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日下 力(くさか・つとむ)早稲田大学文学学術院教授 略歴はこちらから

平清盛~大河ドラマの向こう~

日下 力/早稲田大学文学学術院教授

(一)「最吉」の生まれ

 清盛の誕生日は一月十八日であった。そのことを伝える鎌倉期の貴族の日記『玉蘂(ぎょくずい)』は、「正月誕生の人は皆最吉なり」として、醍醐天皇、三条院、鳥羽院に続けて清盛の名をあげる。

 NHKの大河ドラマ「平清盛」の誕生場面は、どうも一月という雰囲気ではなかったような気がする。母は、これも貴族の日記の『中右記(ちゅうゆうき)』に、夕方、忠盛の妻がにわかに死んだが、彼女は「仙院の辺」、つまり白河院の近辺に仕えていた、とある女性と考えられる。とすれば、清盛が満二歳だった時のことになる。ドラマでは、生まれおちてすぐに母は殺されていた。

 一般に読まれている『平家物語』は、清盛の実父を白河院、生母を祇園女御(にょうご)としているが、古いテキストにさかのぼってみると、女御に仕えていた女房が生母で、生まれてきた清盛を女御が可愛がっていたとある。それが事実に近かろうし、ドラマもその説をとったと見える。実父が白河院かどうかは知るよしもないが、落胤説は今に根強い。が、権力者一般の持つ自己顕示欲の強さを思えば、自ら詐称した可能性も否定できまい。晩年、ある僧から、おそらくは追従で、比叡山の中興の祖と言われる慈恵僧正の再誕と言われて喜んでいたと伝わるのも、そうしたことを連想させる。

(二)背は低かったか

 彼のあだ名は「高平太(たかへいだ)」だったという。高い足駄(あしだ)を履いた平家の太郎(長男)の意である。そのあだ名から、低い背丈ゆえに背伸びして威張って歩く姿が思い浮かぶ。それを『平家物語』は、十四、五歳ころのこととし、当時、出仕のあてもない身で、資産家であった藤原家成の邸宅に出入りしていたとする。しかし実際は、数え年一二歳の時、天皇の勅許(ちょっきょ)を得て与えられる五位の位を賜り、兵衛府の次官である左兵衛佐(すけ)に初任官しているから、武士として実に早い出世であった。ドラマは、この任官を院御所の警備役たる北面の武士にすりかえたらしい。

 家成もドラマに顔を出しているが、平氏一門との交流は、母が清盛の義母つまり忠盛の正妻池禅尼(藤原宗子)の父と兄弟だったことに始まったのであろう。その息子の成親(なりちか)は、清盛一族と姻戚関係を深めるものの、やがて平氏排斥の最初の事件、鹿(しし)の谷事件を起こし、清盛によって暗殺されてしまう。

(三)祇園女御の荘園

 「女御」は、天皇の妃に与えられる公の称号。彼女の場合は、それが与えられる身分でもなかったのに、世人がそう呼ぶほど、白河院の寵愛を得ていたという。白河院の子と言われる崇徳帝を身ごもる待賢門院を養育したのは、彼女であった。その崇徳帝の皇子の乳母(めのと)を、池禅尼が務めることになる。ドラマでも描かれていたと思うが、正盛・忠盛父子は女御に仕えていた。その因縁があって、乳母に抜擢されたものと思われる。

 忠盛は女御が持っていた荘園を管理し、その管理権は、池禅尼との間に生まれた、ドラマで今活躍している家盛の弟の頼盛が引き継ぎ、更にその子の光盛からその娘たちへと代々継承されたことが明らかになっている。清盛の家系には、女御の恩恵が及ばなかったのかもしれない。とすれば、幼い時に可愛がられていたとしても、成長してからの二人の関係は果たしてどうであったのか。ちなみに、清盛と頼盛とは犬猿の仲となる。

(四)気配りの人

 保元の乱・平治の乱における清盛の功績は大きく、乱後に飛躍的な昇進を遂げるのであるが、その当初、後白河院と二条天皇父子の間には政治の覇権を争う険悪な雰囲気があった。清盛は、「あなたこなた」して、どちらにもいい顔をしていたと『愚管抄』は伝える。

 そうした性格は、配下の者への気配りを怠らなかったという『十訓抄』の逸話とも合致する。彼は、場に合わぬざれ言に対しても鷹揚に笑ってやり、失敗もことさら咎め立てせず、冬の寒い夜、年少の侍を衣の裾に寝かせて好きなだけ眠らせ、末々の者でもその身内の前では一人前に扱って面目を立てさせたので、多くの人が心を寄せたとある。

 しかし晩年には、クーデターを起こして公卿三十九人の首をすげ替え、後白河院を幽閉、自らの一存で都を京から福原(神戸市)へ移し、奈良の東大寺・興福寺を焼き討ちさせた。その蛮行と彼の性格はどう結びつくのか、ドラマの見せどころとなるのであろう。

日下 力(くさか・つとむ)/早稲田大学文学学術院教授

【略歴】
1945年生まれ。早稲田大学文学部出身。岩手大学教育学部助手、専任講師、助教授を経て、’79年に早稲田大学文学部助教授、’84年より現職。

【主著】
『平治物語の成立と展開』(吸古書院)、『平家物語の誕生』(岩波書店)、『岩波セミナーブックス 平治物語』(同)、『平家物語転読』(笠間書院)、『いくさ物語の世界―中世軍記文学を読む』(岩波新書)、『平家物語大事典』(共編著・東京書籍)など。新刊書に『中世尼僧 愛の果てに―『とはずがたり』の世界』(角川選書)。