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©Asako Yamazaki
笹原 宏之(ささはら・ひろゆき) 早稲田大学社会科学総合学術院教授 略歴はこちらから

「崖」と「垳」と「坿」
― 時には漢字を見つめよう ―

笹原 宏之/早稲田大学社会科学総合学術院教授

 宮崎駿監督の映画「崖の上のポニョ」が好評で、全国の映画館で上演が続けられているそうだ。「崖(がけ)」という漢字は現在、内閣告示・訓令によって公布されている「常用漢字表」の中に含まれていないが、そこに追加する字の候補の一つとして挙げられている。確かに一般によく浸透している字であり、子供も見るこの映画の広告などでも、読み仮名の振られていないことが多い。

 日本列島は、地形が起伏に富むため、「がけ」すなわち断崖は大きなものから小さなものまで各地に無数に存在する。実は、「がけ」という和語(やまとことば)は、中世期に入ってからやっと文献上に現れた比較的新しい語である。そして、日本の人々は、それに対応する最適な漢字がなかなか見付けられなかったようだ。中世期から、「峪」「岨」「石偏に戔」など、それらしい意味や字面をもつ様々な漢字が、中国の書物や辞書から見つけ出され、日本の物語や文書などを筆写する際に、あてがわれてきた。

 現在、パソコンで、「がけ」を漢字変換すると、「崖」のほかに「垳(がけ)」が変換候補として出てくることがある。「垳」という字は、中国にはない「国字」であるが、埼玉県八潮市垳という地名として存在している。ある地域で、土地の名前など限定的な用途で用いられる文字を「地域文字」と呼ぶ。ことばに方言があるように、実は漢字にもこうした地域による変異が見られるのだ。県内では、この字は姓としても用いられているが、1978年に「JIS漢字」の第2水準に採用されたのは、まさにこの地名での使用を理由としていたのである。

 「がけ」という語に「崖」という漢字が当てられたのは、江戸時代も半ばになってからのことで、「がけ」と訓読みする字としては、元禄時代以前から現れる「垳」の方が早いのであった。ある新聞社の方とそこを訪れてみたところ、確かに「がけ」のような斜面を川岸にもつ大きな中川のほか「垳川」が流れていた。現在では立派な「垳川排水機場」も設けられている。「垳」は八潮市内の大字(あざ)で、その地の常然寺には「垳の万人塔」も建立されている。

写真1

 ここでは、「垳」を「桁」や「行」という別の字で代用してしまったNTTや郵便局の掲示物も見受けられ、また現地の家々の表札には「がけ」「ガケ」という仮名表記も目に付いた。しかし、住所として、人々の生活の中でこの字が確かに生き続けている。「垳稲荷神社」「垳町会」「垳消防団」「垳ふれあい会館」(公民館)(写真1)など。地元のご婦人は言う、「垳の字は、韓国にも中国にもない国字なんですよ」と。開通したばかりの「つくばエクスプレス」で、秋葉原駅から17分の八潮駅のそば、すぐ隣は東京都足立区だ。

 「土」と「行く」とで「がけ」というのは、何となく感覚的に分かるような気もする。この会意文字だと感じ取れる点がこの字を定着させた要因であろう。実際には、この字は元は「がけ」を意味する「圻」(キ)という漢字であったようだ。それは中世期の辞書に証拠があるのだが、その旁の「斤」の形態が不安定で、かつ意味をイメージしにくいことから、埼玉辺りの地で「垳」へと字の形を変えたもののようだ。

写真2

 ほかにも、「圻」の旁の部分の形が、「垳」とは違う変化を起こして「坿(がけ)」へと変わったことがあった。その字が使われている地区が東北新幹線の福島駅の隣、南福島駅近く、福島市大森から太平寺にかけての地内にある。その字を名に負う「坿町会」や「大森坿公園」(写真2)も設けられており、小さいながらもやはり川が流れ、そこに小ぶりではあるが「がけ」のような斜面が見られた。電力会社による掲示には、部首を間違えた「拊」という誤記も用いられていた。

 「坿」という字の文献上での使用例は、やはり比較的古く、江戸時代の初期にまで遡る。「圻」から形が変わったものならば誤字ではないか、と思われるかもしれない。しかし、中世や近世においては、「訴」も「言偏に斤」とも書かれ、「析」もまた「柝」と通じて用いられるのが通例であった。「坿」は、そうして「圻」の「斤」が「斥」へと姿を変え、さらに「付」へ変わったものと考えられる。

 上に記した程度の字体の変化は、毛筆書きの時代にはそれほど珍しいことではなかった。「崖」の字による表記が一般化し、大勢を占めるまでの間、「がけ」の漢字表記も、漢字の字体も、なかなか一定せずに大いに揺れつづけていた。日本語の漢字と表記の揺籃期の名残をとどめるのがこれらの「垳」と「坿」なのである。

 日本語と中国語とは、本来全く異質な言語であった。文字をもたない日本人は、漢字を受け容れ、日本のさまざまな社会の中でそれを変容させてきた。日本各地の独特な漢字の存在は、全国共通の字から見ると、出自や典拠という点で実に頼りないものではある。そして「垳」も「坿」も、「がけ」を表す地名としては、日本中で1か所ずつしか現存していない。日・中のことばと漢字の意味を照合し、摺り合わせ、漢字の字面まで変化させてやっと成立したのがこれらの地名なのである。

 すべてのものごとに画一化や簡易化が進んでいく現代にあって、これらの個性ある地名を当たり前のものとして用いている地元の方々だけでなく、こうした地名に違和感をもって接するであろうすべての方々には、歴史の最先端を担う当事者の一人として、日々の暮らしの中で、上述したような事実を意識していただけるひとときのあることを願ってやまない。

笹原 宏之/早稲田大学社会科学総合学術院教授

【略歴】

1965年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部で中国語学を専攻、同大学院文学研究科では日本語学を専攻。博士(文学)(早稲田大学)。
古代の金石文から現在のインターネットに至る各種の資料を対象に、さまざまな漢字・文字・表記について調査研究する。
経済産業省の「JIS漢字」、法務省法制審議会の「人名用漢字」、文部科学省文化審議会の「常用漢字」の改正にも携わる。
文化女子大学専任講師、国立国語研究所主任研究官、早稲田大学社会科学総合学術院助教授などを経て、2007年より早稲田大学社会科学総合学術院教授。著書・論文に、『日本の漢字』(岩波新書 2006年1月)、『訓読みのはなし漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書 2008年5月)などがあり、『国字の位相と展開』(三省堂 2007年3月)により、 第35回金田一京助博士記念賞を受賞。