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小原 隆治(こはら・たかはる)/早稲田大学政治経済学術院教授  略歴はこちらから

コロナ感染広がる英国から帰国して

小原 隆治(こはら・たかはる)/早稲田大学政治経済学術院教授
2020.11.24

 2019年4月から2020年3月までの1年間、職場の理解と協力を得て英国スコットランドのエディンバラ大学に在籍し、研究に専念する機会に恵まれた。労働党ブレア政権の分権改革から20年、その成果と今後のゆくえを確かめることにもともとの主眼があったが、実際は英国のEU離脱=ブレクシットや、その帰趨を決める総選挙をめぐる動きを追いかけることにほぼ終始した。そして英国で、2020年1月末を限りにEU離脱したあと、今度は都市部中心にコロナ感染が広がり、帰国間際までまたとない経験を得るめぐり合わせになった。

 その経験の実情や、英国政府のコロナ対策の特徴について、ここでかいつまんで述べてみたい。コロナ対策の日英比較に言及はしないが、彼我の差が小さくないことは、以下で論じるところからおのずと察せられるとおりである。

感染の急拡大と政策の急転換

 3月中旬になってコロナ感染が急速に広がり始めると、英国政府はそれまでの模様眺めに近い姿勢をあらため、厳しい封じ込め策へと政策を急転換した。それを象徴したのが、保守党ジョンソン首相が3月232030分からBBC特別番組を通じ、国民に向けて訴えた以下のスピーチである(写真1)。

「全国民にとっての緊急事態です」

「外出しないでください」

「わたしたちの国民保健医療サービスNHSといのちを守りましょう」

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【写真1】写真提供:ロイター=共同

 −−−これで英国の社会経済活動はほとんど止まるだろう。帰国直前の自分たちにとって、コロナ感染とは別のもう1つの意味でも緊急事態になった。4月2日でビザの有効期限が切れる前に帰国すること自体が難しくなったかもしれない。首相スピーチを視聴しながら溜め息まじりにそう思えた。

 具体的にいうと、まず、各国政府の外国人入国拒否措置が広がり、航空会社もつぎつぎに減便するなかで、帰国便の再手配をどうするか。また、現地での家財道具ほかの処分や、引っ越し荷物の送り出しをどうするか。なかでも一番頭を抱えたのが、首相スピーチ直前の夕刻になって、あれほど念押しした取り引きの約束をディーラーからキャンセルされた中古車の処分だった。

 結局、これらの問題は、在エディンバラ日本国総領事館からの助言も得てなんとか解決できたが、とくに中古車処分が一件落着するまでは、さてどうしようかと何度も天を仰いだ。

英国政府のコロナ対策

 英国政府のコロナ対策は、①厳しい外出・営業規制=ロックダウンと、②手厚い休業補償という表裏一体となった2本柱の政策を基本としている。

 ②の休業補償はさらに、ⓐ雇用維持または一時休暇スキームthe job retention/ furlough schemeと、ⓑ自営業所得支援スキームthe self-employment income support schemeの2つに分かれる。どちらも補償の程度はほぼ同じで、コロナ禍で困窮する給与所得者や自営業者に月額所得の8割、上限2,500ポンド(約35万円)までを補助するしくみと考えていい。対象期間はこの3月から始まり、補助率・上限額を段階的に切り下げながら10月まで継続する。

 ⓐの給与所得者対象スキームにやや遅れて、ⓑの自営業者対象スキームも設けられた背景には、英国で非正規雇用gig economyが拡張し、その一環として宅配業やハイヤー運転業など、かたちだけ自営業の身分不安定な労働者が急増した事情がある(図1参照)。社会派の映画監督として世界的に著名なK.ローチの最新作「家族を想うとき」'Sorry We Missed You'は、そうした事情やそれが社会になにをもたらすかを鋭く描き、英国社会のいまを理解する重要な手がかりを提供してくれる作品である。1度接してみることを強く薦める。

waseda1124_2.jpg【図1】出所:https://www.bbc.com/news/business-52052123による。

 ジョンソン政権のコロナ対策を全体として見るなら、そこには保守党政権でありながら、雇用確保や所得保障を優先する社会民主主義的とさえいっていい特徴があるように思える。また、ロックダウンと補償を組み合わせるのは、おもなEU諸国が採るヨーロッパ標準型の政策路線であって、ブレクシット強硬派のジョンソン首相がEU諸国と共同歩調を取るのは1つの皮肉にも見える。うがっていえば、ブレクシット反対派に「それ見たことか」と批判されまいとする配慮も働いたのかもしれない。

「社会は存在する」

 いま述べたことと関連して、この間、有名になったエピソードを最後に紹介したい。ジョンソン首相自身が3月末にコロナ感染し、隔離生活中に自撮りの動画メッセージを公表する。そのなかで、厳しい規制ルールに従う市民や、NHSで働く医師、看護師らに感謝の気持ちを伝えつつ「コロナ禍を経験してわかったことがある。社会というものは実際に存在する(There really is such a thing as society)」と述べたことである。この発言の後段は英国の元保守党党首、元首相で、かつて新自由主義の旗手だったサッチャーが語った有名な言葉をあきらかに意識したものである。

 サッチャー首相は1987年、ある雑誌のインタビューに応えてこう述べる。「なにかあるとすぐ社会が悪いという人がいるが、社会とは誰のことか。社会というものは存在しない(There is no such thing as society)。存在するのは個々の男や女や家族だ。個人がまず自分で自分を助けることだ」(https://www.theguardian.com/politics/2020/mar/29/20000-nhs-staff-return-to-service-johnson-says-from-coronavirus-isolation, https://www.margaretthatcher.org/document/106689

 もちろん英国でこの10年間、非正規雇用の拡張など新自由主義的な政策を進めてきたのは保守党政権で、その保守党の本流に位置するジョンソン首相が根本的に宗旨替えしたと判断するのは無邪気に過ぎる。しかし、ジョンソン政権のこれまでのコロナ対策が新自由主義路線から遠く離れていること、政治学ではよく経路依存path dependencyと呼ぶが、それが今後の政策のゆくえも方向づけることは確かであるように思える。


 *『月刊自治研』2019年7月号〜2020年5月号に3〜4ヶ月おきに連載した「スコットランド便り」、『とうきょうの自治』113号(2019年6月)〜116号(2020年3月)に連載した「エディンバラ通信」、『議会と自治体』202010月号に寄せた「感染広がる英国からの帰国記」で、以上の内容に関連するより詳しい考察を行なっている。関心ある向きは参照されたい。

小原 隆治(こはら・たかはる)/早稲田大学政治経済学術院教授

1959年長野県生まれ。1982年早稲田大学政治経済学部卒業。1990年同大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。成蹊大学法学部教授を経て2010年より現職。
専攻は地方自治。

著書に編著『これでいいのか平成の大合併』(コモンズ、2003年)、共編『平成大合併と広域連合』(公人社、2007年)、共編『新しい公共と自治の現場』(コモンズ、2011年)、共編『震災後の自治体ガバナンス』(東洋経済新報社、2015年)など。