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梅森 直之(うめもり・なおゆき)、
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早稲田のアンダーソン

梅森 直之/早稲田大学政治経済学術院教授

 ナショナリズム研究の泰斗として知られるベネディクト・アンダーソン教授が、講演先のインドネシアで急逝されたのは、2015年12月13日のことである。その著書を通じて、アンダーソン教授の名前に親しんでいる学生のみなさんもきっと多いことと思うが、その教授が、生前に二度にわたり、早稲田大学を訪れ、印象深い講演をおこなっていたことは、はたしてどのくらい知られているであろうか。その一度目の機会が、2005年4月に開催された国際シンポジウム「グローバリズムと現代アジア」であり、その二度目の機会が、2011年5月の日本台湾学会第13回学術大会であった 。わたしは、さまざまな偶然で、この二度の機会にコーディネーターを務めることになり、アンダーソン教授と親しく接触する機会をえた。わたしは、アンダーソン教授に直接師事した学生でもないし、また専門分野を同じくしているわけでもない。実際に会った時間もきわめて限られたものでしかない。しかしながら、それでもなお、その悲報に接して、心の内に生じた深い喪失感を、いまだに埋めきれないでいる。いまいちど、アンダーソン教授が、早稲田大学でわれわれと共有してくれた貴重な時間を思い起こし、教授に対する感謝と哀悼の言葉を記したい。

 アンダーソン教授は、徹頭徹尾平民的な人であった。アンダーソン教授を早稲田へ招聘するにあたっては、『想像の共同体』の台湾版の翻訳者でもあるわたくしの友人呉叡人氏に大変お世話になったのだが、わたしはアンダーソン教授と呉叡人氏のあいだに、作者と翻訳者という関係をこえた、家族のような親密な関係が成立しているのを感じていた。また、二度目の招聘でお世話になった加藤剛京都大学名誉教授が、コーネル大学でかつて師事したアンダーソン教授に対し、「ベン、ベン」と、親しく呼びかけておられたのも印象的であった。わたしも、初期のメールでは、Professor Andersonという呼びかけを用いていたのだが、それを教授からBen-sanと訂正されて以後、直接会ったときも「ベンさん」と呼びかけるようになっていった。世界的な学者であるアンダーソン教授は、ときにやさしく、ときにシニカルな、いたずらっぽい眼をしたベンさんだった。

2011年5月、日本台湾学会の大会にて。左から獨協大学・松岡格准教授、人間文化研究機構・加藤剛教授、アンダーソン教授、立て看板を挟んで台湾中央研究院・呉叡人副研究員、筆者、地域・地域間研究機構・春山明哲客員上級研究員、国際部・江正殷氏。肩書は現在。

 ベンさんは、若い学生たちと議論することを好んだ。どんなに疲れていても、またスケジュールがタイトでも、オフィシャルなスケジュールに加えて、インフォーマルな学生との懇談会を設定し、そこで学生たちと議論する時間を大切にした。それは、早稲田の二度のシンポジウムでもそうであったし、また台湾でわたしが個人的に参加した国際会議でも同様であった。そうした機会にベンさんは、常に学生たちを、当該社会における専門家として遇し、真剣に聞き取りをおこなっているように見えた。それはわたし自身に、そうした聞き取り対象となった経験があるからいえることである。ある日、滞在先のリーガ・ロイヤル・ホテルの近所を二人で散歩していたとき、わたしはベンさんに「北一輝はアナーキストといえるか」と問われた。「そうはいえないと思う」というわたしの答えにベンさんはいささか不満で、「なぜいえないのか」と重ねて問われた。その理由について、懸命に説明したが、途中から「口述試験」を受けているような気持ちになり、答え終わったあとに、へとへとになったことを憶えている。しかもそうした「雑談」のひとつひとつが、強靱な記憶力によって、整理されているのにも驚かされた。ベンさんを、成田空港へ迎えに行き、数年ぶりの久闊を序したのちのこと、いきなり「このあいだの話しの続きだけれど」という具合に、その「雑談」の継続を切り出されたことがある。アンダーソン教授の著作を特徴づけている驚くべき博識と視野の広さは、こうしたベンさんの、多様な社会とそこに暮らす人びとへの敬意と好奇心、そしてそこでのさりげない対話や経験をとらえて離さない強靱な記憶力によって支えられているのだと深く感じ入ったことがある。

