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大藪 泰(おおやぶ・やすし)/早稲田大学文学学術院教授  略歴はこちらから

父親の子育てが与える子どもへのプラスの影響

大藪 泰/早稲田大学文学学術院教授

社会や文化はどのくらい子育てに影響する?

 人間の子育てには、時代や社会がもつ子育て観、つまり子育て文化の影響を受けにくい側面と、受けやすい側面がある。

 受けにくい側面として、例えば、赤ちゃんに対する親の語りかけが知られている。赤ちゃんには言葉の理解ができないことを知っていても、どこの国の親も、ゆっくりしたテンポ、やさしく高ピッチの音声、しり上がりの調子といった特有な語りかけで赤ちゃんに言葉をかける。こうした特徴をもつ赤ちゃんへの話しかけを、マザリーズ(母親語/育児語)というが、その特徴はおそらく過去のどの時代の親にも見られただろう。人間の親は赤ちゃんが好む語りかけを直観的に理解するのである。これなどは文化の影響を受けにくい子育て行動の例であり、そこには生物学的にプログラムされた仕組みが関与している可能性が指摘されている。

 一方、人間の親は、子どもの心の世界、家族のあるべき姿、社会での仕事などに対して周囲の人々がもつイメージや価値観から、子育てがもつ意味を評価しており、それが子育ての仕方に大きな違いをもたらすことも多い。子育てに対する社会の意味づけ、つまり子育て文化の違いによって、人間の親は非常に異なった子育ての仕方を採用するのである。例えば、子どもの自己主張に対する親の評価や、子どもへの体罰に対する態度には、育児文化によって違いがあることが知られている。

実は柔軟性に富む人間の父親による子育て

 さて、人の父親の子育ては、どちらのタイプなのだろうか。最近、朝の通勤電車の中で、おんぶ紐を使って赤ちゃんを抱き、保育所に連れていく途中の父親に出会うことがある。以前には、そんな光景に出会ったことがなく、私自身にも経験がないが、頑張っているイクメンお父さんを見ると声援を送りたくなる。また、関係している保育園の卒園式に出ると、お母さんとお父さんに送る感謝の作文のなかに、お父さんの料理を褒める言葉が出てくることが珍しくなくなった。こうした現象は、現代という時代と社会に影響された子育て光景であるに違いない。

 人間以外の動物の場合、鳥類では父親の養育行動は一般的である。オス鳥は、エサの幼虫をヒナに頻繁に運んでくる。南極の皇帝ペンギンのオスは、暗く厳しい冬の期間、卵を足とお腹の間で温め続ける。他方、哺乳類では、父親の育児行動はきわめてまれで、われわれに最も近縁な存在であるチンパンジーとボノボには、意味のある父親行動はほとんど見られないとされる。彼らの父親はどの個体が自分の子どもであるかに気づくことさえないようだ。それゆえ、人間の父親行動は、霊長類のなかでは特異な現象である。また、父親の役割は母親の役割より意志的で任意性が高い。人間の父親の養育行動は、文化による変異性が非常に大きいが、それは人の父親の育児行動がいかに柔軟性に富んでいるかを示している。

子どもに父親が与えられるプラスの影響

 近年、父親の子育て参加が急激に進み、それと並行して、あるいはそれを後押しするように、父親行動に対する心理学的研究が欧米で進展している。そうした研究は、父親が子どもの発達にユニークな仕方で貢献していることを明らかにしてきた。母親は子どもの主たる養育者であり、社会化の発達の推進者でもあるが、父親は、子どもの自立性の発達を支援しようとし、母親より、競争心、独立性、そして冒険心を促そうとする。また、父親の子育てへの関与が、対人的な場面での情動調整能力や学業の向上、児童期の問題行動の減少、成人してからの職業的成功や高い学歴と関連することを示した研究も見られる。さらに、低い経済階層の場合には、父親の積極的な育児への関与が子どもの発達遅滞を防止する可能性がある。

 父親の育児行動の有能性は、母親のそれと遜色がないことを示す研究もある。例えば、子どもに食事を与えるとき、父親は子どもが発する手がかりに対して、母親と同じような社会的応答をし、子どもの食事のペースに合わせながら対応する。父親も母親と同じように、子どもが声を出した後にその子に触ったり、より親密に見つめたりするし、子どもの発声後の語りかけの出現率も両者で同じように高くなる。

必要性を増す父親の育児参加

 しかしながら、子育てに対する女性の卓越性を否定することはできない。父親が自分の子どもの世話をしようという傾向が強いアメリカでも、父親は母親より赤ちゃんの世話をすることはかなり少ない。男女間の平等性を強調する社会的慣習をもつ前産業的な伝統社会における親の養育行動を観察しても、現代の西欧諸国で見出されたのと同じ母親優位のパターンが示されている。アカ族(the Aka:中央アフリカ共和国)という狩猟採集社会の父親は、子どもたちに直接的な世話をすることがもっとも多いことが知られている。それにもかかわらず、一日を通してみると、アカ族の父親が自分の赤ちゃんを抱いていた時間はトータルで平均57分間であり、母親のそれは490分であったという。

 家族集団で生活する多くの種の子育てには、アロマザリング(allomothering)あるいはアロパレンタル・ケア(alloparental care)、つまり母親以外の個体が子どもの世話をするという特徴があることが知られている。人間はその典型的な種である。その意味で、父親の育児は人間という生物にプログラムされた行動だと言えよう。しかし、同時にそれは、人間の社会や文化によって大きく影響される行動でもある。女性の社会参加が必要とされ、女性自身もそれを求めるようになった現代社会では、父親の育児参加は避けられなくなっている。そして、父親の育児参加は子どもの発達にプラスの影響をおよぼすことを最近の研究は示している。

大藪 泰(おおやぶ・やすし)/早稲田大学文学学術院教授

1951年生まれ
1979年 早稲田大学大学院文学研究科博士課程満期退学
1992年 早稲田大学文学部助教授
1995年 早稲田大学文学部教授
現  在 早稲田大学文学学術院長、文化構想学部長、教授、博士(文学)

専門 発達心理学 乳幼児心理学

著書
(単著)『新生児心理学』川島書店 1992年、『共同注意』川島書店 2004年、『赤ちゃんの心理学』日本評論社 2013年
(訳書)『乳児の対人感覚の発達』新曜社 2014年など