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天児 慧

天児 慧(あまこ・さとし) 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授 略歴はこちらから

台湾総統選挙とその行方

天児 慧/早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授

チベット動乱 急浮上した争点

 4年ぶりに実施された総統選挙は、国民党候補の馬英九が民進党候補の謝長廷に大差をつけて勝利し、8年ぶりの政権奪還に成功した。今回は投票日のほぼ10日前までは、大方の予想も収斂され、盛り上がりを欠いた静かな選挙という状況であった。昨年12月の立法院選挙で大勝した国民党の候補は、その後の世論調査でも一貫して民進党候補に2ケタのリードを続けてきた。中山大学社会科学院民意研究センターが実施した3月5日~7日の世論調査でも、馬英九の支持率は41.3%、謝長廷の支持率は19.8%と依然かなりの差であった。もっとも同センターはある特殊な「螺旋理論」を用いて分析し、台湾住民の56.4%が馬英九に投票し、43.4%が謝長廷に投票するとの最終予測を出していた。しかし、その直後にチベットでの動乱鎮圧という事件が発生した。共産党体制問題はこれまで影を潜めてきたが、選挙戦の最終段階で大きなイシューとして浮上してきたのである。

クールになった政治意識

 それは従来の総統選挙で常にホットなイシューとなってきた「独立か、統一か」「台湾か、中国か」という台湾ナショナリズムを鼓舞するには格好の事件であった。しかし結果は、馬英九が221万票という圧倒的な差をつけ58.5%の住民の支持を獲得した。ちなみに謝長廷の得票率は41.5%であった。したがって、上述の中山大学センターの最終予測とほぼ同じであり、チベット事件による「共産党の恐怖政治」「反中国」キャンペーンを行って民進党候補への支持を求める作戦は全く功を奏しなかった。言い換えるなら台湾住民の政党政治、中国に対する意識もかなりクールで現実的になっており、扇情的な台湾ナショナリズムで左右される幅が小さくなってきたことを意味している。

馬氏圧勝≠中国との統一支持

 しかし、注意しなければならないのは馬英九圧勝といってもそれが直ちに「中国との統一支持」を意味するものではないということである。07年12月の世論調査でも、統一への強い警戒感、台湾人意識の強さが顕著に出ている。具体的にみると「統一独立問題」では、「直ちに統一」はわずかに3.3%、他方「直ちに独立」7.5%を除いて「現状維持」が実に89.2%を占めている。その内訳は「現状維持後」に「統一」9.5%、「後でどうするか決定」46.3%、「永遠に現状維持」21.2%、「後で独立」12.2%である。また「台湾人・中国人意識問題」では、「中国人」という単一アイデンティティーはわずかに5.5%にとどまる。これに対して「台湾人」は43.7%、「台湾人であり中国人でもある」は45.8%であった。

 こうした台湾人意識、対中感情に、馬英九陣営は機敏に対応してきた。まず第1に、「青」(本来の国民党色)派の濃い層はまとめられると判断した上で、中間層、「緑」派で民進党政治に失望した層の取り込みに集中した。外省人である馬は自ら台湾語を話し、新台湾人としてアピールした。第2に、対中政策では早々と「独立せず、統一せず、戦わず」の三不政策を掲げ、対中問題が争点となることを巧みに避けた。その上で第3に、中国の存在を台湾浮上の「好機」でもあると訴え、「両岸共同市場」構想を提唱し、積極的な経済交流を進め、経済活力の再生を提唱した。チベット事件発生後は、迅速に中国当局の武力弾圧の行動を激しく非難し、中国との距離感をアピールした。まさに馬英九による国民党の台湾化路線が信任されるかどうかであったが、一応そのような結果になったと言えよう。

民進党の「負の遺産」

 馬英九陣営の勝因は、謝長廷陣営の敗因でもあるが、その中で特に陳水扁政権の8年間は謝にとって極めて重い「負の遺産」だった。経済成長は見られるものの高い失業率(公式には07年は3.91%であったが、別の台湾統計部門調査では青年の失業率は8%以上)、貧富の格差拡大、産業の空洞化などは深刻化し続けている。クリーンなイメージで登場した陳水扁指導部は、夫人をはじめとした側近の大規模な汚職が発覚し腐敗にまみれたダーティーな政権となってしまった。少数与党故に常に立法院では野党の反対にあって自らの政策が実施できず、大陸の共産党政権からも「独立派」政権として対話を拒まれ、頼みのブッシュ米国大統領からも冷たくあしらわれるようになった。民進党内での派閥争い、権力抗争も後を絶たず、陳政権末期はまさに「無能無策内閣」として四面楚歌状態にも等しかった。民進党の今後の立て直しには時間がかかる。

東アジア情勢は安定志向へ

 台湾をめぐる今後の国際関係の動きを考えておくと、中国は北京オリンピックと上海万博、国内不安定化問題で、しばらくは対外的には安定と平和を求める穏健志向が強まるだろう。韓国の李明博新大統領、日本の福田総理も安定・調和志向である。馬英九の登場により基本的には日米中韓とも、台湾及び東アジア情勢が基本的には激動化せず、現状維持が継続するという点で歓迎している。そこでまず馬政権は陳水扁政権でこじれ切っていた米国との関係修復に動き出すだろう。馬政権としては日本との関係も従来どおり、あるいは独自の新たな緊密性を追求し、米日の後押しを背景に中国との関係改善、緊張緩和に動き出したいと考えているのではないか。これまで日本は、台湾の「反中国スタンス」をある意味で中国けん制の手段として暗黙に使ってきた節がある。しかし、今後はもちろん容易ではないが中台「共存・協調」の枠組みができあがり、その中で日本がどのような選択をおこなうかが問われるようになってくるだろう。

天児 慧(あまこ・さとし)/早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授

【略歴】

1947年、岡山県生まれ。早稲田大学教育学部卒業。東京都立大学大学院修士課程、一橋大学大学院博士課程修了。1981年より、琉球大学助教授、共立女子大学教授、青山学院大学教授を経て、現在、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。この間、在中国日本大使館専門調査員(1986~88年)、アメリカン大学客員教授(1999年)、アジア政経学会理事長(1999~2001年)などを兼務。2006年10月から早稲田大学大学院アジア太平洋研究科長。

【主著】

『中国 溶変する社会主義大国』(東京大学出版会、1992年)、『等身大の中国』(勁草書房、2003年)、『日本人眼里的中国』(中国社会科学文献出版社、2006年)、『中国・アジア・日本―大国化する「巨龍」は脅威か』(ちくま書房 2006年)など多数。