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李 成市(リ・ソンシ)/早稲田大学文学学術院教授  略歴はこちらから

早稲田大学歴史館がめざすもの

李 成市/早稲田大学文学学術院教授
2018.6.18

世界の中の早稲田大学

 二○世紀末、比較文学者であるビル・レディングズは、大学がもつ社会的役割が今や誰にも容易には認識できなくなっており、大学の位置はもはや明確でないと述べている(『廃墟のなかの大学』)。こうした変化をもたらした決定的な要因を、グローバリゼーションによる国民国家の衰頽に求め、大学は今となっては国民文化の理念を生み出し、守り、繰り返し教える役割によって国民国家の運命と結びつくような機関ではないと宣言している。

 国際化を推進している早稲田大学は、在学生約五万人の学生のうち、七千人以上は外国人学生であり、世界約百二十の国や地域から学びに来ている。国際教養学部をはじめ、英語学位プログラムは七学部にわたっており、すでに大学には国境はなく、国民のみを対象に教育するという機関ではなくなっている。

 そうであれば、大学は、そのような歴史の趨勢の中で、あらためて自校の過去を振り返りながら自画像を描き、現在、未来を指し示す必要にせまられていると言えよう。早稲田大学が2012年に策定したWaseda Vision 150は、そのような近未来へのマニフェストであり、国際化へのプログラムを具体的に書き込んでいる。

過去・現在・未来を展望する歴史館

早稲田大学歴史館入口

 私立大学には創設者による建学の精神があり、そのもとで大学の歴史を刻んできた。しかし、学生の中には、たまたま入学試験に受かったり、偶然に選択したりして在学しているという学生も少なくない。そうした学生にとって、入学した大学との出会いが単なる偶然ではないことを知る機会をもつことは、大きな喜びにもなる。それゆえ、自校史の教育には、自分が学んでいる大学の歴史を学び、それによって自分はどこにいるのかを改めて知り、安心感をえるという効用がある。前述のグローバリゼーションの真っ直中にあって自分が学ぶ大学を知ることの意義は小さくない。

 なぜ、早稲田大学は誕生したのか。百数十年の歴史を経て今ここにあるという再発見が、帰属意識に基づく一種の使命感をもって学びに誘わせるにちがいない。早稲田大学歴史館は、まずは、創設以来の大学の過去と現在、未来を在校生に向けて可視化し、そこから早稲田大学で学ぶ意義を探し出して欲しいと願っている。

 そして大きな目標として、ただ大学の歴史を振り返るだけでなく、現在の早稲田大学の教育・研究をはじめ文化やスポーツ、校友の活躍などを含めて、過去からの蓄積を踏まえ、現在そして未来に向けて大学の立脚点と個性を確認することで、在校生のみならず、校友や未来の入学者となる来館者が「早稲田らしさ」を体感できることをめざしている。

集り散じた多様な人物に出会う

常設展示Ⅰ「久遠の理想」エリア

常設展示Ⅱ「進取の精神」エリア

 早稲田大学の大きな魅力であり、また大切な財産は、多様な人材である。政治・経済・学術・文学・芸能・スポーツなど、あらゆるジャンルでの活躍は比類のない特色である。それのみならず、建学以来、今日に至るまで、日本国内を越えて近隣諸国にも開かれた大学であったことが、人材の幅と深さにいっそう豊穣さを与えている。

 歴史館は、大学が輩出した人物にも焦点を当てているが、改めて浮かび上がってくるのは、一国にとどまらない教育と人材の育成である。建学の当初より、朝鮮からの留学生を迎え、二○世紀初頭には清国留学生の多数を受け入れてきた。その後も、建国間もない中華民国や植民地となった朝鮮や台湾からの早稲田大学への留学生は少なくなかった。

 一方、卒業後に海外に渡り、日本学研究に尽力した角田柳作や朝河貫一は、米国のコロンビア大学、イェール大学において、各々後進を育てた。現在、コロンビア大学と早稲田大学との間では、日本文学を通じた学術交流が活発に行われおり、国際日本学を牽引している。近隣諸国との関係が必ずしも友好的とはいえない現状において、国境を越えた教育機関として果たすべきグローバル・ユニバーシティとしての早稲田大学の役割を歴史館から見て取ることができるにちがいない。

キャンパスのミュージアム化プロジェクト

常設展示Ⅲ「聳ゆる甍」エリア

 先に紹介した Waseda Vision 150には、「ワセダらしさと誇りの醸成」という核心戦略の下に「キャンパスのミュージアム化」がある。早稲田大学のキャンパスには、九○周年を迎えた坪内博士記念演劇博物館、二○周年の會津八一記念博物館をはじめ、銅像、石像など世界的に価値のある作品や資料が点在している。キャンパスを魅力ある文化・芸術のつまったミュージアムに見立てようというプロジェクトが進行中である。歴史館もまた、その一環である。新たに加わった文化施設が学びのモチベーションを高め、早稲田大学への愛着を深めることを願っている。

 大学は研究・教育を通じて、知性を向上させることは勿論のことであるが、心を涵養する貴重な場でもある。また、感性を磨く場でもある。急速なグローバリゼーションのなかで世界は混迷を深めており、分節化するのが困難なほどに複雑化している。広い視野にたった洞察力が不可欠なゆえんである。そのためには、知性とともに、心を養い、感性を磨くことが求められている。キャンパスがそのような時代の要請に応える場になることを願ってやまない。

李 成市(リ・ソンシ)/早稲田大学文学学術院教授

早稲田大学大学院博士課程修了、横浜国立大学助教授を経て、早稲田大学助教授、現在、早稲大学理事、文学学術院教授。博士(文学)。著書に『東アジアの王権と交易』、『古代東アジアの民族と国家』、『闘争の場としての古代史』、編著に『留学生の早稲田』、『世界歴史大系朝鮮史1・2』などがある。