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柏 雅之(かしわぎ・まさゆき)柏 雅之 略歴はこちらから

「世界食料危機」を読み解く
―悲観論と楽観論とのはざまで―

柏 雅之/早稲田大学人間科学学術院教授

1.1973年食料危機とその後の農産物過剰基調

 20世紀後半以降、世界は2度の食料危機に直面した。最初は1973年である。その数年前から世界同時不作のため減少傾向にあった世界の穀物期末在庫率は1972年には15.4%という記録的低水準となった。同年にはソ連が国民の畜産物消費増加のため、穀物の純輸入国となっている。不作下でのソ連の穀物大量買い付け等を要因に1973年危機は発生し、アメリカは短期間ではあるが大豆禁輸措置をとった。その衝撃は大きく、「マルサスの亡霊がよみがえった」ともいわれ、穀物は核と石油に次ぐ「第3の戦略物質」ともよばれた。

 しかしその後、当時の欧州共同体(EC)をはじめ少なからぬ国が農産物増産に舵を切り、穀物需給は大きく緩和していく。ECは共通農業政策での輸入課徴金で国境保護をとりつつ、手厚い農産物価格支持によって域内農業を保護した。その結果1980年代に至り過剰に悩まされることとなった。ECは生乳生産割当制度(1984)等を、アメリカも生産調整等を発動した。世界の穀物市場は大きく過剰基調となったのである。過剰を解消できないECは過剰農産物を輸出補助金によって途上国に輸出し、それに対抗してアメリカも同補助金を用いるなど財政負担によるダンピング合戦となった。こうした先進国の農業保護による市場の歪みの解消をテーマに、ガット・ウルグアイラウンドの農業交渉が1986年に開始され、93年に価格支持など生産刺激的な農業政策を削減する基本ルールのもとに妥結した。しかし長らく続いてきた需給緩和基調が変わったことを思い知らされたのが2008年危機である。

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図1 穀物等の国際価格の推移
引用:農林水産省資料

2.2008年食料危機

 1986年には35.7%にまで上昇した世界の穀物期末在庫率はその後も高い水準を保ってきたが、今世紀に入り急速に減少し、2006年にはFAOが定めた在庫水準の危険水域に大きく接近した(17.1%)。2008年にはブラジル、インドなど9ヶ国が食料輸出禁止令を、中国、ベトナム、アルゼンチンなど5ヶ国が輸出税や輸出枠設定を行った。また同年にはチュニジアやエジプトを含む20ヶ国で食料をめぐる抗議運動や暴動が起こった。2008年後半以降、穀物価格は急落し沈静化するかに見えたが、2010年7月以降再度急上昇し、2011年9月現在、2006年秋頃と比較して2.6~3.3倍の水準となった。トウモロコシは2011年6月10日に309.8ドル(トン当たり)と史上最高値を記録した。

 今般の食料危機の背景は中国、インド等の新興国の経済成長である。それは原油等の資源価格の高騰と、新興国民の所得増による畜産物消費急増をもたらした。

 食生活の高度化は飼料穀物の需要急増を意味する。中国政府は「食糧三種」(コメ、小麦、トウモロコシ)の自給維持を基本としているが、飼料需要の急増でトウモロコシが2010年に純輸入国となった。今後の輸入拡大は人口超大国であるため世界市場に衝撃をもたらす。一方、「食糧三種」からはずれている大豆の輸入拡大はすさまじい。純輸入国となった1995年に29万トンだった輸入量は急増し、2010年には5480万トンに至った(世界大豆貿易量の60%)。ただし、レスター・ブラウン(1995)が指摘したように(『だれが中国を養うのか』ダイヤモンド社)、中国人の食生活の高度化がアメリカ人なみの畜産物消費水準にまでなることには疑問がある。中国都市部での畜産物の需要の所得弾力性が近年大きく低下しているという有識者の指摘がある。また高所得国である日本の一人当たり年間肉類消費量が飼料の穀物換算量でアメリカ人の34%に止まっていることは、同じ東アジアの中国の食生活変化パターンが欧米とは異なる可能性があることを示唆する。他方、中国の農業生産は停滞している。農地転用、水不足、土壌流亡や退耕還林政策によって耕作面積が大きく減少している現状も指摘しておく。

 今世紀になって原油価格高騰を背景にトウモロコシ(アメリカ)やサトウキビ(ブラジル)を原料とするバイオエタノール需要が急増した。2007年のブッシュ前大統領の一般教書演説に続く同年12月成立の「エネルギー自立及び安全保障法」では再生可能燃料使用基準(RFS)を2022年までに360億ガロンとすることが示された。アメリカでは原料のトウモロコシ需要が急増し、飼料用トウモロコシ価格上昇のために飼料用に転換した小麦の価格上昇を招き、またトウモロコシ作付面積急増は大豆作付面積を減少させその価格上昇を招いた。原油価格高騰に始まる連鎖的な穀物価格上昇である。