 学生たちが、ちょっと挨拶するつもりで、ベンさんに近づいていく。そこでしばらくベンさんを囲んでひととおり話しがはずんだのち、その学生たちが退場する。するとそこに、また新しい学生が登場し、新しい対話が開始される……。わたしは、こうした光景を、早稲田でも、また台湾でも、ベンさんを迎えた国際会議で、なんども目撃した。そのたびにわたしは、そこでおこなわれているはずの「口述試験」を想像し、わが身の苦闘と照らし合わせ、学生たちに同情の眼差しを注いだものである。それはわたしに、「道場」でおこなわれる「かかり稽古」を連想させた。若い門人たちが、果敢に師範に挑んでゆく。師範がその挑戦を巧みに捌くと、また新しい門人が登場し、さらに稽古が続いていく。ベンさんは、きっとこうした「道場」を、これまで、世界中で、幾度となく開いてきたのだろう。そしてこうした非公式なベンさんの門人の数は、きっと世界中で、かなりの数にのぼるに違いない。そしてそうした門人たちは、きっといまのわたしと同じように、ベンさんとの「稽古」を、懐かしく、そして悲しい気持ちで、思い出していることであろう。まだ見ぬ門人たちとのこうしたつながりを想像することは、今のわたしにとって、このうえもない慰めとなっている。いまわたしは、ベンさんが、そうした「道場」を早稲田でも開いてくれたことを、とてもありがたいと思っている。そしてわたしや早稲田の学生たちを、そうした門人に加えてくれたことにも、深く感謝している。

日比谷公園のホセ・リサール像前で、呉叡人氏、アンダーソン教授、松谷基和氏。肩書は現在。

 アンダーソン教授の『想像の共同体』という著作には、両義的な魅力がある。高度に理論的な分析でありながら、同時に感情的な訴求力も兼ね備えていた。ナショナリズムの「過剰」によって苦しんでいる人たちは、そこからの解放の可能性を、またナショナリズムの「不足」によって苦しめられている人たちは、そのよりよき創造の可能性を、ともに本書のうちに探求していった。アンダーソン教授は、本書を通じて、ナショナリズムという「近年の萎びた想像力」のために、過去二世紀にわたり、数千、数百万の人々が殺し合い、あるいはむしろみずからすすんで死んでいったという人類の悲劇を問うている。しかしその一方で、より最近の『三つの旗のもとに──アナーキズムと反植民地主義的想像力』という著作では、帝国主義に抗して闘った、反植民地主義的ナショナリストたちの思想と行動に、深い共感を示していた。わたしはアンダーソン教授のこの両義性を思うとき、ベンさんの、シニカルで、そして暖かい眼差しを思い出す。それは、わたしにとって、人間の愚かさを深く知りながらも、人間に対して希望をもつことをやめなかった人の眼差しとして感じられた。早稲田での「稽古」でのひとこまである。ひとりの学生が、ベンさんに、「なぜアジアでは、ヨーロッパのような共同体ができないのか」と質問した。ベンさんは、ヨーロッパの長きにわたる血なまぐさい戦争の歴史とそこでの累積的な死者の数に触れ、そうした厄災のあと、ようやくヨーロッパの人々のあいだに、共同体の形成に向かう気運が生じたと答えた。

 ベンさんが、亡くなったあとの世界でも、やはり人間は、血に塗れた愚行をけっしてやめようとはしていない。絶望的な気持ちが募るほど、ベンさんが、わたしの胸に灯してくれた、小さな希望のありがたさがわかる。そしてわたしは、わたしのその希望の向こう側に、世界中に散らばった、ベンさんの門人たちの希望をも感じることができる。ベンさんが世界中で灯してきた、そうした小さな無数の光を、互いにつなげ合わせてみよう。それが、暴力や戦争を包み込み、無化しうる強度を持つまでに。

梅森 直之(うめもり・なおゆき)/早稲田大学政治経済学術院教授

【略歴】
1985年早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1988年早稲田大学政治学研究科修士課程修了。2002年シカゴ大学政治学部博士課程修了(Ph.D)。日本政治思想史専攻。
主たる関心領域として、社会理論、ナショナリズム、植民地主義、アジア主義、社会主義、アナーキズムなど。

【主要業績】
(訳)ハリー・ハルトゥーニアン著『近代による超克 戦間期日本の歴史・文化・共同体』(岩波書店、2007年)、(編著)『ベネディクト・アンダーソン グローバリゼーションを語る』(光文社、2007年)、(編著)『帝国を撃て 平民社100年国際シンポジウム』(論創社、2005年)など。