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▼東日本大震災特集

瀬川 至朗(せがわ・しろう)早稲田大学政治経済学術院教授 略歴はこちらから

原発事故とメディア
「大本営発表」報道を克服できたのか

瀬川 至朗/早稲田大学政治経済学術院教授

 東日本大震災の発生から約50日がたった5月1日。津波被害の大きかった宮城県気仙沼市を、「震災とメディア」の調査・取材で訪れた。

 市役所や駅の一帯は小高いところにあり、外観の被害は見られないが、海岸付近の低地に入った途端、壊れた家屋や瓦礫の山々が一面に広がる。道路だけは車が通行できるように片付けられているが、瓦礫のほとんどは放置されたままだ。雨の日は、死んだ魚などの腐臭が鼻にこびりつく。

津波で瓦礫の山と化した気仙沼市の市街地=2011年5月1日、瀬川至朗撮影

津波被災者に役立ったラジオと新聞

 メディアについての予備的調査として、避難所2カ所を回り、被災者計23人に対面でアンケートした。主な質問は、「震災直後」「1-2週間」「1ヵ月」のときに、それぞれ、新聞、テレビ、ネット(パソコン、携帯電話)、ラジオのうち、どのメディアをよく利用したか、である。

 全体として、震災直後はラジオ(カーラジオ、電池式ラジオ)、1週間以降からは新聞という回答が一番多かった。携帯電話は発生当初、家族の安否確認などで利用しているものの、停電で使えなくなった。パソコンもテレビも同様である。避難所には全国紙や地元紙が日々、一定部数配達される。テレビは600人の避難所に2台しかなかった。

 一般に今回の震災でツイッターなどのソーシャルメディアが活躍したと考えられているが、それはネットが利用できた地域の話のようだ。深刻な被害を受けた被災地では、停電でソーシャルメディアやネットの利用は困難だったことがわかる。

 もっとも、避難所は中年から高齢の方が多く、ソーシャルメディアというものに馴染みのない人がほとんどというのも一因であろう。とにかく、震災から50日経った避難所の被災者が情報源としてもっとも頼りにしていたのは紙媒体である避難所の張り出しや新聞であり、新聞ではとりわけ地元紙に掲載される情報だった。

 私たちは、気仙沼の地元メディア、とりわけ、地域社会の情報を扱っている3つのメディアを訪問し、インタビュー調査を実施した。気仙沼を拠点とする地元紙「三陸新報」、県紙「河北新報」の藤田販売店が発行するコミュニティー紙「ふれあい交差点」、そして、今回の震災をきっかけに開設された地域コミュニティーFM「けせんぬまさいがいエフエム」。こうしたインタビュー結果の報告は別の機会にさせてもらう(J-Schoolウェブマガジン『Spork!』など)が、被災者が求める情報を届けるという意味で、地元メディアの「被災者に寄り添う」姿勢は際立っていた。

原発報道「本当はどうなの?」という不満

 さて本題の原発事故報道に話を移そう。

 M9.0の地震がもたらした大津波の影響で、東京電力福島第一原発の4基の原子炉の電源がすべて使えなくなるというアクシデントが生じ、原子炉を冷却できなくなった4基から大量の放射性物質が放出される事態となった。原子炉は自動停止して臨界状態にはないものの、核燃料の自然崩壊が生み出す熱による炉心溶融がきっかけとなり、原子炉建屋内の水素爆発などを起こした結果だ。

 原発事故の深刻さを示す国際的な基準として「国際原子力事象評価尺度(INES)」がある。今回の事故の暫定評価については、監督官庁の経済産業省原子力安全・保安院が、1号機で水素爆発が起きた3月12日に「レベル4程度」の見方を示した後、3月18日には、米スリーマイル島原発事故(1979年)と同じ「レベル5」と位置づけ、4月12日に、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年)と同じ「レベル7」に引き上げた。レベル7という評価になったのは、レベル5以上の評価が、放射性物質の放出量で決まるからだ。

 福島第一原発からの放出量は数十万テラベクレル(ヨウ素換算)でレベル7に相当する量になる。チェルノブイリ原発事故では約520万テラベクレルが放出された。それに比べれば、福島第一原発の放出量は約10の1と少ない。原子炉が核爆発を起こして一気に放出されたチェルノブイリと、核爆発ではなく、水素の爆発で建屋の一部が壊れて放射能が放出された福島第一原発では、事故の性格が異なるといっていい。ただ、チェルノブイリに次ぐ、原子力史上2番目の大事故であることに変わりはない。

