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菊池 徹夫/早稲田大学文学学術院教授 略歴はこちらから

邪馬台国報道から考える埋蔵文化財の危機

菊池 徹夫/早稲田大学文学学術院教授

奈良・纒向遺跡における大型建物跡発見の歴史的意義

 去る11月11日の主要各紙一面では、英国人女性の遺体遺棄容疑者の逮捕と森繁久弥氏死去の記事と並んで、奈良の纒向遺跡で3世紀前半の大型建物跡発見、という記事がせめぎ合っていた。これには別に詳しい解説記事もあって、ここが『魏志倭人伝』の伝える邪馬台国の中枢施設か、との趣旨だ。大ニュースの間でエジプト以外の考古ネタがこれだけ健闘するのは珍しいだろう。さすが、古代史ファンの多い卑弥呼の実力か、と思われた。

 だが今回の発掘成果は、じつは邪馬台国が大和か九州かといったいわゆる所在地論争の問題だけではなく、日本史全体、いや現代社会に生きる我々すべてに関わる大事件といってもいいと思われる。各紙が競って大きく報道したのは、その意味からきわめて妥当だった。

 過去の歴史が忘れられていくことが心配だ、との先日の天皇の言葉の趣意は、もちろん近・現代の、特に戦争の惨禍のことであろうが、しかし歴史というものが切れ目のない連続である以上、これは、じつは遠い過去の歴史全体にいえることなのだ。三輪山の麓のこの地が邪馬台国なのか、今回出た遺構が卑弥呼の神殿か居城かといったことはもとより興味深いが、この日本列島で、そもそも権力や身分、武力や宗教、そして都市や国家といったものがいつごろ、どこで、どのようにつくられていったのか。こうしたことの解明の鍵をこの遺跡は秘めている。そのことこそがこの発見の重要な点なのだ。

埋蔵文化財・博物館の危機 文化にもセイフティ・ネットを!

 考古学は、よく言われる歴史の真実といった意味ありげなものより、可能な限りありのままの歴史事実をこそ、まずは重視する。埋蔵文化財とも呼ばれる遺跡・遺物こそは、このような歴史事実を語るほとんど唯一確かな物証なのだ。

 ところが、こうした我々国民の正しい歴史を示す埋蔵文化財つまり出土品が、いまどう扱われているかご存知だろうか。文化庁はじめ全国の埋文関係者の懸命の努力にもかかわらず、どこでもこれらの保管施設が著しく劣悪で、だいいち、これらのうち最重要資料を国レベルで保管・展示・活用するための国立考古学博物館の一つすらない。

 そのうえ、このところ政府に対して地方分権委員会の勧告が出されると聞く。博物館の設置を地方に任せようというのだ。文化意識も高く財源もある地域はいい。問題は、そうではない多くの地域の博物館が、地方分権の美名の下に、また経済優先の風潮のなか骨抜きにされるのでは、という危惧だ。もとより地方ごとの特色や軽重は当然だ。だが考えてみてもいただきたい。施設も学芸員もなく展示資料すら持たない博物館などあってよいものだろうか。

 「民間のできることは民間に」と同様、「地方のやれることは地方に」は方向としては正しい。だが、国が国としての責任上どうしてもやるべきこと、国しか出来ないことは断固として国がやらねばならない。少なくとも「地方に丸投げ」は新しい政権のとるところではないはずだ。

 文化財や景観のように、万人がその価値を認めるものでありながら、私利・私欲とは無縁の、私益を超えた、文字どおりの公益に対しては、いわば文化のセイフティ・ネットが必要なのだ。

 このままの文化財行政では、いまに出土資料の保管に困って不法に遺棄するような不幸な事態も危惧されるのではないか。善し悪しはともかく公共工事の減少に伴い、必然的に行政発掘も減る今こそ、抜本的対策を講じるチャンスだと思われる。

文化行政の地方分権と国の責任

 じつは、昨年私が一般社団法人日本考古学協会の会長に就任して初仕事が、広島県福山市鞆の浦の歴史的景観保護のため公共工事の差し止めを求める依頼文を出すことと、近つ飛鳥博物館など大阪府の博物館等の存続を求める決議文を橋下知事に提出することだった。鞆の浦については、その後、ご存じのように地裁の賢明な判断で埋め立てが差し止められて「景観利益」が守られ、ひとまず悦ばしい結果となった。このように最近の考古学界は当然ながら社会的発言を求められることも少なくない。

 こと文化については、もちろん享受する者の不断の努力が必須だし、たとえば英国のようにNPOやボランティアや寄付行為によって自ら維持しようとする意志は大切だ。が、残念ながら日本では未だそうした文化的風土が未成熟だ。国は税制面などでそれを積極的に助長・育成する方向に努力すべきだろう。事業仕分けで大きな無駄を摘発し、切ることはとてもいいことだ。しかし、文化、景観、芸術あるいは基礎科学といった分野に関しては、ただただ右肩上がりの成績やコスト・パフォーマンスを押しつけるだけで、簡単に切り捨てるべきではない。

 なお、平泉、鎌倉をはじめ、縄文遺跡群、陵墓を含む百舌古市古墳群など考古学的資産もいま世界文化遺産登録を目指している。イコモスの認定が年々難しくはなっているとはいえ、ことに地元にとっては悲願だ。世界遺産があくまで国の責任において申請されるものである以上、国はその基礎としての各地方の埋蔵文化財をきちんと整備し、国民全体の資産として保存、活用し、世界に公開し、人類共有の資産として後世に伝えていく義務もあろう。くり返すが、地方分権だからといって国の責任が軽くなるわけでは決してない。

菊池 徹夫(きくち・てつお)/早稲田大学文学学術院教授

早稲田大学文学部卒業、東京大学大学院文学研究科考古学専攻修了。東京大学文学部助手、早稲田大学文学部助教授を経て、早稲田大学文学学術院教授。早稲田大学比較考古学研究所所長、日本考古学協会会長。専門は、北方考古学・比較考古学。主要業績は、『世界考古学事典』(1979年、平凡社)共編著、『北方考古学の研究』(1985年、六興出版)、『考古学調査研究ハンドブックス』全3巻(1985年、雄山閣)共編著、『歴史科学としての考古学』(1991年、雄山閣)共訳、『考古学の教室』(2007年、平凡社)、シリーズ「世界の考古学」(1997年~刊行中、同成社)共同企画監修、シリーズ「日本の遺跡」(2005年~刊行中、同成社)共同企画監修など。