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広瀬 統一(ひろせ・のりかず)/早稲田大学スポーツ科学学術院教授 略歴はこちらから
今だからより求められる、「なぜ」を問う姿勢
広瀬 統一(ひろせ・のりかず)/早稲田大学スポーツ科学学術院教授
2020.10.26
この原稿を執筆中(2020年8月)にも、学校部活動で生じた新型コロナウィルス感染症のクラスター発生に対するSNS上での様々な意見が、メディアで紹介されています。「安全管理は適切だったのか?」「いまの状況でスポーツ活動は行うべきなのか?」。本稿を読んでいる皆さんも、それぞれの意見を持っていることでしょう。ひとつひとつの課題についてここで論じることはしません。しかしこの事柄が明確に示していることは、決してスポーツは社会から切り離されたものではなく、「スポーツは社会の一部である」ことを認識する必要性でしょう。そのうえで、スポーツに関わるひとは、「なぜスポーツをするのか」をこれまで以上に問い、スポーツをすることについて社会の共感を得ることが求められているように感じています。
1. 社会からみた「するスポーツ」の価値
先日、娘に「スポーツを観て涙を流したことはあるか?」と聞いたところ、「2011年のなでしこジャパンがワールドカップで優勝した瞬間のDVDを観て泣いた、勇気をもらった」と話してくれました。リアルタイムでは観ていないのに、優勝が決まったその瞬間の選手たちの歓喜、涙がそうさせたのでしょう。感情は伝播します。(1)実際にスポーツを観戦する人の幸福感が高まることも知られています。(2)このようにスポーツは観る人の感情に影響し、観ている人の行動を変えることもあるでしょう。社会を構成するのは人です。人が勇気をもって前向きに課題に取り組むことができれば、それは社会を前向きに発展させる原動力になるのではないでしょうか?
一方で、観る人の感情を揺さぶるのはスポーツそのものではなく「スポーツをする人=アスリート」です。そのアスリートも今、「なぜスポーツをするのか」を問うています。新型コロナウイルス感染拡大の影響で目標とする大会がなくなり、モチベーションを維持できなくなっているという話もメディアを通じて耳にします。このような時こそ、改めて「なぜ自分はこの競技をしているのか」を問うことは、困難に直面した時にも自分が前に進むエネルギーを与えてくれるでしょう(3)。
2.「するスポーツ」で人は成長できるのか?
さて、先のなでしこジャパンの例は競技スポーツに焦点を当てたものです。それでは、社会からみてレクリエーショナルな「するスポーツ」はなぜ必要なのでしょうか?スポーツで心身の健康が育まれることは多くの研究で分かっています。例えば歩行のようなリズム運動が、幸せホルモンとも呼ばれるセロトニン活性を高めることなどです。(4)さらには、社会の絆や人間関係を構築するためにもちいられるグルーミング(5)としての効果もスポーツにはあるかもしれません。ニューノーマルな社会において、メンタルヘルス向上やグルーミングを得る手段としての「するスポーツ」は、これまで以上に重要な役割を担う可能性があります。
このような心身の健康だけでなく、スポーツを通じて人が成長できることも、社会にとっては価値あることだと考えます。正確にいうならばスポーツには「成長するための基盤がある」のです。言い換えれば、スポーツには成長できる基盤はあるが、成長できるかどうかは本人や、取り巻く大人の関わり方次第ということです。人が成長するためには「本番」と「準備」の二つの「場」が必要で、スポーツには試合と練習という形で両者があります。しかし、この二つの場を通じて成長できるかどうかは、二つの場が「課題分析」と「課題改善」の二つの過程でつながっているかが重要なのです。試合結果を復習するなかで課題分析して次への目標設定をする。そして課題の中でも特に集中して改善すべき課題に焦点を合わせて、これまでよりも少し高い負荷を課してトレーニングをする。このように「復習(リフレクション)」「目標設定」「焦点化」「負荷ある行動」(6)のサイクルを自身で回していけるようになれば、どんな環境でも成長し続けられるでしょう。(図1)このような成長サイクルを持った人が増えれば、持続可能な成長社会が創出されるのではないでしょうか?
