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加藤 典洋(かとう・のりひろ)早稲田大学国際学術院教授 略歴はこちらから

日本文学翻訳事業に"棹さして"
―事実誤認に基づく「仕分け」の愚

加藤 典洋/早稲田大学国際学術院教授

 今年6月20日、文部科学省の来年度「事業仕分け」で文化庁による「現代日本文学の翻訳」助成事業が打ち切り決定となった。そのことを受けて、このほど文芸雑誌『新潮』に一つ文章を書かせてもらった。(同9月号、「海の向こうで『現代日本文学』が亡びる」)幸いなことに、各方面で反響があったが、そのような文章を書くにいたった背景、その後の反響を記してみる。

 今回の仕分けで廃止が決定されたのは、文化庁が2002年からはじめた現代日本文学の英仏独露4カ国の言語への翻訳助成事業である。JLPP(Japanese Literature Publishing Project)という。翻訳、交流普及、翻訳者育成が事業の3つの柱で、これまで10年間に主に戦後の作品から、有識者による委員会が選定を行い、123作品を選び、英仏独露の4カ国語で229冊の翻訳を行ってきた。

 私がこの廃止決定について指摘した問題点は、二つある。一つは、そこに出されたデータが大きな基本的な誤りを含んでいたこと、もう一つは、評価者6名のなかにそうした基本的な誤りを指摘できる専門家が誰一人、含まれていなかったことである。

 主な誤りというのは、やはり二つ。まず、評価者の一人が、ある小さな米国の大学図書館のデータをもとに、民間ベースで刊行された日本文学の人気作家五名の翻訳図書がその大学図書館に19冊も所蔵されていることをあげ、国による翻訳書買い上げと図書館寄贈の交流普及事業はムダだと指摘したのだが、これは間違いで、この図書館の所蔵数はゼロであった。また、同じ評価者が、今度は、日本の現代文学が「海外で年平均470冊翻訳出版されている」というデータを持ち出し、国の翻訳助成自体が不要だとも、主張したのだが、これも事実といちじるしくかけ離れており、実数は年平均30冊にもみたなかった。間違いの理由がまた、お粗末極まりない。この評価者(市川眞一氏)は、人気作家の所蔵数では、その米国の大学図書館単独の検索システムと世界大横断の検索システムとを混同していたし、年平均翻訳点数では、国際交流基金が公開している「日本文学翻訳書誌検索」の件数を冊数と勘違いしていた。これだと、35篇収録の短篇集1冊が35冊、アンソロジー3冊で66冊と算定されてしまう。

 アメリカのほぼ無名の大学の図書館が、日本の「人気作家」の翻訳を19冊も所蔵していたり、日本の文学が世界で年470冊刊行されていたり。そんなことがありえないことは少しでもこの問題にふれた人間にならすぐにわかる。でもそこにいる誰一人、これを疑問に思わなかった、これが第二の問題である。

 仕分け評価者6名中、4名は、教育、会計、銀行、マネジメントの専門家で、残りの二人が、通訳(翻訳ではなく)、日本語及びコミュニケーション(日本文学ではなく)の専門家。現代日本文学の翻訳について「知識」「見識」をもつ「有識者」は評価者6名中、一人も入っていなかった。少なくともこれは、「仕分け」主催者である文部科学省の手落ちだろう。そう私はその文章に書き、作業の仕切り直しを要望した。

 しかし、かくいう私も、7月なかばまで、このことを知らなかった。優れた翻訳者として知られる友人のMichael Emmerichにゲストとしてきてもらい、教室で話をしてもらったおりに、この話が彼の口から出た。それではじめて知った。新聞等に、このことが大きく報道されたわけではない。このことのうちに、問題の深刻さが、よく現れている。

 私は、文芸評論を本職としている。大学でも教えるが、もともと英語など何の関係もない人間である。7年前から、思うところあり英語を自前で勉強し、本学の国際教養学部で英訳の日本文学を扱い、英語で現代日本文学を講じてきた。受講者の三分の一ほどが、日本語を読めない外国からの留学生だが、彼らとのやりとりは、時にスリリングである。その蓄積の一端は、去年、『村上春樹の短編を英語で読む 1979-2011』という600ページある本の形で世に出した。その本には「But Writing About Them in Japanese」という奇妙な副題がついている。英語で授業し、英語で読み、英語で論じた。それを、日本語で書いている、という私のイクスキューズである。

 いったい自分は何をしているのだろう。そう思うこともあるが、二つの言語のはざまに立つと、いままで見えなかった景色が、見えてくる。いまでは、日本の文学の英訳の現状も少しはわかる。文芸評論が本職なので、編集者、小説家に知り合いも多い。JLPPの事業にも、少しは通じている。もしこれが廃止になったら、どうなるかが、すぐにわかった。まず、翻訳の現状をささえている外国人の翻訳者たちが、これでとうとう心が折れる。いまや落ち目の日本から関心を失いつつある海外の出版社が、これで決定的にそっぽを向く。これまでJLPPの助成を含む各方面の努力と協力があってかろうじて作られようとしていたネットワークも、これで立ち枯れる、などなど。

 こういうわけで、事実の正確さを期すため、JLPPの事務局を現在預かるOさんにもお話を聞き、村上春樹の翻訳者として知られるAlfred Birnbaumとも会い、編集部の人に助けられて各種資料を手にし、翻訳者の友人にも助けられ、件の文章を書いた。

 結果は、いくつかの新聞が、このことを記事にしてくれ、何人かの評者が時評に取りあげ、またこの文章を読んだ何人かの翻訳者が、喜んでくれたらしいことが、Oさんを通じて伝わってきている。でも、「こういう批判があると、お役人というのは、頑ななので、かえって最初の決定に固執するかもしれないね」という事情通の声もある。さあ、どうなるか。でも、この問いは主語があいまいだ。私の学生なら、そう言うだろう。私たちが、私たちのことで、いま、海の向こうの日本に関心を持つ人たちに、どうするのかと、注視されているのである。

加藤 典洋(かとう・のりひろ)/早稲田大学国際学術院(国際教養学部)教授

【略歴】
1948年山形県生まれ。東京大学文学部仏文科卒。国会図書館司書、明治学院大学教授をへて、2005年より現職(現代日本文学・戦後思想文化史を担当)。
文芸評論家。著書に『言語表現法講義』(第10回新潮学芸賞)、『敗戦後論』(第9回伊藤整文学賞)、『テクストから遠く離れて』・『小説の未来』(ともに第7回桑原武夫学芸賞)のほか、『アメリカの影』、『日本の無思想』、『村上春樹の短編を英語で読む1979-2011』など多数。