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児玉 竜一
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「新富座妖怪引幕」、大英博物館に出品

児玉 竜一/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館副館長

 本年5月23日から8月26日まで、ロンドンの大英博物館で「MANGA マンガ」展が開かれている。海外でのマンガの展覧会としては過去最大級との触れ込みで、国内各社の協力によって数多くの生原稿も展示されているようである。

 この話題の展覧会に、早稲田大学演劇博物館から「新富座妖怪引幕」を出品することとなった。明治13年7月に、仮名垣魯文から新富座に贈られた引幕で、高さ4メートル、横幅17メートルという大作である。演劇博物館の数ある収蔵品の中でも、シェイクスピア時代の劇場を模した本館の建物を除けば、最も大きな博物資料ということになる。

新富座妖怪引幕 河鍋暁斎画(明治13年、1880)

 劇場に幕を贈る習慣は、今日の歌舞伎興行でも続いている。昨年(2018年)の十代目松本幸四郎襲名にあたっては草間彌生デザインによる幕が贈られたが、贈り主がご贔屓の一女性であったということも話題を呼んだ。本年5月には尾上丑之助の初舞台披露があり、宮崎駿が筆をとった弁慶と牛若丸のイラストをあしらった幕が贈られた。その時々を代表する絵筆が劇場を飾るという伝統は、今に息づいている。

 明治13年7月の新富座の引幕は、河鍋暁斎(1831-1889)が描いた。浮世絵の歌川国芳に入門したのち、狩野派にも学び、幅広い画業で知られる鬼才である。近年は国内外での人気が高く、毎年のように展覧会が開かれている。明治13年当時の雑誌『歌舞伎新報』が伝えるところでは、銀座にある二見朝隈の写真館二階を揮毫場所と定めた暁斎は、6月30日の昼前に弟子を一人連れてふらりと現れ、2、3本の徳利を飲み干すと、わずか4時間でこの大作を描きあげたという。特定の狂言に用いられたというものではなく、開幕前などに飾られたと考えられる。

 そもそも、この揮毫場所が選ばれたのは、間口8間、奥行10間という建物の大きさによるらしい。引幕を描くために贈り主の仮名垣魯文が用意した布には、大丸に依頼して、葛籠と蓋とを13個描いて、そこに新富座に出演している名題俳優の紋所を描かせた。中央に白布を残して、これを暁斎に託したというわけである。

九代目市川團十郎「暫」・鎌倉権五郎

 葛籠から飛び出した妖怪変化は、役者の似顔で描かれている。柿色の素袍をまとった胴体から、長く伸びたろくろ首は、筋隈も生々しい九代目市川團十郎の似顔である。柿色の素袍は團十郎家の家の芸「歌舞伎十八番」の内の、「暫」の主人公であることを示している。團十郎家代々の大目玉も、似顔の主が團十郎であることを物語る。

 團十郎に向き合う形の妖怪が誰であるか、この引幕の研究史の上で、ここ四半世紀で最も大きく解釈が動いたのが、この点である。当時の雑誌『歌舞伎新報』86号(明治13年7月10日発行)に、仮名垣魯文が「梅幸(菊五郎)が蓮の衣その面影の髣髴たるは幽霊の本元と知られ杜若(半四郎)が狐町の性体は面容に出ず耳に顕れ」と記している。これによって、團十郎に向き合うのは八代目岩井半四郎(俳名「杜若」)、團十郎の右脇で頭の蓮の葉をいただいているとも見えるのが五代目尾上菊五郎(俳名「梅幸」)であるとされてきた。これに真っ向から異を唱えたのが新藤茂「惺々暁斎席画 新富座妖怪引幕」(『国華』1319号/2005年9月)で、團十郎に向き合うのが五代目菊五郎の化け猫であり、團十郎の右が八代目半四郎の狐町(正体は耳の下にあらわれた白蛇)であるとした。魯文の記述の解釈よりも、新藤考証の決め手となったのは似顔表現の研究であった。明治の歌舞伎俳優には写真が残る。肖像写真を調査すれば一目瞭然であるが、五代目菊五郎は切れ長の目が特長であり、八代目半四郎は「目千両」と呼ばれた祖父五代目半四郎ゆずりのパッチリとした目に特色がある。

