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▼大隈講堂物語—早稲田を訪れた人びと—

3)「早稲田の誇りを失わないでほしい」—1970年代~1980年代

小島 英記(1970年政治)/作家・早稲田学報編集委員

来校したロバート・F・ケネディ米司法長官
『第三の波』で有名な、作家で未来社会学者でもあるアルヴィン・トフラー博士

1971(昭和46)年6月30日来校した。大隈講堂前には、トフラー博士を歓迎する学生が押し寄せ、テレビ局も中継した

 70年代は学園紛争の影響で、講演も非常に少なかった。71(昭和46)年3月25日、卒業式の祝辞で作家の石川達三が「新しい理想社会を想定して進め」と講演。「繁栄の中にはなはだ空虚なものがあり、そして何か、無秩序なもの、堕落したものがあります。(略)みなさんは大きな努力によって、大きな情熱によってこの混沌とした社会、無秩序な社会を整理し、秩序だてて、またみなさんの次の時代の日本人に引き継いでいただきたい」と述べた。早大文中退。『蒼氓』で第1回芥川賞。菊池寛賞。『人間の壁』『金環蝕』などがある。

 81(昭和56)年5月25日、大隈講堂で、超ロングランを誇る森繁久弥のヒットミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」が早稲田大学創立100周年記念事業の一つとして上演された。つめかけた1400人の学生たちは熱気あふれる舞台に盛んな拍手。名優は「最近、マスコミが早稲田のことをいろいろいっているが、学生のみなさん、どうか早稲田の誇りを失わないでほしい。このユダヤ人の芝居がみなさまの魂に焼きつきますように……」と後輩を激励した。

 82(昭和57)年4月15日、フランソワ・ミッテラン仏大統領に名誉博士号が贈られた。71年に社会党第一書記。74年の大統領選でジスカールデスタンに僅差で敗北、81年の大統領選で第5共和制第4代大統領。フランスに光輝ある一時代をもたらした。

 5月25日、「現代の国際社会と日米関係」を民主党元大統領候補ジョージ・マクガバンが講演。6月21日、名誉博士に米元上院議員ジェームズ・ウイリアム・フルブライト。16年間、上院外交委員長を務め、45年、米国と世界各国の教育交流の計画を議会に提出、フルブライト奨学金を設立した。

学の独立・自由、在野の精神
ソ連宇宙飛行士 ユーリー・ガガーリン
ソニー(株)取締役名誉会長井深大

1979(昭和54)年10月3日、名誉博士学位を贈呈された。82年10月21日校友代表として祝辞を述べた

 早大創立100周年記念式典(10月21日)で石川忠雄慶大塾長が祝辞を述べた。「早稲田大学がこの困難を克服したのは、学問の独立と自由、在野の精神というものを基盤にしてその卒業生、教職員との強固な同志的団結によったものです」。また、井深大ソニー名誉会長が交友代表として「早稲田大学は、この世の中に結びついて初めてその真骨頂を発揮するものだと思います」と述べた。

 同16日、「シルクロードその他」を井上靖が講演。京大哲卒。毎日新聞社大阪本社に入社、『闘牛』で芥川賞。文化勲章。『天平の甍』『氷壁』『敦煌』『風濤』『風林火山』など。

 86(昭和61)年11月12日、名誉博士にフィリピン共和国大統領コラソン・アキノ。夫のベニグノ・アキノがマルコス大統領と対立して暗殺され、反マルコス独裁の象徴に。86年大統領選でマルコス、アキノ双方が勝利宣言すると、国軍改革派が決起し100万の市民の支持で、コラソンが大統領就任を宣言、マルコス夫妻はハワイへ亡命した。

来校したロバート・F・ケネディ米司法長官
ベルリン・フィルハーモニー交響楽団常任指揮者 ヘルベルト・フォン・カラヤン

1979(昭和54)年10月13日、名誉博士学位を贈呈され、早稲田大学交響楽団を直々に指導した

 文壇の大御所といわれた丹羽文雄が、早大芸術功労者として挨拶したのは87(昭和62)年3月25日。作品に『日々の背信』『禁猟区』『親鸞』『蓮如』など。丹羽は中学の先輩に「小説家になるには早稲田大学に入らなければだめだ」といわれ入学するが「早稲田の6年間、私は一篇の小説も書けなかった」「私の小説は母に対する憧れが中心になっていました」などと語った。

 大隈重信生誕150年記念祝賀式(88(昭和63)年3月13日)で竹下登首相が講演。「戦後の早稲田卒業生の中で国会に出たのは、実は私が最初」で、大隈会館で祝賀会を開いてくれた後輩諸君が「あの程度(の演説)で国会議員になれるのならオレたちにもやれるのじゃないか」。その後次々に後輩は国会へ進出、「海部俊樹、小渕恵三、藤波孝生、西岡武夫、渡部恒三、松永光、森喜朗、河野洋平、玉沢徳一郎などの方々であります。そこで今、私はこう言うのであります。あの時、私が素晴らしい演説をしていたら、君たちは自分の力で国会議員になるのは無理だと思ったにちがいない。私の演説があの程度であったお蔭で君たちも勇気づけられたのだ」

文学者たち
ソ連宇宙飛行士 ユーリー・ガガーリン
松本幸四郎と中村吉右衛門の兄弟競演

1982(昭和57)年10月30日に創立100周年記念歌舞伎「勧進帳」鑑賞会が行われた。弁慶・松本幸四郎、富樫・中村吉右衛門

 5月に文学者の講演が続いた。16日、「行間を読む」を五木寛之が講演。早大露文中退。『さらば、モスクワ愚連隊』が小説現代新人賞。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞。『青春の門・筑豊編』で吉川英治文学賞。『大河の一滴』がベストセラー。02年、菊池寛賞。

 17日、歌人の俵万智が「巡り合った人たち」を講演。早大一文在学中から短歌を始め、佐々木幸綱に師事。『サラダ記念日』がベストセラー、現代歌人協会賞。

 19日、「大隈重信とその時代」を江藤淳が講演。慶大文卒、「三田文学」に『夏目漱石論』を発表し注目される。東工大、慶大で教授。保守派の論客として知られ『小林秀雄』が新潮社文学賞、『漱石とその時代』で菊池寛賞。75年、芸術院賞。99年、「形骸を断ずる」と遺書を書き自殺。

 20日、松本清張が「大隈重信をめぐって」を講演した。高等小学校卒、朝日新聞社勤務中に書いた処女作『西郷札』が「週刊朝日」の「百万人の小説」に入選、53年、「或る『小倉日記』伝」が芥川賞。推理小説『点と線』『眼の壁』がベストセラー。社会派推理小説で清張ブーム。

 10月20日、「文明と文化について」を司馬遼太郎。本名・福田定一、ペンネームは司馬遷に遼かに及ばずの意。産経新聞在職中、『梟の城』で直木賞。司馬史観と呼ばれる歴史観で多くの作品を出した。『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『坂の上の雲』『翔ぶが如く』など。