実は、このような成長のための「場」と「過程」は、勉強、音楽、会社でのプロジェクト、農業などいろいろな場面にあります。ただしスポーツではこれらを幼い頃から、そして試合や練習が毎週のようにあるので頻度高く経験できます。そして何よりも「楽しいから」という明確な動機をもって自発的に取り組める点も貴重です。大人からすると「本人がやりたいといっているから」といいながら、成長のサイクルを身につけさせることができるのです。本当に素晴らしいツールだと思います。もし子どもがスポーツを通じて成長を感じられないとしたら、自発的に楽しめるように大人がかかわっていなかったり、大人が子どもの「問題分析」や「課題改善」の思考を育めていないのかもしれません。
成⻑のための4つのサイクルとそのサイクルを⽀える5つの⼟台。この⼟台づくりに影響を与えることとして、スポーツをすることの楽しさや練習のつながりを気づかせてくれる指導者の存在、⽀援者の存在やその⼈への感謝、⾃⼰認識を深める機会、役割を任された経験、困難を乗り越えた経験などがあります。すべて「するスポーツ」を通じて経験できることで、これらを⼟台につなげられるか、そして4つのサイクルを⾃⾝で回せるようになるかが重要なのです。
3. スポーツ支援の在り方
「するスポーツ」に社会的な価値があったとしても、ニューノーマルな社会においては充分な安全管理がなされることが必要です。スポーツをする人の安全と安心を支援する私たちアスレティックトレーナーも、これまで以上に「なぜ」を問うことが強く求められています。「なぜ縦並びで走らないのか?なぜマスクはしないのか?」このなぜに対して適切な解を見出すためには、正しく情報を収集する必要があります。そしてこの情報は、予測困難なニューノーマルの社会においては、刻一刻と変化することがあります。そのような環境のなかでも、その時々で最適と考えられる解を導きながら、常に「なぜやるのか、なぜやらないのか」を説明できるようにしておく必要があるのです。科学者にはこれまで以上に情報提供者としての役割が期待されるでしょう。そして実際に科学的根拠に基づいた支援を実現するためには、スポーツ現場で活動するアスレティックトレーナー、スポーツドクター、指導者、保護者、アスリート自身の連携が必須です。
スポーツは社会の一部です。スポーツに携わるひとは、これまで以上に社会におけるスポーツの価値を問う姿勢が求められるでしょう。また、安全で安心なスポーツ環境を構築することは、スポーツをする人にとっても、社会からの共感を得る上でも必要になるでしょう。スポーツをする人、保護者、指導者、アスレティックトレーナーやストレングスコーチ、医療従事者、科学者が領域横断的、職種横断的に連携して環境を構築していくことが求められます。
社会で起きている課題は、その解決方法を科学には問えますが、科学だけでは解決できません。すべてのスポーツに関係するものが、それぞれの立場で「なぜ?」を問いながら有機的に連携することで、社会から共感される「するスポーツ」を構築できるのではないでしょうか?
【参考文献】
(1). Nummenmaa L, et al. (2008). Is emotional contagion special? An fMRI study on neural systems for affective and cognitive empathy, Neuroimage, 15;43(3):571-580.
(2). Kawakami R, et al. (2017). Influence of watching professional baseball on Japanese elders' affect and subjective happiness, Gerontol Geriatr Med, 3: 2333721417721401.
(3). Tayler, J & Wilson, GS. (2005). Applying sport psychology: Four perspectives, Human Kinetics.
(4). Fumoto M, et al. (2010). Ventral prefrontal cortex and serotonergic system activation during pedaling exercise induces negative mood improvement and increased alpha band in EEG, Behavioural Brain Research, 12;213(1):1-9.
(5). Nelson H & Geher G. (2007). Mutal grooming in human dyadic relationships: An ethological perspective, Curr Psychol, 26:121-140.
(6). 関東学院大学 & ベネッセ教育総合研究所. (2017). 学生の成長プロセスを可視化する実践的研究.
https://berd.benesse.jp/up_images/research/report_KGU_20170316_02.pdf
(accessed; 2020/9/12)
広瀬 統一(ひろせ・のりかず)/早稲田大学スポーツ科学学術院教授
日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー
サッカー女子日本代表(なでしこジャパン)フィジカルコーチ
早稲田大学人間科学部スポーツ科学科卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。
専門:アスリートの傷害(再発)予防プログラム構築、アスリートのコンディショニング戦略開発、ユースアスリートのタレント識別と育成。
アスレティックトレーナー/コンディショニングコーチ指導歴:各ユース世代(東京ヴェルディ、名古屋グランパス、京都サンガ、ジェフ千葉)。2008年より、サッカー女子日本代表(なでしこジャパン)フィジカルコーチ。
近年の主な著書:アスレティックトレーニング学(2019、文光堂)、「疲れにくい体」をつくる 非筋肉トレーニング 運動効率3割UP!の「全身協調力」を鍛えよう (2015、角川書店)。