交班(つくば大学:波多野澄雄代表)と市民運動班(東京大学:外村大代表)は、和解に関する実証的な研究に取り組む班である。前者は政府に焦点を当てて冷戦下に作られた政府間和解ともいうべき国交正常化の枠組みが、どのように国民的正義を求める市民運動・国民感情を封印していたのかが問われる。他方、後者ではそうした枠組みに異議申し立てを行ってきた市民に焦点を当てて、政府による封印が冷戦後にいかに不安定化し異議申し立てにさらされたのか、いかなる和解と正義の観念が市民運動の中に存在したのかが焦点となる。二つともに、「正しい和解」とでもいうべきものが、どのような形で想像されていたのか、また、想像されるべきと考えられていたのかが問われる。

 次に、表象や言説が分析の焦点となるのが、歴史家ネットワーク班(早稲田大学劉傑代表)と、和解文化・記憶班(領域代表が兼任)である。この二つの班は、1990年代以後の冷戦終結を受けた民主化とグローバル化に対応した歴史問題をめぐる新しい試みに焦点を当て、なぜそれが機能不全を起こしたのかを、和解の政治・社会的構造にさかのぼって検証するチームである。前者では政府間で合意された歴史共同研究事業が、後者では映画・ドラマ等の共同制作の興隆と衰退が焦点となる。

 こうした実践と表象のレベルを結びつけ、東アジア固有の歴史的文化的特性を背景として、国民感情と一体となった「正義」のあり方、そして和解の想像の条件を探るのが、思想・理論班(早稲田大学梅森直之代表)である。

「和解」のための地域的国際的に強靭な連携

 総括班は、以上のような知見に基づく研究成果を国際的に発信しつつ、強靭な国際的連携の構築に当たる。和解の想像を可能ならしめる必要条件ともいうべき、知的インフラを支える人的ネットワークが構築されることであろう。

 実証・事例研究の部分は、世界の歴史紛争一般と東アジアの歴史問題についてのウェブ歴史辞典、『世界紛争歴史事典(仮)』として整備し公開したい。また、研究成果は、英語の叢書、Reconciliation Studies’ series (仮)としてまとめ、日本語においても分かりやすい実践的な『和解学』教科書を発行する予定である。さらに、人的なネットワークのハブとして、若手を中心に、公募によって和解学関連研究を充実させていく。

 今後の世界が、より一層、ナショナリズムの悪循環に陥っていくとすれば、植民地責任追及の手は、いずれ、西欧諸国にも伸びていくことであろう。その際に和解学の知見は、大いに発展性を有する研究成果となろう。世界に通用する学問の世界的発信こそが、和解学創成の意義である。「和解」という名に値する新たな関係の構築が東アジアで達成可能なものなのか否か、早稲田大学を基点とする本プロジェクトこそが、その課題に立ち向かい検証する使命を背負っている。そんな緊張感を持って、このプロジェクトに望みたい。

和解学の4つの分析対象と学際的構造

浅野 豊美(あさの・とよみ)/早稲田大学政治経済学術院教授

早稲田大学政治経済学術院教授(日本政治史担当)、専門は、日本政治外交史・東アジア国際関係史。特に、戦後日本とアジア諸国との国交正常化を日本帝国の解体とアメリカによる再編成過程としてとらえ、賠償問題を歴史的に異なる角度から検証してきた。著書に、『帝国日本の植民地法制―法域統合と帝国秩序』(名古屋大学出版会、2008年:大平正芳賞、吉田茂賞)、『戦後日本の賠償問題と東アジア地域再編』(慈学社、2013年)がある。1988年3月 東京大学教養学部国際関係論学科卒業、1998-2000年 早稲田大学アジア太平洋研究センター助手、中京大学国際教養学部教授、米国ウィルソンセンターフェロー等を経て、2015年4月から現職。