 今回の気仙沼訪問で、原発事故への関心は被災者からはほとんど聞かれなかった。彼らの日常生活が津波にのみ込まれ、根こそぎ、さらわれていった事実は、それだけで重すぎるものがある。しかし、この間、多くの国民にとっての関心事は、津波以上に原発の事故の行方であり、放射線の影響についての話だった。全国紙やNHKも、津波被害と同様、原発事故報道に力を入れていた。

 市民(読者、視聴者)の反応はどうだっただろうか。

 調査をしたわけではないので、客観的に語ることはできないのだが、私が周囲(家族、学生、大学関係者、メディア関係者)と話をしたかぎりでは、「政府や東電は本当のことを言っていない」「新聞やテレビは政府や東電の発表をそのまま書いているだけ」という不満の声が強かった。「原発事故がどうなるのか、記事を読んでもよく分からない」という意見があったし、「何でも『ただちに健康に影響がない』とばかり言っているけど、じゃあ、いずれは影響があるということじゃないの?」という疑問もあった。政府と東電が情報を隠し、マスメディアも、それと同様に、市民を不安がらせないために安全を強調し、抑制的に報道をしているのでは、という不信感である。野菜や水道水などから暫定基準値を超える放射性物質が次々と検出された時期は、情報に対するストレスや不満がもっとも強かった。

東京電力福島第一原発から20キロのところにある福島県南相馬市の検問所=2011年5月4日、瀬川至朗撮影

「発表報道」と「抑制」が目立った国内メディア

 全国紙やNHKの報道を大きく括れば、政府(官邸・原子力安全保安院)と東電の発表を基軸にした「発表報道」に終始したといえるだろう。いや、「ニュースなのだから、発表を扱うのは当然。政府や東電に注文をつける記事も書いているし、批判もしている」という反論も承知している。

 しかし、報道では、日々の動きについての発表が大きく取り上げられ、「炉内の温度が上がった(下がった)」、あるいは「○○から基準を超える放射性物質が検出されたが直ちに健康に影響はない」といった事象が、その日その日の重大ニュースとして扱われていた。市民に伝わるのは、残念ながら、政府や東電の発表内容である。

 日々起きる新事象の細部におよぶ報道にこだわる結果、原発事故の全体像を伝えることが疎かにされていた。

 市民が知りたいのは、日々の動きはもちろんだが、もっと大切なのは、原発事故の全体像である。それは次のような「そもそも、どうなのか?」という疑問や問題意識に基づくものである。

 「そもそも、今回の原発の最悪のシナリオはどうなのか? その場合、放射性物質はどのくらい放出されるのか? その可能性はどのくらいあるのか? 今後どうなるのか?」

 「そもそも、今回の原発事故で浴びる放射線量は年間でどのくらいの積算量になるのか?それは健康に影響するのか?」

 「そもそも、1950~1960年代に米ソなどの大気圏内核実験で降ってきた放射性物質の量とどのくらい違うのか?」

 「そもそも、放射性物質が検出された野菜や水道水をどのくらい摂取し続けると健康に影響が出るのか?」

 「そもそも、どのくらいの放射線量で避難すべきなのか?」

 「そもそも、微量の放射線は健康にどう影響するのか?」

 全体像を知ることで、市民は、自分が置かれた状況の危険度を把握し、その後、どう行動すべきかを理性的に考えやすくなる。

 断片的な報道を重ねても、こうした全体像は見えてこない。今回の報道で言えば、早い段階から、「最悪のシナリオはどうなる?その可能性は?」などの見出しを大きく付けた記事を、専門家の取材と自社の科学記者の見識をフルに活用して作成し、一面トップに掲載するなどの工夫がほしかった。最悪のシナリオがわかれば、それを防ぐ手段も考えやすい。政府が発表しないならばメディアが自分で取り組む。状況が変われば、「いま最悪のシナリオは?」という問題意識で、繰り返し報道する必要がある。自分たちの問題意識に基づく取材・報道という意味では、「調査報道」に分類できるかもしれない。

 最悪のシナリオについては、実は、かなり核心を突いた記事もあったが、その記事の見出しは記事内容をイメージできないものだった。読者に不安を与えないよう、あえて、最悪のシナリオの明示を「抑制」したのではないか。また、最悪のシナリオを描いた記事でも、内容が不十分な場合があった。最悪の事態が「炉心溶融」なのか、あるいは、核分裂が連続的に起きる「再臨界」なのか、という点も、明確な問題意識で取材し書いてほしかった。

 なお、フランス放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)は、福島第一原発の最悪のシナリオとして「溶解した炉心の放射能生成物の100パーセントが大気中に放出されたという大惨事事態」を想定し、周囲の放射能汚染をシミュレーションしている。この場合でも、原発から30キロ以遠では、甲状腺がん防止のためのヨード剤服用は不要との結果をネットで紹介している。