五代目尾上菊五郎「戻橋」小百合

八代目岩井半四郎(肖像)

 この引幕が、大英博物館に出品されるのは、1993年以来のことで、前回は「DEMON OF PAINTING~The Art of Kawanabe Kyosai」と題する展覧会への出品であった。この時の像主考証は従来の通り、團十郎の向き合うのが八代目半四郎であっただけに、今回、考証が五代目菊五郎に改まったのは感慨深い。この四半世紀、インターネットの普及によって人文系の研究環境が大きく変わったが、演劇・芸能関係でいえば、浮世絵研究の環境ほど激変したものはない。それまでは、一枚一枚、図書館や美術館を尋ねて調査していった浮世絵が、インターネット上に開かれたアーカイブによって、24時間居ながらにして、大英博物館のコレクションも、ボストン美術館の秘蔵品も、自由に閲覧できるようになったからである。役者絵に関しては世界一のコレクションを誇る演劇博物館では、つとに2001年からインターネット上での公開を始めた。古色蒼然たる美術史学からは等閑視されてきた近世後期から明治にかけての浮世絵は、インターネットの時代を迎えて、世界中の膨大な数が閲覧できるようになって研究が大きく進んだ。化け猫様の像主の考証が動いたのも、巨視的にみれば、こうした環境の変化とともに、似顔研究が進展したことに伴うものとみることができる。

 さらに個人的な感慨を付け加えさせていただければ、新藤茂氏がこの新しい考証を初めて公表したのは、2003年7月20日に共立講堂で開催した「団菊とその時代」という歌舞伎学会主催の催しにおいてであった。当時、国内ではなかなか展示機会を得なかったこの引幕を、一日だけ特別展示しようと目論んだもので、私と当時演劇博物館に勤務していた永井美和子が企画して、引幕を吊した前で映画上映と講演会をおこなった。結果として、この催し以降、この引幕は国内あちこちの展覧会にお呼びがかかるようになったので、認知度を高めるという企画意図は満たされたのだが、考証を大きく動かす研究成果の端緒ともなったわけである。

 今回、大英博物館への出品を機に、ロンドンのジャパンハウスで、引幕に関するシンポジウムを開催することにもなった。そこでの成果発表や討議については稿を改めたいが、この機会に、凸版印刷の御協力を得て、引幕の妖怪たちが動き出すアニメーションを作成した(本年9月の演博リニューアルオープン後に、ご覧いただける予定)。明治13年の資料を、現代の関心に繋げようという、ひとつの試みである。そもそも大英博物館でのマンガ展開催も、テート・モダンに集客数で追い上げられる大英博物館が、より広い層に訴求する題材を選んだものという報道もある。春画展やマンガ展だと大騒ぎするが、北斎展が大人気となってもあまり関心を示さない日本の報道姿勢には、深い疑問を抱くものではあるが、より広い層に振り向いて貰わなくてならないのは、いずこの博物館にとっても事情は同じである。

 造形としての面白さのみならず、研究、考証といった面からも多面的な検証が可能なこの引幕が、あらためてどのように受けとめられるか。その推移を見守りたい。

児玉 竜一(こだま・りゅういち)/早稲田大学坪内博士記念演劇博物館副館長

1967年兵庫県生まれ。早稲田大学大学院から、東京国立文化財研究所芸能部、日本女子大学などを経て、早稲田大学教授。演劇博物館の展示などにも携わり、2013年から演劇博物館副館長。専門は歌舞伎研究と評論。編書に『能楽・文楽・歌舞伎』(教育芸術社、2002年)、共編著に『最新 歌舞伎大事典』(柏書房、2012年)、図録『よみがえる帝国劇場展』(早稲田大学演劇博物館、2002年)など。「朝日新聞」(東京)で歌舞伎評担当。