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福田 育弘(ふくだ・いくひろ)/早稲田大学教育・総合科学学術院 教授  略歴はこちらから

自然派ワイン大国日本

自然派ワインシンポジウムから見えるその実態

福田 育弘(ふくだ・いくひろ)/早稲田大学教育・総合科学学術院 教授
2023.1.23

 日本では20代30代の若い人を中心に、いわゆる「自然派ワイン」のブームが起きている。

 フランス語で「ヴァン ナチュール」、あるいは英語で「ナチュラルワイン」といわれるワインである。厳密な定義はないが、基本的にぶどうを有機栽培で作り、醸造も野生酵母を用い、酸化防止剤も極力添加しないで作った自然な作りのワインである。

 東京をはじめとした大都市には自然派ワイン専門のショップやワインバーがたくさん展開されている。

 それを裏づけるように、若者向けの雑誌『BRUTUS』の2022年6月の「ナチュラルワイン」特集号は、バックナンバーのなかでもっとも売れているという。表紙は自然派を特徴づける微発泡で濁りのある白ワインのグラスを傾けるタレントの佐々木希氏だ。

 2022年725日に、早稲田大学でわたしが所長を務めるヒューマン・ナチュラルリソースマネージメント研究所の主催で「自然派ワインの果て」というタイトルのシンポジウムを開催した。

 招いたのは、いま日本で注目すべきワイン作りをしている二人の作り手、小山田幸紀氏と大岡弘武氏。250名収容の大教室が満員となる盛況、聴衆の過半は20代後半から30代の若い人たちだった。

 なぜ、自然派ワインが台頭したのか。それは、戦後、農業に化学肥料や農薬が多用され、さらに1970年代以降、醸造で多くの化学物質や科学的手法が使用され、ワインが自然な飲み物から遠ざかったためだ。要するに、伝統的な手法への回帰である。

 ただし、単純な回帰ではなく、さまざまな科学的知見を応用しつつ、自然になるべく寄り添うワインを作っていこうという態度だ。

 18世紀ぐらいまでは、科学的な知見や技術がさほどなかったため、人間は経験にそくして自然のなかで暮らしていた。「自然化」の状態だ。しかし、19世紀以降科学が発達し、テクノロジーが進歩すると、人間はそれによって自然をコントロールして「脱自然化」する。そのテクノロジーによる自然の開発と利用がいま環境破壊や異常気象となって人間に跳ね返ってきている。こうして、科学的知見にもとづきつつ、その知見を選択的に活用する時代に、わたしたちは入りつつある。わたしはこのフェーズを「再自然化」と呼んでいる。

 端的にいって自然派ワインは再自然化の産物である。もちろん、ワイン用の上質なぶどうが自然に生育するわけではなく、ぶどうが自然にワインになるわけでもない。しかし、ここ半世紀、ワイン作りは化学工業となってしまった。自然派ワインの愛好者のなかには、酸化防止剤アレルギーの人もいる。技術が新たな災いをもたらしうることを理解するのに、なにも核エネルギーを持ち出す必要はない。日常生活に科学技術の弊害は現れている。

 フランスでは、1980年代から有機栽培と、より自然な醸造によるワイン作りが行われるようになり、それが「自然派ワイン」と呼ばれるようになるのは1990年代からである。日本で、「自然派ワイン」という呼称が広がるのは2000年代中盤以降である。

 ここで重要な点は、日本は世界有数の自然派ワイン輸入大国であるという事実だ。フランスで十年以上にわたり自然派ワインを作って高い評価を受け、2016年に帰国、いまは岡山で自然派ワインを作る大岡弘武氏は「フランスの自然派を支えてくれたのは日本の市場だ」とシンポジウムで断言している。

 もちろん、フランスで始まった自然派ワイン作りだが、フランスでの愛好者は限られている。フランスをはじめとした伝統的なワイン産国では、ワインは日本でよくいわれるように嗜好品ではなく、日常の食卓にある普通の飲み物であるからだ。農薬や化学的製法を使ったあまり自然とはいえないワインの味に日常的に親しんで半世紀以上、自然派ワインの味わいに違和感を抱いても無理はない。しかも、初期の自然派ワインには、揮発酸がたったものや、健全さに欠けるものも多かったからなおさらだ。

 そんな自然派ワインが、なぜ日本で受けるのか。それは、日本ではまだまだワインは嗜好品的な要素を持ちつつ、世代を経ることで日常の食中酒になりつつあるからだ。いまの若い世代にとって、かつての世代よりワインが身近にあることは確実だ。若い層が中心となって、ワインは日常の食卓をプチハレ化する飲み物になりつつある。これが、うまく作られると素直で飲みやすく、それでいて優しいふくよかさがある自然派ワインが日本で受ける理由である。

 しかも、その優しくふくよかな味わいが、醤油や出汁を多用する日本料理にうまく調和してくれる。まさに日本の食卓に適した食中酒なのだ。

 このような自然派ワインの広がりは消費レベルだけではない。日本の作り手、とくに2000年代以降に加速するぶどう栽培からワイン作りに新たに個人として参入する新しい作り手たちに多くの影響をあたえている。彼らはみんなワインに魅了されてワイン作りに転じた人びとだ。そんな彼らが農薬を多用し、醸造で扱いやすい培養酵母に頼る効率のいいワイン作りを目指すはずもなく、お手本となるのは、自然派のワイン作りだ。

 シンポジウムのパネラーに招いた小山田氏と大岡氏の二人は、そうした自然なワイン作りを実践してきた代表的な作り手である。自然派ワインや日本ワインの愛好家から高く評価されているだけでなく、日本の若い作り手たちが模範とする生産者でもある。多くの聴衆が集まったのも当然である。

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左から司会の吉川成美氏、大岡弘武氏、小山田幸紀氏、福田育弘教授

福田 育弘(ふくだ・いくひろ)/早稲田大学教育・総合科学学術院 教授

1955年名古屋市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科フランス文学専攻博士後期課程中退。1985年から88年まで、フランス政府給付留学生としてパリ第3大学博士課程に留学。1991年流通経済大学専任講師、1993年同助教授を経て、1995年早稲田大学教育学部専任講師、1996年同助教授、2002年より同教授。その間、2000~2001年に南仏のエクス=マルセーユ大学で在外研究。2016年4月から6月、パリ第4大学(ソルボンヌ大学)で在外研究、地理学科飲食のマスターコースでおもに日本の飲食文化についての講義を担当。

専門は、文化学(とくにポストコロニアルの文化と文学、飲食表象論)、フランス文化・文学。

著書に『ワインと書物でフランスめぐり』(国書刊行会)、『「飲食」というレッスン』(三修社)、『新・ワイン学入門』(集英社インターナショナル)、『ともに食べるということ』(教育評論社)など。

訳書に、ラシッド・ブージェドラ『離縁』(国書刊行会)、ロジェ・ディオン『ワインと風土』(人文書院)、ミシェル・ビュートル『即興演奏』(河出書房新社、共訳)、アブデルケビール・ハティビ『マグレブ 複数文化のトポス』(青土社、共訳)、ロジェ・ディオン『フランスワイン文化史全書』(国書刊行会、共訳)など多数。