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後藤 雄介(ごとう・ゆうすけ)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授  略歴はこちらから

「喰人」たちの後日譚
──ラテンアメリカ「喰人」論補遺

後藤 雄介/早稲田大学教育・総合科学学術院教授
2019.12.2

 門外漢である私が「喰人」をテーマに論文を書いたのはもうずいぶん前のことである(拙稿 2005-2006)。グループでの取得を目指していた研究費の課題である「飲食の表象」について何か書けないかと問われて、「喰人に絡めてならば……」と答えたのがそもそもの始まりであった。ラテンアメリカの思想文化史にとって、「喰人」の問題はじつはきわめて大きなテーマのひとつであった。かつても私は、前任校の同僚に誘われ、ニューヨークの都市文化研究グループに加えてもらったことがあった。そのときに苦肉の策で選んだテーマも「ヒスパニック系」(米国内で暮らすラテンアメリカ出身者)で(拙稿 2001)、これもラテンアメリカ地域研究の重要な隣接領域をなしている。このように、いわば「サイドワーク」として取り組むことになったテーマ群は、ときに「本業」より魅力的で、そして結果的に自分の知見の裾野を拡げてもくれたのであった。

 さて、「喰人」について書いたその論文であるが、かのシェイクスピアの古典劇『テンペスト』の登場人物にして「喰人」の象徴であるキャリバン(Caliban[cannibalのアナグラムと推測される])の解釈が歴史とともに変化し、「喰う」/「喰われる」という主体/客体の関係もまた歴史のなかで転倒するさまを、ラテンアメリカの位置づけを中心に考察したものだった。結論としては、キューバの論客ロベルト・フェルナンデス=レタマールの書を引きつつ、「喰う」(=西欧にとっての野蛮)のであれ「喰われる」(=米国への従属)のであれ否定的に描かれてきたラテンアメリカが、脱植民地潮流下の時代においては植民者の言語を巧みに駆使することで、「すべてを喰らう」(異種混淆する)肯定的な「喰人」として対抗的地位を獲得しているとしたのだった。

 あれから十余年、「喰人」としてのラテンアメリカを言祝いだ1930年生まれのフェルナンデス=レタマールは、今年になって惜しまれながらにこの世を去っている(2019年7月)。ラテンアメリカは今もなお「喰人」として肯定的に描けるのだろうか。そんな折に手にしたのがアリエル・ドルフマンの著、『南に向かい、北を求めて』(Rumbo al Sur, deseando el Norte, 原書刊行1998年)であった。

 ドルフマンはユダヤ系の両親のもとにアルゼンチンで生まれ、幼少時代を米国はニューヨークで過ごしたのちチリに移住し、そこで史上はじめて選挙で誕生したアジェンデ社会主義政権樹立(1970年)に深くコミットし、同政権がクーデターで崩壊(1973年)したあとは長く亡命生活を余儀なくされてきた作家である。スペイン語と英語の完璧なバイリンガルである彼は、同時にラテンアメリカと米国のあいだで深く引き裂かれた自己のアイデンティティに苦悩する存在でもあった。

 同書のなかでドルフマンは、奇しくもラテンアメリカと『テンペスト』の登場人物の関係に触れ、ウルグアイの思想家ホセ・エンリケ・ロドの著『アリエル』(1900年)にも言及する。ロドの著書が刊行当時画期的だったのは、物質主義の米国をむしろ野蛮なキャリバンに見立て、それに対して、優美な妖精のアリエルを精神主義の象徴としてラテンアメリカになぞらえたところにあった。アリエルとはほかならぬドルフマンの名でもあった。彼は「ブエノス・アイレス生まれ、マンハッタン育ち、そして今しもチリ人になろうとしている一青年にとり、ラテン的要素とアングロ的要素の合金アリエルは悪くない名」とし、アリエルを精神主義に閉じ込めることなく、「この名[アリエル]をむしゃむしゃと平らげ[!]、思いつく意味を片っ端から何でもかんでも込め」ることで(ドルフマン 2016:264頁)、自身をさらにアリエルとキャリバンの「合金」にさえする。ドルフマンのこのような立ち位置こそまさしく「すべてを喰らう」肯定的かつ対抗的な「喰人」そのものであり、その意味でドルフマンは正しくフェルナンデス=レタマールの後継者なのであった。

 「すべてを喰らう」ドルフマンはしかし、咀嚼すべきものと吐き出すべきものを仕分けし、人々に警告を発する者でもある。その著書『ドナルド・ダックを読む』(1971年)以来、彼は米国のディズニーの一見無害なキャラクターたちに象徴されるグローバルな文化支配への注意喚起を促してきた。グローバルな文化支配はときにローカルな政治意識を脱色し、各国の為政者にとってまことに都合のいい現状肯定を生み出す。その事態は、老若男女を問わず、猫も杓子もディズニーランドに嬉々として詣で、来るオリンピックに向けては空疎な多幸感に満ちたこの国においてより深刻かもしれない。ドルフマンが目指すところとは正反対に、この国は徹底的に受動的な「喰人」と化し、やがて自家中毒死するかもしれない……と考えるのは杞憂にすぎるだろうか。

参考文献

ドルフマン,アリエル 2016.『南に向かい、北を求めて──チリ・クーデターを死にそこなった作家の物語』(飯島みどり訳)岩波書店
後藤雄介 2001.「ニューヨークのヒスパニック/ヒスパニックの<ヌエバヨール>」金田由紀子・佐川和茂編『ニューヨーク──<周縁>が織りなす都市文化』三省堂
──── 2005-2006.「喰うか喰われるか?──ラテンアメリカをめぐる「喰人」表象の変遷をめぐる一考察(前・後編)」『学術研究──外国語・外国文学編』(早稲田大学教育学部)52-53号

後藤 雄介(ごとう・ゆうすけ)/早稲田大学教育・総合科学学術院教授

東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒。一橋大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。青山学院大学文学部勤務を経て2000年度に着任、現在に至る。1990−91年、ペルー・カトリック大学(Pontificia Universidad Católica del Perú)留学。2011年、ペルー問題研究所(Instituto de Estudios Peruanos)客員研究員。ラテンアメリカ思想文化史専攻。著書に『語学の西北──スペイン語の窓から眺めた南米・日本文化模様』(現代書館)、訳書に『ホセ・マルティ選集③──共生する革命』(共訳、日本経済評論社)、シロ・ビアンチ=ロス『キューバのヘミングウェイ』(海風書房)など。