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河野 勝(こうの・まさる)早稲田大学政治経済学術院教授 略歴はこちらから

政治とカネ、そして民主主義

河野 勝/早稲田大学政治経済学術院教授

 民主党小沢一郎幹事長とその周辺をめぐる一連の事件により、政治とカネに関するルール作りの難しさが、改めて浮き彫りになっている。周知のとおり、日本の政治資金規正法は、これまでに幾度となく改正を重ねてきた。改正のたびに、あとからその不備をつく問題が浮上し、さらにまた次の改正をしなければならなくなることが延々と繰り返されてきた、というのが実情である。今回大きく取り上げられた政治資金による不動産の購入も、現行法では禁止されているが、かつては規制されていなかった。小沢氏の資金管理団体「陸山会」が今も保有する高額な不動産は、こうした旧法時代の「抜け穴」を象徴する以外のなにものでもない。

 ひとつの「抜け穴」が改正されても、別の「抜け穴」のある法律として生まれ変わってしまうのはなぜか。その答えのひとつは、単純に、ここには典型的な形で利害相反が存在するから、というものである。あまたある法律の中で、政治資金規正法ほど、政治家の日々の活動を直接拘束するものはない。しかし、法律を作る権限を持っているのは「唯一の立法機関」、すなわち国会であり、その中にいる現職政治家たちである。政治家たちが自らの手によって自らの行動を規律付けする法律を作らなければならないというところに、困難の源泉がある。

 しかし、政治とカネをめぐる問題が後を絶たないもうひとつのより根本的な理由は、民主主義システムにおいてこの問題をどう考えればよいかという骨太の議論が、これまで日本に欠落してきたからであるように思える。そこで、以下では、より理論的な観点から、政治とカネに関するルール作りについてひとつの論点を提示してみたい。

 一般に、政治資金をどう規制するかについては、大きく分けて三つのアプローチがある。第一は、個人や各種団体がすることのできる寄付の数量を制限するというアプローチである。第二は、政治家や政治団体に詳細な報告義務を課し、出入りするカネの流れの透明性を高めるというアプローチである。そして第三は、こうした数量制限や報告義務に違反したときの罰則を強化するというアプローチである。現行の政治資金規正法は、これら三つのアプローチを併用している。また、政治とカネの問題を改善する目的でこれまでなされてきたさまざまな提案も、三つの要素を組み合わせたパッケージとなっているものが多い。

 しかし、よく考えると、これらのアプローチの背景にある理念、あるいは民主主義の捉え方は、必ずしも同じではない。もし、三つの要素の間に相矛盾する思想や哲学が入り込んでいるとすれば、それらを安易に組み合わせることはできない。

 たとえば、第一の、寄付できる額に上限を設けるアプローチは、逆にいえば、政治家や政党が無制限にカネを集めることは許さない、という考え方である。そこには、政治家や政党が使うことのできる政治資金の総量にはなんらかの「適切な水準」が存在する、あるいは存在すべきであるという前提がある。これに対して、透明性を高めようとする第二のアプローチは、必ずしもそのような「適切な水準」の存在を前提にせずとも成立する考え方である。実際、政治家たちに情報を公開させるようにしようとする背景には、「適切な水準」がどこにあるのかという問いそのものを一般の有権者が決めるべきだ、という理念があるとさえいえる。もし情報が十分にいきわたっていれば、個々の有権者は、特定の政治家が多くのカネを集めすぎているのではないか、あるいは特定の政党が偏った団体だけから献金を受け取っているのではないか、といったことを自分で判断することができ、それによって自らの投票を決められるからである。

 この第一と第二のアプローチの違いは、究極的には、民主主義をどう捉えるかという哲学の違いを反映している。リバタリアン的な考え方に拠れば、政治にとって適切なカネの数量をどのくらいと想定するかは、個々の有権者によって異なるはずであるから、ある水準を決めそれによって政治家や政党の行動を強制的に縛るのはおかしいということになる。そのように任意に水準を決めてしまうこと自体が、そもそも民主主義の原則に反するはずだ、というわけである。他方、より介入主義的な考え方は、そうしたリバタリアン的前提そのものが、特定の階層や団体をひいきすることになると強調する。民主主義社会とは、同等の力をもった有権者によって構成されているわけでなく、単なる経済「市場」の政治版ではありえない。それゆえ、政治過程のさまざまな段階で「適切な水準」を設定するのは当然だ、というわけである。

 第三の罰則を設けるというアプローチも、第二のアプローチとは必ずしも相容れない。透明性を高めることが重要であるのは、有権者が不適切と考える政治家に対し投票という行為によって制裁できると考えるからこそである。他方、罰金やそれ以上の刑事罰を強化しようとする考え方の背景には、不適切な政治家を制裁する手段として投票だけでは十分でないとする民主主義観がある。こう考えると、第一のアプローチと第三のアプローチは、介入主義的であることにおいて似ており、その違いは介入の仕方として事前的なものを強調するか、それとも事後的なものに頼るか、ということだといえる。

 このたびの一連の事件を受けて、今後の国会においては、企業献金の廃止であるとか、個人からの寄付を奨励する税制の導入であるとか、さまざまな改正案が議論されることなると予想される。しかし、政治とカネをめぐっては、各政党の思惑が複雑に入り組み、議論を建設的に発展させていくことが難しい。改革へ向けたコンセンサスを広く整えるためには、具体的な提案の背景にある理念や民主主義の捉え方をよく見極めることがまず求められるのである。

河野 勝(こうの・まさる)/早稲田大学政治経済学術院教授

【略歴】
1962年生まれ。上智大学法学部卒。イェール大学M.A.(国際関係論)。スタンフォード大学Ph.D.(政治学)。ブリティッシュコロンビア大学助教授、スタンフォード大学フーバー研究所ナショナルフェロー、青山学院大学助教授などを経て、2003年から早稲田大学政治経済学術院教授。早稲田大学高等研究所兼任研究員、東京財団仮想制度研究所(VCASI)フェローもつとめる。

【主要業績】
Masaru Kohno, Japan's Postwar Party Politics, Princeton University Press, 1997.
三宅一郎・西澤由隆・河野勝『55年体制下の政治と経済:時事世論調査データの分析』木鐸社 2001年
河野勝『制度』社会科学の理論とモデル12、東京大学出版会、2002年
河野勝編『制度からガヴァナンスへ―社会科学における知の交差』東京大学出版会、2006年
Masaru Kohno and Frances Rosenbluth, eds. Japan and the World: Japan's Contemporary Geopolitical Challenges. New Haven: Yale University Council on East Asian Studies, 2009.
河野勝編『期待、制度、グローバル社会』勁草書房 2009年
田中愛治・河野勝・日野愛郎・飯田健・読売新聞世論調査部『2009年、なぜ政権交代だったのか』勁草書房 2009年