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福島 淑彦(ふくしま・よしひこ) 早稲田大学政治経済学術院教授 略歴はこちらから

65歳までの継続雇用義務化
若年労働者の雇用機会は奪われるのか?

福島 淑彦/早稲田大学政治経済学術院教授

 2012年8月に「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」(以下、「高年齢者雇用安定法」と記す)が改正され、2013年4月1日から施行されることとなった。この改正により、企業は60歳の定年後も雇用の継続を希望する労働者のすべてに対して、65歳まで雇用を維持・継続することが義務付けられた。この改正の背景には、2013年4月から厚生年金の支給給開始年齢が65歳へと段階的に引き上げられることがある。つまり、2013年4月以降には、60歳定年から年金支給開始の65歳までの期間で無収入となる期間が存在する高齢者が発生してしまう可能性がある。60歳定年後の無収入期間を解消するために、雇用主に年金支給開始年齢の65歳まで高齢者の雇用を維持・継続することを義務付けたのである。本稿では、65歳までの雇用の義務化が労働市場にどのような影響を及ぼすのかについて論じてみたい。

高年齢労働者の雇用延長と若年労働者の雇用機会

 総務省統計局「労働力調査」によると、20歳~24歳人口は1995年をピークに減少し続けているのに対して、55歳~59歳人口は1968年以降、増加し続けている。また、2000年には初めて55歳~59歳人口が20歳~24歳人口を上回った。つまり、2000年以降は、55歳~59歳人口の方が20歳~24歳人口よりも多く、その差は年々拡がっている。また、2000年以降の失業率に関しては、15歳~19歳の完全失業率が9%から12%、20歳~24歳の失業率が8%から9%で推移しているのに対して、55歳~59歳の完全失業率は3%から4%で推移している。このことは、60歳定年前の世代の方が、学校を卒業して新規に労働市場に参入する若年世代よりも労働市場の雇用環境(就労環境)が良好であることを示している。このような状況下で、高年齢労働者の雇用が延長されるとますます若年労働者の雇用機会が奪われるのではないかという議論がある。

 では逆に、高年齢労働者を早く退職させれば、それだけ若者の雇用機会が増えるのであろうか。実際に1980年代から90年代初めにかけてヨーロッパ諸国で、若者の雇用機会を増加させるために積極的に高齢者を早期に退職させる政策(早期退職政策)が行われた。年金支給開始年齢前に高年齢労働者を退職させ、若年労働者に雇用機会を提供しようとしたのである。しかし、この早期退職政策は各国政府が予想していたほどには、若年労働者の雇用機会を増加させなかった。その理由として以下の2つがある。第1の理由として、高年齢労働者と若年労働者が代替可能(交換可能)な労働者ではなかったということがある。つまり、退職した高年齢労働者の仕事を若年労働者で穴埋めするためには、高年齢労働者と若年労働者のスキルが同一であり、両者が即座に交換可能な労働資源である必要がある。しかし、長年の就労経験がある労働者と、これから働き始める或いは働き始めたばかりの労働者が同一のスキルを有し、同等の労働生産性を発揮することはまずない。実際、多くの実証研究で、高年齢労働者と若年労働者が代替可能な生産要素ではなく、むしろ補完的な生産要素であるということ、言い換えると、高年齢労働者と若年労働者がセットで付加価値を生み出している、ということが示されている。第2の理由として、早期退職政策が年金を含む社会福祉関連費用を増加させ、その結果として雇主側が負担する社会保険料が増えてしまったことがある。つまり、既存の従業員に対する賃金以外の費用(企業負担の社会保険料)が大幅に増加したため、退職者数と同程度の労働者を新たに雇い入れることができなかったのである。早期退職政策は、社会福祉関連費用は増加させ、その費用を負担する労働者数を減少させてしまったのである。このヨーロッパの経験からいえることは、高年齢労働者の延長雇用は、必ずしも若年労働者の雇用機会を奪うものではないということである。

 このことに加えて、バブル崩壊後の不況期においても日本企業の新卒有効求人倍率は概ね1以上であったことが示すように、新卒者に対する労働需要は大きい。また、多くの日本企業では長期的な視点で若年労働者の育成を行ってきており、今後もその方向性は変わらない。このような状況を踏まえると、高年齢労働者の延長雇用が若年労働者数の減少をもたらすとは考えにくい。

高年齢労働者の雇用延長はどのような影響を及ぼすのか?

 高年齢労働者の延長雇用は、若年労働者の雇用機会の減少ではなく労働者全体の賃金水準の低下を引き起こすであろう。今回の高齢者の雇用延長に際して労働者は60歳で一旦退職し、その後、新たに雇用契約を結ぶ。多くの場合、再契約時の賃金は60歳定年時の水準から大幅に減額される。しかし60歳以上の労働者の賃金が大幅に減額されたとしても、高年齢労働者の雇用延長は雇用主にとっては総労働コストの増加を意味する。筆者がいくつかの企業の人事担当者から聞いた話では、高齢者の雇用延長に伴う総労働コストの増加は、60歳未満の労働者の賃金で調整するとのことであった。つまり、企業は若年労働者の雇用を減少させて総労働コストの調整を行うのではなく、60歳未満の労働者の賃金を減少させることによって総労働コストの上昇を抑えようとしているのである。

 少子化で今後、人口及び労働人口が減少していくことを考えると、労働力確保の観点からは高年齢労働者の雇用延長は望ましいことである。また、高齢化に伴う社会福祉関連費用が増加していくことを考えると、その増加する費用の一部を労働という形で高齢者が負担することはその他世代の費用負担増を軽減させることを意味する。今回の高年齢労働者の雇用延長の義務化は、短期的には60歳未満の労働者の所得を減少させるというマイナスの影響を及ぼすであろうが、長期的には社会全体にとってプラスの効果があるのでなないだろうか。

福島 淑彦(ふくしま・よしひこ)/早稲田大学政治経済学術院教授

【略歴】

早稲田大学政治経済学術院、公共経営研究科教授。1988年慶應義塾大学経済学部卒業。1990年同大学大学院経済学研究科前期博士課程修了(経済学修士)。同年、ソロモンブラザーズアジア証券会社に入社し、東京・ニューヨーク・ロンドンで勤務。2003年スウェーデン王立ストックホルム大学経済学研究科博士課程修了(Ph.D)。名古屋商科大学教授を経て2007年より現職。