 「炉心溶融」という言葉は、その使用が抑制されていた。水素爆発が発生した当初の3月13日朝刊には、いっせいに「炉心溶融」という見出しが掲載されたものの、それ以降は稀になった。代わりに、東京電力の発表などに基づき、燃料棒「損傷」という一般的な言葉が使われた。炉心溶融という言葉が与える不安を回避したと考えられる。

 事故の深刻さを示すINESの尺度については、「レベル4程度」という政府・保安院の当初の見方は事故を過小評価している印象が強かった。これはおかしいと思ったはずで、メディアが、海外の研究機関などの情報や分析も援用しながら、早い段階で事故レベルを主体的に推定することも、事故の真相に迫ることにつながったと考える。

 野菜や魚、水道水から検出される放射性物質の問題については、日々の発表を追う結果、政府の「ただちに健康には影響がない」という言葉ばかりが印象に残ることになった。行政側の情報の公開がスムーズではなく、情報が隠されているのでは、という疑念が生じやすかった。

福島第一原発の1~4号機=2011年3月15日撮影、東京電力提供

情報公開とオープンな報道が信頼を生む

 チェルノブイリ原発事故では、今回の福島第一原発以上に、事故の情報が出てこなかった。チェルノブイリ原発事故を市民がどう受け止めたか、約10年後にノルウェーの学者が市民にインタビューした研究報告がある。メディアは市民の不安をあおらないよう、不適切な反応を呼び起こすような情報を抑制しがちだったが、市民は必要な情報を隠すことに憤りや敵意をもった、とその報告は指摘している。

 抑制的な報道が人々に不信をもたらしたという話は、示唆的である。科学的な情報は、できるだけ隠さず、冷静に伝えることが、結局、市民の信頼を得ることにつながるのではないか。政府の情報公開と同時に、メディアのオープンな報道がとりわけ重要である。

専門ジャーナリストはもっと能動的に

 本稿のタイトルは、「大本営発表」報道を克服できたのか、である。

 全国紙やNHKには、さまざまな工夫が見られ、良質の記事も散見された。しかし、総体として、政府や東京電力の発表をそのまま提示する「大本営発表」報道の域を出なかったというのが、私の見方である。政府や東京電力という権威の情報に対して受け身の報道をしているということである。

 先に述べたように、メディアは、もっと能動的な報道ができる。「そもそも」の問題意識に立脚した報道である。

 放射線の記事でも、その瞬間の放射線量だけでなく、例えば年間に継続して浴びる「積算放射線量」が重要な意味を持つことは専門記者なら分かるはずだ。また、避難区域の設定が、原発から半径20キロ、30キロという同心円になっていることについて、チェルノブイリの事例から、実際の放射線量が風向きなどに影響されて、飯舘村などのように同心円とは別の配慮が必要になることも、当初から指摘できる話だった。

 こうした能動的な報道のためには、科学技術の専門ジャーナリストに、これまで以上に活躍してもらう必要がある。専門ジャーナリストとは、「専門分野についての的確な知見と将来を見据える先見性を備え、主体的な問題提起の力を持つジャーナリスト」のことである。科学ジャーナリストは、科学者の単なる代弁者であってはならない。日頃の取材や文献講読で知見を高め、いざというときに、主体的かつ批判的に問題を読み解ける能力を養ってもらいたい。マスメディアも、そうした視点で、専門ジャーナリストを育ててほしいと思う。

参考URL

ウェブ・マガジン『Spork!』
http://www.spork.jp/

早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコース
http://www.waseda-j.jp/

石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞
http://www.waseda.jp/jp/global/guide/award/

瀬川 至朗(せがわ・しろう)/早稲田大学政治経済学術院教授

【略歴】
1977年、東京大学教養学部教養学科(科学史・科学哲学)卒。毎日新聞社でワシントン特派員、科学環境部長、編集局次長、論説委員などを歴任。1998年、「劣化ウラン弾報道」で、取材班メンバーとしてJCJ奨励賞(現JCJ賞)を受賞。2008年1月から早稲田大学大学院政治学研究科ジャーナリズムコースのプログラム・マネージャー。日本記者クラブ企画委員、日本科学技術ジャーナリスト会議理事。

【主な著書】
『健康食品ノート』(岩波新書)、『心臓移植の現場』(新潮社)。共編著に『アジア30億人の爆発』(毎日新聞社)、『理系白書』(講談社、共著)、『ジャーナリズムは科学技術とどう向き合うか』(東京電機大学出版局)、『英和・和英エコロジー用語辞典』(研究社、執筆・監修)など。

J-Schoolの教員紹介ページ
http://www.waseda-j.jp/archives/1009