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▼東日本大震災特集

中川 武(なかがわ・たけし)早稲田大学理工学術院教授 略歴はこちらから

安全に住むことへの未発の課題
-文化遺産から学ぶ自然調和思想-

中川 武/早稲田大学理工学術院教授

海鳴の気配

 30年ほど前に千葉の外房から福島・宮城の海沿いを車で行けるところまで行って、再び岩手の内陸から宮古に出て下北半島へと北上したことがあります。各地の文化財建造物を見て回るためで、その時は特に津波を意識していたわけではありませんでした。けれども、リアス式海岸の断崖近くを走れなかったせいか、意外となだらかな平野部と遠くから白い波がくり返し押し寄せる広い海の、夏にもかかわらず荒涼とした風景の中に、原発のいくつかの建屋が異物のように突出していた記憶が今にして甦ってきます。その後、津軽三味線を聞いた時、津軽の人は、海の波頭の連なりをカモメの鳴き声で説明してくれるので、私たちはカモメに負けないように弾くんです、と視覚の不自由な奏者が語ったことが印象的で、その演奏はくだけ散る波形までありありと眼に浮かび、かつ遠くからの海鳴のような深い激しさのあるものでした。大津波のために身近な人や記憶を喪った人々は、今も続く海鳴の予兆のために言葉を失ったままなのかもしれません。

KeyWordは文化遺産と自然

 東日本大震災・大津波・原発破壊により夥しい人命と広範囲にわたる住宅、産業基盤等の物理的・経済的被災だけでなく、現代文明に対する根底的な問い直しが強いられることになりました。現代の日常生活を支えてきた高度な技術環境や行政ネットワーク等がかなりの期間機能不全に陥り、それらの問題点が白日のもとにさらされ、惨状は待ったなしの救援・復旧と将来の復興に根底的な課題を私たちに投げかけていると思います。同時に多くの国境を超えた支援や無償の愛が被災地に寄せられたことも忘れることができません。小さな共同体における相互扶助と自然との親和なしに生存が不可能であった私たち人類の始原から、今日の高度に人工的で、功利的、便益的な技術社会までの長い歴史までを視野に納めて、今回の課題に立ち向かわなければならないと思われます。即ち、被災地の復旧だけに留まらない日本国土の全体と国際関係を視野におさめ、徹底的に再検討し、学ぶべきものは学び、改めるべきは改め、強化すべきは強化し、明日に生き延びるために、歴史的、かつ世界先進的な叡智を結集しなければならないのです。そのための第一は身近な伝統文化を改めて注視すべきだと思われます。たとえば、今回の津波の被災地には古来からの文化財建造物がそれほど多く含まれていません。また高台の居住地と海沿いの番(船)小屋をうまく使いこなしてきた古くからの漁村集落の中には、深刻な被害を免れた例も少なくありません。東北沿岸部には歴史上何度も大津波が押し寄せています。長い歴史的体験の中で、自然と寄り添ってきた人々の知恵が、文化財建造物の立地の考え方や祭りなどの無形文化遺産の楽しみ方の中に安全思想としてしみ込んでいることに、私たちは眼をみはる思いがします。勿論、伝統的な文化や考え方だけに依拠するには現代世界はあまりに過酷で危険すぎるものになってしまいました。科学技術の力が不可欠です。しかし、踏々たる人類の歴史の中の尊い知恵と自然に根ざした文化を拠りどころとした、現代的な住まいや、都市や、産業や、喜びがあるはずであり、それを可能とすることが、今回の大地震の教訓であり、私たち研究者に与えられた使命であると思われます。文化遺産に象徴される安全かつ創造的に住むための自然との調和思想を、現代的な町づくりのために蓄積されてきた科学的、技術的、経済社会的システムに繋げる方法の創造が求められているのです。

安全性とは創造性である

 災害や減災の伝承によって助かった命も多くあり、埋もれた知恵をさらに掘り起こす必要があるでしょう。しかし、もっと困難なことは、それらを知りつつ海の近くに住まざるをえなかった人たちです。多くの人がどこかで違和感や海鳴の予兆を感じ取りながら原発を受け入れざるをえなかったことです。このことに真正面から向き合うことなしに、私たちの未来の都市は拓けません。東北地方の特徴の大きなものに祭りがあり、静かなリズムや不気味なものがやがて音・色・形・動きが溶融する肉体の狂宴に昇りつめていきます。度重なる地震、津波、冷害、重税から逃散した人々が、自然の中に入り込み、動物や霊界とも絶対的にまで一体化することによってのみ生きながらえることができ、やがて生きることの喜びにまで到達していきます。理不尽な災厄を唯々諾々と受け入れているように見えて、実はいつの間にかそれを歓喜にまで高めているのではないでしょうか。そこにはニヒリズムではない、営々とした工夫や日常の中の逆転の思想、つまり創造的なプロセスが垣間見えるように思われるのです。

 防波堤の高さを15mとし、高台に居住地を移せば安全にすめるとはかぎりません。その検討のプロセスを私たちは自身の生活や人生をつくりあげていく過程として受け入れ、自ら参加、決定し、そこに喜びを見いだした時、つまり創造の課題に組み込むことができた時、安全な都市と社会の可能性が生まれるのだと思います。

中川 武(なかがわ・たけし)/早稲田大学理工学術院教授

【略歴】
1944年 富山県生まれ
1967年 早稲田大学理工学部建築学科卒業
1972年 早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程修了
1979年 早稲田大学大学院理工学研究科助教授
1984年 早稲田大学大学院理工学研究科教授
1986年 早稲田大学大学院理工学研究科博士号取得(工学博士)
2007年 早稲田大学創造理工学部建築学科教授(現職)
専攻は比較建築史、アジア古代建築保存修復。1977年、エジプト・ミニピラミッド建設実験に参加。以来、ピラミッド調査と並行して、アジアの古代建築の調査を継続。1991年よりベトナム・フエ王宮都市の調査研究、1994年より日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)の団長を務める。保存修復技術の国際協力により、カンボジア・サハメトレイ王国勲章、日本建築学会業績賞、早稲田大学大隈学術記念褒賞等を受賞。日本建築学会副会長、早稲田大学理工学部教授、早稲田大学総合研究機構・ユネスコ世界遺産研究所所長。2011年5月に発足した「早稲田大学 東日本大震災復興研究拠点『都市計画・社会システム系復興研究プロジェクト』」の研究代表者を務める。