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『早稲田大学百五十年史』の編纂開始

廣木 尚/早稲田大学大学史資料センター助手

 早稲田大学では、現在、2032年の創立150周年を期して、『早稲田大学百五十年史』の編纂を進めています。2011年に策定された長期計画「Waseda Vision 150」の一環をなす一大計画です。しかし、まだあまりご存知ない方も多いのではないかと思います。そこで、早稲田大学百五十年史編纂事業の目的や中身について、紹介します。

どう作るか?

大学史資料センター収蔵庫
(東伏見キャンパス)

 この事業が正式に開始されたのは2010年のことです。まず、総長の指名する理事、大学史資料センター所長、文化推進部長、広報室長、図書館長と、各学術院に属する専任教員のうちから選出された委員、本学の教職員のうちから総長が指名した委員による編纂委員会が設置されました。『百五十年史』の構成、内容、資料の収集・整理、実施体制、スケジュール、予算など、全体的な方針を協議し、決定する機関です。編纂委員会は、現在、年2回のペースで開催されています。

 さらに、編纂委員会のもとには、執筆方針、構成、内容、資料収集・整理などの、より具体的な事項を審議し、編集作業の推進をはかるために、編纂専門委員会が設けられており、現在、年4回、開催されています。

 編纂委員会で決められた方針は、事務を担当する大学史資料センターで実行に移されます。過去5年間、関係資料の収集や編纂がここで進められてきました。大学史資料センターは現在、東伏見キャンパスにありますが、今年度中には早稲田キャンパスに百五十年史編纂室が開設され、作業の効率化がはかられる予定です。

 百五十年史編纂事業はこのような段取りで進められています。ずいぶん大掛かりですが、『百五十年史』を完成させるためには必要な仕組みなのです。

なにを作るか?

 では、『百五十年史』の内容はどのようなものになるのでしょうか。

 事業計画では、まず、3巻構成の本編とWeb上で公開する資料集を編纂することになっています。第1巻は1882年の東京専門学校開校から1949年の新制早稲田大学の発足の頃までを扱います。第2巻は大学設置基準の大綱化等にともない、改革の波が押し寄せてくる1990年前後までが対象となります。そして、第3巻では150周年までが記述されることになります。『百五十年史』といっても150周年まで何も出版しないわけではありません。2020年度には、まず、第1巻を刊行する予定です。また、Web版の資料集としては既に「早稲田人名データベース」「写真データベース戦後編」が作成されています。早稲田大学文化資源情報ポータルで公開されていますので、興味のある方は是非のぞいてみてください。データベースは今後も種類を増やし、情報も随時更新していきます。

 その他にも、読みやすさを重視した簡易版や写真集、映像集といった関連出版物の刊行も計画されています。『早稲田大学百五十年史』と銘打たれるのはあくまでも本編ですが、紙媒体だけにこだわるのではなく、用途やニーズに応じて多様なメディアを活用することが目指されています。2032年のメディア環境は今とは全く異なっているでしょうから、変化に対応できるよう資料の編纂方法も工夫しなければなりません。このように、様々なメディアを利用して発信される情報の総体が、広い意味での『百五十年史』ということができるでしょう。

 このような形式が考え出されたのには理由があります。早稲田大学には、そもそも1997年に完成した『早稲田大学百年史』があります。本編5、別巻2、総索引・年表1の全8巻で合計約9,000ページに及ぶ大作です。単に浩瀚というだけでなく、充実した内容からいっても、他のどの大学のものにも引けを取りません。

『早稲田大学百年史』

 ただ、『百年史』の構成には難点がありました。『百年史』は本文の中に関係資料が埋め込まれる書き方になっていて、通史編と資料編が分けられていません。それも一つの編集様式なのですが、歴史の大まかな流れを知りたいという人にとっても、根拠となる資料を知りたいという人にとっても、使いづらいのは否めません。通史を書く本編と資料編を分ければこの不便さは解消されます。それに、資料をWeb公開すれば、格段に活用度は高くなりますし、修正や増補も容易にできます。そう考えたわけです。

 百五十年史編纂の事務を担う大学史資料センターの重要な業務は、大学の歴史に関するレファレンスに対応することです。日頃、学内外の関係者やそのご子孫、卒業生、新聞社、テレビ局、出版社、海外などから、さまざまな問い合わせがたくさん寄せられています。その際、レファレンスの最大の武器となるのが『百年史』です。つまり、大学史資料センターは『百五十年史』の作り手であると同時に、日常的な使い手ともなるわけです。ですから、日頃の業務の中で、『百年史』では対応しきれない問い合わせに出くわしたり、こうすればもっと使いやすくなるというアイデアも生まれてきます。『百五十年史』の構想には、そのような経験も生かされています。

なにを目指しているのか?

 それにしても、150周年はまだ17年も先の話です。なぜ今から編纂に取り組まなければならないのでしょうか。

 早稲田大学は、これまでにも、創立20年、25年、30年、50年、70年、80年、そして100年と、5年から20年の間隔で年史を編んできました。しかし、その後は新たな年史が編まれることなく、今に至っています。異例ともいえる長い間隔を空けて編纂が始まった『百五十年史』には、50年という、これまでにない空白の期間を埋める役割が課せられています。100周年以後、とくに大学設置基準の大綱化以後、早稲田大学は改革につぐ改革を行い、組織の拡大や再編など、複雑に変化を遂げてきました。それらのことがらについて、今のうちに資料を収集・整理し、校史として描く準備をしておかなければ、その事実も意義もあいまいになり、あるいは不明になってしまうおそれがある。そうなってからでは遅いという大きな危機感があります。

 100周年以前の歴史についても、『百年史』刊行後に明らかになった事実も多く、また、『百年史』では新制大学になってからの時代が十分扱えておらず、記述に不統一もみられるといった問題点が、実際に編纂に携わった方々によって指摘されてもいます。学生の様子や大学関係者の国境を越えた活動など、『百年史』では必ずしも光が当てられなかった部分にも目を向ける必要があるでしょう。『百年史』に単に50年を付け足すだけでは『百五十年史』は出来上がらないのです。

 1969年設立の大学史編集所で編纂された『百年史』は、完結まで実に30年近くを要しました。百五十年史編纂に残された17年という年月は決して十分なものではなく、急ピッチで作業を進めなければなりません。

 近現代史を研究していると、大学の歴史や、自治体史、企業の社史といった年史を紐解く機会が多くあります。一口に年史といっても千差万別で比較するのも面白いのですが、率直にいって、明らかな出来不出来があることも事実です。資料の残存状況は戦災や災害などの影響も受けますから、優劣の原因を一概にいうことはできません。しかし、資料保存体制や情報公開に対する見識、人的・経済的基盤などが年史の内容を左右することも間違いありません。年史編纂によってその組織・団体の総合力が試されるといっても過言ではないでしょう。百五十年史編纂が全学的に組織された編纂委員会によって進められているのも、大学の総力を挙げて取り組む必要があると考えられているからです。

 150周年を迎える大学にふさわしく、150周年のその先を見すえた『百五十年史』を作り上げるべく、今、努力が続けられています。多くの方々のご協力をお願い致します。

早稲田大学本部書類(明治22年・東京専門学校時代)

廣木 尚(ひろき・たかし)/早稲田大学大学史資料センター助手

1977年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程を経て、2015年4月より現職。専門は日本近現代史。