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植村 鞆音(うえむら・ともね) 略歴はこちらから

校友人国記―早稲田と直木三十五

  「直木賞」といえば、日本では知らない人はいない文学賞。正式名称は「直木三十五賞」といい、毎年2回、芥川龍之介賞と同時期に受賞作品が発表される。直木三十五は文学賞の名称に比べるとその知名度は低いが、大正から昭和にかけて、歴史小説や大衆小説で活躍した流行作家だ。収入はあっても支出がそれを上回り、生涯借金の取り立てに追われながら、雑誌編集や出版社経営のほか、映画も制作し、脚本も書くなど多才ぶりを発揮した。生活苦による学費未納のため、学籍上は早稲田大学高等師範部英語科を中退したが、理由あって“卒業写真”が残されている。
【校友広報紙『西北の風 Vol.12』(2012年9月発行)より】

早大生・植村宗一

 直木三十五の本名は植村宗一という。「植」という字を「直」と「木」に分けて、31歳の時に「直木三十一」を名乗り始め、「三十二」「三十三」と毎年改名していき、縁起が悪いとして「三十四」は飛ばし、「直木三十五」で止めた。生涯に残した小説、評論、随筆は660以上に上る。1891年、大阪で生まれた直木は、20歳になった1911年9月、早稲田大学英文科に入学した。1年後には後に妻となる佛子寿満と同棲を始めたが、古着商の裕福ではない実家から送られる仕送りだけでは生活できず、学費が英文科よりもひと月50銭安い高等師範部に転部した。その節約でもまだ足らず、ついに学費を納めることができなくなり、支払わないことを決意する。この時の心境は未完の自叙伝『死までを語る』で直木自身がこう語っている。

 「見つかって学生証を見せろと云われりゃ、其時の事だ」

 直木は大学には通い続け、教員も同級生も学籍がないのを知りながら講義出席を黙認していたという。このころの直木は、かつて早大グラウンドがあった現在の総合学術情報センター近くに住んでいた。

幻の“卒業写真”

 直木の全生涯について書かれた伝記はなく、実弟の故・植村清二(元新潟大教授、東洋史学者)の長男で、1962年に早稲田大学第一文学部を卒業した植村鞆音さんが書いた「直木三十五伝」(2005年 文藝春秋刊)が初めてとなる。

 「伝記というものはおもしろいエピソードのオンパレード。幸い手紙や資料がたくさん残されていた。直木の生まれから死までの全生涯を追って、父から聞いたことなど、知っているエピソードの全てを盛り込んだ」と、植村さんはいう。

 植村さんのもとに残された、早稲田大学の1枚の卒業写真。卒業していないはずの直木が、なぜか片隅に写っている。裏には「大正四年七月」と書かれている。『直木三十五伝』によれば、仕送りの中断を恐れた直木は実家に退学したことは伝えていなかった。卒業を楽しみにしている両親を安心させるため、卒業写真に顔をだし、両親に送って卒業の証にしたのだという。兄の卒業を祝って送られてきた弟・清二への手紙に、直木は「卒業記念の写真ハもう二三日の内に出来るから送る 僕は上から二段目の向つて右の端に居る その前の髭の生えた男とこんどの翻訳をやるのだ 鷲尾浩と云つてフランチェスカを翻訳した人だ」と返信している。鷲尾浩は英文科の同級生。直木ともに出版社を経営し、後に決裂することになるが、「鷲尾雨工」として『吉野朝太平記』で第二回直木賞を受賞する。

1915年7月に撮影された“卒業”写真。直木は後列右端に写っている。

藝術は短く貧乏は長し

流行作家となったころの直木三十五

 1960年、横浜市金沢区の直木の家の近くに「藝術は短く 貧乏は長し」と彫られた文学碑が建立された。直木の友人、大佛次郎らの呼びかけて建てられたもので、除幕式には、当時大学生だった植村さんも参加した。この時、植村さんは直木の元妻・寿満さんと直木の愛人だった女性と初めて対面した。この出会いが、直木について書き記すきっかけになったという。長らく執筆の機会はなかったがサラリーマン退職後に『直木三十五伝』を上梓した。植村さんは「書いていくうちに、今まで聞いていた直木のエピソードの点と点が、線のように繋がった。親友の菊池寛がなぜ、あれほど直木に惚れ込んでいったのかがわかり、ますます叔父のことが好きになった」と語る。

 死の4年前である39歳の時に新聞連載が始まった長編歴史小説「南国太平記」により、直木は一躍、大流行作家となり、大衆文芸の発展にも貢献した。文藝春秋社社長・菊池寛は「これは立派な歴史小説である。彼出でて初めて日本に歴史小説が存在したといってもいい」と絶賛した。1934年2月、直木は結核性脳膜炎のため43歳で永眠。翌年1月、菊池はそのアイデアや執筆により文藝春秋社を大いに発展させた直木を記念して、最も優秀な大衆文芸作品に贈られる「直木三十五賞」を制定した。

【取材協力・植村鞆音氏】
うえむら・ともね。1938年、愛媛県松山市生まれ。伯父が直木三十五。早稲田大学第一文学部史学科卒業後、東映株式会社を経て、株式会社東京12チャンネル(現・テレビ東京)に入社。1994年、同局常務取締役。1999年、株式会社テレビ東京制作代表取締役社長。現在、著述業。近著に『気骨の人 城山三郎』(扶桑社)。最近作は座談集『テレビは何を伝えてきたか』(ちくま文庫)。