 以上のように世界は農産物需要において新たな局面に入ったといえる。こうした背景のもとに、投機マネーが流入して今般の危機は発生したといえよう。期末在庫率と価格の負の相関ライン上を、2008年は大きく上方にとびだしていることが指摘されている。

3.「不足」の解消と低所得国の栄養不足人口問題

 農産物の需要構造が増大へとシフトすれば、価格が上昇し、供給増と需要減によって調整され農産物の「不足」はなくなる。さらに価格上昇によって技術進歩が促されれば供給構造が変化して高止まりする価格も下がっていく。したがって単純な悲観論は適切ではない。

 しかしそこには2つの論点がある。第1は、需要減少をともなう「不足」の解消が低所得国にもたらす影響である。高所得国とは異なり貧しい国の需要の価格弾力性は低くない。低所得国では、弾力性の低い高所得国と比較して需要の減少幅が大きい。食料のニーズは高くとも需要は大きく減少する。それによって、健康を維持する最低限の栄養水準を貧しい国のより多くの人々が確保できなくなることが大きく憂慮される。すでに世界には8.5億人の栄養不足人口があり、その96%が途上国であるであることを忘れてはならない。

4.急速な供給構造の変化は可能か

 論点の第2は、急速な技術進歩による供給構造のシフトが現実に可能かである。農業は工業とは異なり農耕に適した土壌をもつ耕地が不可欠であり、その拡大には限界がある。耕地拡大の限界を補ってきたのが、単位面積当たり作物収量(単収)の増大である。20世紀初頭に人類は空中窒素の固定による化学肥料を手にした。それによって人類は、従来の地域内物質循環の制約下での農業生産という限界から解放された。1960年から2000年に至る40年間で、世界の収穫面積はほとんど増えていないのに対して、単収は2.2倍となり、穀物生産量も2.3倍となった。しかし、単収と生産量の年平均増加率は1960年代以降一貫して急速に低下してきた。そして世界の可耕地面積も土壌流亡、過放牧、塩害、水不足などから近年とみに減少しつつある。

 他方で単収増加の鈍化や可耕地の荒廃化は、この間の農産物価格の低迷、実質的下落によるものとの指摘がなされうる。たとえば先進国と途上国の耕地間の単収格差の存在は、価格上昇による低単収地域での資本集約化による単収増の余地が大きい可能性を示す。またかつて「穀倉地帯」とよばれたウクライナなど旧ソ連の生産停滞も、価格上昇の下で灌漑施設整備が実現すれば単収の増加や旱魃による変動抑制の可能性が浮上する。また、ブラジル中部の広大なセラード地域は酸性土壌であり、放牧はされても耕作地としての利用はなかった。しかし1979年以降の国際協力事業団と共同の土壌改良事業で大豆等の作付けが可能となった。まだ未改良のままの広大な面積が価格上昇によって改良が進み耕作地化するかもしれない。アフリカのサハラ以南地域でも土地改良が進み耕作されるようになるかもしれない。

 価格上昇は差額地代がゼロとなる耕境を限界外地に押しひろげ、採算の合う可耕地を広げる働きをもつ。生産性が低いがゆえに耕作放棄されていた農地が耕堺内に戻ることも考えられる。また価格上昇で欧州連合(EU)は生産調整を解除した。

5.現代農業の持続可能性―資源・環境問題―

 低所得国の栄養不足人口増加は、仮にではあるが経済成長により所得が増加して需要曲線が右上にシフトする、あるいは技術進歩によって供給曲線が右下へシフトすれば解消に向かいうる。バイオ燃料問題もトウモロコシ等の価格上昇により不採算となれば、食料と競合しないセルロース系の「第2世代バイオマス」の技術進歩が促進されるかもしれない。では、市場の調整機能は悲観論を払拭するのか。

 現代農業を持続可能性の面からみると違った姿もみえてくる。3点を指摘する。第1に、土壌流亡、塩類集積などの土壌劣化、地下水位低下などの農業資源問題は、高い生産力をもち政府の厚い補助を受けてきたアメリカや、最高水準の生産力をもつオーストラリアなどの農業超大国でも深刻化している。アメリカでは1トンの小麦生産で1トンの土壌流亡が発生するともいわれている。地表の30cmの表土が土壌微生物によって形成されるには100年以上かかるといわれているのにである。土壌劣化による耕地喪失は、新たな農地開発の効果を帳消しにしてきた。

