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▼東日本大震災特集

高木 秀雄(たかぎ・ひでお)早稲田大学教育・総合科学学術院(地球科学教室)教授 略歴はこちらから

津波被災の爪痕、保存を
―悲劇を防災教育・啓発に活かす

高木 秀雄/早稲田大学教育・総合科学学術院(地球科学教室)教授

数百年に一度の大津波

 M9.0という史上4番目の規模とされる東北地方太平洋沖地震では、数100年オーダーに一度という大変な大津波災害が引き起こされた。各研究機関の地震情報などを参照すると、海底下約25kmにおいて、沈み込む太平洋プレートの上面で大変ゆるやかな傾斜を持つ逆断層が大きくずれ、それが非常に広範囲にわたる海底の上下運動をもたらした事により発生したものと考えられる。

 三陸地域では、1896年の明治三陸地震による大津波で2万人近い命が奪われ、その時に遡上した津波は最大海抜38.2mに達したことが知られていた。さらに1933年の昭和三陸地震でも3000人以上の命が奪われた。また、1960年には史上最大のチリ地震(M9.5)による津波がおよそ1日かけて太平洋を移動して襲来し、三陸海岸をはじめ全国で142名の犠牲者を出した。さらに1611年、1677年、1793年、1835年、1856年にも三陸海岸で大津波の記録が知られている。この地域は数十年に1度の割合で、津波災害にさらされて来たことになる。さらに歴史を遡ると、たとえば西暦869年7月13日の貞観(じょうがん)地震では仙台平野が水没し、今回の大津波災害との類似性が指摘されている。仙台平野でも、およそ数100年~1000年オーダーに1度の頻度で巨大津波が襲来していることが地質学的にも明らかにされていた。

 リアス式海岸というその地形的特徴から、三陸地域では防潮堤や世界一と言われていた気仙沼の津波防波堤なども整備されていた。しかし、それらは今回の大津波で無惨にも破壊された。国内で最も津波の防災意識が高かったにもかかわらず、沿岸部の住民の多くは想定をはるかに上回った最大10mを超える高さの津波に逃げ遅れ、大変多くの犠牲者を出し、がれきの山だけが残ってしまった。

先人の石碑が守った地域

写真1:昭和三陸地震の後に建てられた宮古市姉吉の大津波記念碑。大石雅之氏提供

 宮古市の姉吉地区に建てられた大津波災害記念碑には「高き住居は児孫に和楽 想へ惨禍の大津波 此処より下に家を建てるな」と書かれている(写真1)。東京海洋大の調査によると、この地区では今回の大津波の最大遡上高の海抜約38.9mを記録し、明治三陸地震における国内の記録を塗り替えた。岩手県立博物館学芸員の大石雅之氏の報告によると、この石碑は海抜約60mの場所に建てられており、津波は石碑の手前約90mほどの地点まで達したとのことである。この石碑の下には家は建てられておらず、姉吉地区は今回の津波被災を免れた。

 三陸海岸はユネスコが支援するジオパーク(地球と人間のかかわりを考えることができる大地の公園)の申請を1年前から目指していた。ジオパークは地質や地形の遺産の保護だけではなく、その上の生態や人々の文化・歴史・伝統などとのつながりをまるごと楽しみ、また教育や観光などの地域の活性化も目的とされた公園である。国内では現在14ヶ所(うち、世界ジオパーク4ヶ所)で認定されている。また、ジオパークでは防災教育も重要なテーマであり、「繰り返される津波災害との闘い」がこの地域の重要なテーマであった。

ありのままを見せる意義

 津波が発生したときに、大きな観光船が民宿に乗り上げている大槌町の画像(写真2)が広く公開され、世界中の人々は驚愕した。このような船こそ、実は重要な被災遺構となり得る。しかし、それは解体される予定と報道されている。地元の被災された方にとっては、思い出したくもない悪夢の象徴としか映らないかもしれない。

 しかしながら、今後町が復興し、数十年経過すると、この津波災害のことも次第に記憶から遠のくであろう。いまの大学生も阪神淡路大震災を知らない世代となって来ている。自然災害の遺構は、1995年の兵庫県南部地震の時に地表に現れた活断層を保存した北淡町の野島断層保存館や、私が所属する地球科学教室の学生を毎年引率している有珠火山の噴火遺構公園(写真3)、雲仙普賢岳の火砕流で消失した小学校校舎、などで、修学旅行生をはじめ大変多くの見学者を集めている。後者の2地域は、世界ジオパークにも認定されており、火山災害の爪痕は重要なジオサイトとして国際的にも認知されている。地震や火山の被災現場を保存し、ありのままを見せることが防災の教育・啓発や地元の活性化にも大きく貢献しているのである。現地にあってこそ意義があるものであり、文書や写真、映像だけでは実感に乏しい。

写真2:大槌町の民宿に乗り上げた釜石の観光船「はまゆり」

写真3:2000年有珠火山噴火災害遺構(西山山麓)

世界へ向けて津波防災の啓発・教育を

 2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震(M9.1)では、犠牲者22万人を超える史上最大の津波災害があったことは、まだ記憶に新しい。津波被害が甚大であったインドネシアのアチェ市にも、陸地に乗り上げられた船が複数保存されている。なお、この観測史上2番目の規模のスマトラ沖地震の後、3ヶ月後にM8.6、3年後にM8.5の地震がスマトラ沖で発生している。この事実は、「こんなとんでもない大きな地震と津波が来たから当分は来ないだろう」という思い込みが危険である状況であることを示している。

 今後津波防災を十分に吟味した復興計画が早急に練られることが期待されるが、その計画の中で長期的展望に立ってリアリティーをもつ津波被災の爪痕を現場保存し、今世紀前半に南海・東南海・東海地震の発生する確率の高い西日本太平洋沿岸を含む国内はもとより、世界に向けての津波防災の啓発と教育にそれを活かしていただきたい。その爪痕ががれきとともに撤去され、あるいは崩壊するのは時間の問題であると思い、被災されて大変不自由な生活を送られ、今なお行方不明者が多い中で、ジオパークを支援している立場から敢えて提言する次第である。

高木 秀雄(たかぎ・ひでお)/早稲田大学教育・総合科学学術院(地球科学教室)教授

【略歴】
1982年早稲田大学教育学部助手、同専任講師、助教授を経て、1996年教授、現在に至る。日本地質学会ジオパーク特任理事、同ジオパーク支援委員会委員、日本ジオパーク委員会委員。理学博士(名古屋大学)。

【主な著書】
「基礎地球科学」第2版 朝倉書店2011年 分担執筆
「地球・環境・資源―地球と人類の共生をめざして」共立出版2009年 編著
「フィールドジオロジー」第7巻 変成・変形作用 共立出版2004年 分担執筆

教育学部地球科学専修のページNews欄に、解説「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)についてver.3」を掲載