 第2に、地域内物質循環に制約されてきた慣習的農業とは異なり、土地および労働生産性の高い現代農業は枯渇性のエネルギーと物質に依存していることである。先進国農業のみならず、多収量品種開発を契機とする東南アジアでの緑の革命も、灌漑による豊かな水資源のコントロールに加えて、化学肥料や薬剤の多投があって実現した。現在、リン鉱石やカリ鉱石の枯渇が深刻化している。エネルギーに関して、農業環境技術研究所の宇田川武俊氏の研究によれば、1950年から75年までの25年間に日本の水稲単収は1.53倍に増加したが、エネルギー投入量は5.15倍に急増した。また、1950年に1kcalのエネルギー投入によって1.27kcalのコメが生産されたが、1974年にはわずか0.38kcalのコメしか生産されなかった。エネルギー収支は大幅な赤字であり、そこには「農業は唯一のエネルギー産出産業」の面影はない。1950年の日本稲作は手労働や畜力に依存した従来型の時代であり、他方75年は田植機を含む中型機械化体系が普及し機械化と化学化が大きく進んだ時期である。生態学者のE.A.オダムは「収穫量を2倍にしようとすると肥料、農薬、労力をおよそ10倍にする必要がある」と指摘した。

 第3は、現代農業がもたらした環境破壊である。「沈黙の春」(レーチェル・カーソン)をあげるまでもなく農薬問題は深刻である。また、欧州では1980年代に深刻な農産物過剰に直面する。それは化学肥料多投や家畜飼養密度増大など過度の集約化によってもたらされ、土壌や地下水汚染など深刻な環境問題を引き起こした。欧州の共通農業政策で、その軽減をめざす農業環境政策が導入されたのは1980年代後半であり、その後EU農政のメイン・ストリームとなる。農業の環境負荷という経済外部性を内部化する政策であるが、その大きな背景に農産物過剰と国民の農業保護への理解促進がある。またそれが現代農業の環境破壊を阻止する効果をもちえるかは不明である。

6.世界農業が現代農業化すること―「豊穣の角か、パンドラの箱か」―

 20世紀、とくにその後半に大きく進展した先進国農業の現代農業化は、生産力の飛躍的増大をもたらすと同時に深刻な限界をももたらした。今後は、先進国以外の国々においても、相対的に安定(あるいは停滞)した慣習的農業から大量の枯渇性資源や水資源を利用する現代農業への転換が求められている。バイオ・テクノロジーによって開発される多収量品種はその一つの契機となる。荏開津典生(2008)は、緑の革命を典型とするそうした転換を、慣習的農業の特徴であるそれなりの安定と秩序の「破壊」とみる。そしてその破壊が、創造的破壊であるのか、あるいは混乱と対立を引き起こすだけに終わるのかについては意見が一致していないとして、「豊穣の角か、パンドラの箱か」という表現を引用している(『農業経済学(第3版)』岩波書店)。

 地球1個分の資源と環境容量のなかで、市場の調整力が問題を早急に解決しうるのか、解決する前にエコロジカル・フットプリントでいうオーバーシュート状態からカタストロフィーに陥らないという保証はあるのか、大きな関心を持って注視していく必要がある。

柏 雅之(かしわぎ・まさゆき)/早稲田大学人間科学学術院教授

【略歴】
東京大学大学院修了(農学博士)
茨城大学教授、東京農工大学大学院教授(連合農学研究科)、ロンドン大学客員研究員、バーミンガム大学客員研究員などを経て現職。専門は農業経済学、農業政策論。

主な単著(科学研究費研究成果公開促進費による刊行):
『現代中山間地域農業論』(御茶の水書房、1994年)。
『条件不利地域再生の論理と政策』(農林統計協会、2002年)。

主な共著:
『再編下の世界農業市場』(筑波書房、2004年)。
『経済の相互依存と北東アジア農業』(東京大学出版会、2008年)

日本農業経済学会奨励賞(1996年)、日本農業経済学会学術賞(2003年)、農村計画学会論文賞(2003年)を受賞。
東京農工大学21世紀COEプログラム「新エネルギー・物質代謝と『生存科学』の構築」サブリーダー(2002~2007)。
総務省「低密度人口地域政策検討会」座長(2002~2003)、農林水産省「食料・農業・農村政策審議会」専門委員(2001~2005)、内閣府「規制改革・民間開放会議」専門委員(2004~2005)、国土交通省「自律的地域政策検討会」委員(2002~2003)、農林水産省「中山間地域等直接支払制度検討会」委員(1999)、農林水産省「中山間地域総合振興検討会」委員(2000~2009)、国際科学技術財団「Japan Prize」選考委員会委員(2008~2009)、国土交通省「広域ブロック政策研究会」委員(2010~2011)、農林水産省「天皇杯・内閣総理大臣賞中央審査委員会」委員(2011~)