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山岸 駿介

山岸 駿介(やまぎし・しゅんすけ) 略歴はこちらから

「教育」と「研究」のバランス

このコーナーは、教育ジャーナリストとして活躍中の山岸駿介氏による教育問題に関する連載コーナーです。

博士課程定員削減の通達

 知り合いの僧侶が挨拶にくれた手紙の中で、学位論文の執筆に追われていると言っていた。「まだ提出の見通しがたっている訳ではありませんが」とあり、謙虚な感じがした。もっとも、謙虚さを感じたのは、私の思いすごしで、当人は死に物狂いだったのかもしれない。

 というのは、そのころ新聞に、文科省がこれまでの大学院重視政策を転換し、博士課程の定員を削減するよう、全国立大学に通知した、と報じられたからだ。国立大学にこう言えば、公、私立大学にも同じことを言わねばならないはずだから、たしかに大学院政策の大転換である。

 例によって、国立大学にも、何人減らせとか、何割をメドに削減を考えろとは、いっていない。記事では言われた大学が考えろという訳だ。

 これには法科大学院や教員養成課程なども入っているそうだから、アカウンティングスクールなど、その他諸々の大学院も入ってくるのだろう。

 こんな状況では、ご自由にとか、良きにはからえと言っていられるわけはないから、裏に回っては、種々、いろいろとやっているのではないか。確証がある訳ではないが、どう考えても、昼寝をしながら、すまされるほど事は簡単ではない。

 東京大学などは、さっさと自分で考え、文科省の指示など知らなかったという顔をして、新しく決めてくるかもしれない。案の定、東京大学新聞に、法科大学院が昨年の春から議論を始めて、独自方針で定員削減を決めたと載っていた。

 07年と08年は全国最多の合格者を出したので、教員たちには、質の高い授業を学生たちに提供するのに、大変な負担になっている。だからここで負担を減らさないと、教育と研究のバランスが崩れてしまう。教員が研究を更新し、その結果を常に教育に反映する、それによって教育の質を確保していかなければならない、というのである。

 これが東京大学の法科大学院にしか通じないことなのか、どこの法科大学院でも同じで、学生を減らして、研究にシフトしないと、次の教育が手薄になり、立ち往生するのか、そこのところが分からない。

法務省に追従する文科省

 教育が手薄になると言うが、それなら、文科省が、あれほど多数の博士課程の定員増を、なぜやれたのか。法務省サイドがロースクールを作ると言い出したとき、紆余曲折があって、結局、専門職大学院にしようとして、法務省サイドが中央教育審議会大学分科会に持ち込んだ。このとき、中教審の委員たちにいろんな問題を厳しく指摘され、定員数の抑制を促す発言も聞かれた。

 だが決まってみると、法務省サイドの言いなりで、これまでに至っていた。その間、学生の質が下がるからと、文科省が大学院側を厳しく警告したという話を知らない。教育の充実については口を酸っぱくして述べていたが、定員が多いから教育研究に力を尽くせとは言っていない。それが法科大学院は、中教審の言っていた通りに、定員を減らさないと大変なことになると、法務省サイドが言いだした。それを聞いて文科省は、定員削減に動き出したのである。きれいな言葉ではないが、尻馬に乗るというと分かりやすいだろう。強いところが何か言うと、その尻馬に乗って動くことが目立ってきた。

 こう書くと哀しい役所だというイメージになるし、農業ではないが、西高東低論者だと、そのことだけで、話がついてしまう。

ドクターが政策の被害者に

 博士課程の定員を増やせば、学位論文を書かせて修了させることはむずかしい。やむを得ず、単位取得満期退学という言葉を使い、オーバードクターになった後で、本物の学位論文を書かせるという仕組みを考えた。

 それがうまくいけば、それでもいいのかもしれないが、オーバードクターになれば、何かと忙しい。自分が勉強した大学院にいるとは限らず、むしろいろんな大学で非常勤講師や実験助手を務めることなども多いだろう。そうなると、学位論文を書くということは、大変な仕事になる。私の知り合いの僧侶のように、素直に論文に取り組めるとは限らない。

 むずかしい、むずかしい、と言っていれば、何でもむずかしく見える、と叱られそうだが、非常勤講師や実験助手が、政策の犠牲者というのは大袈裟にしても、政策の被害者であることに、間違いはない。

 ではどうすればいいのか。しっかりした政策をこれからは、だれが考え、だれが作るのか。考えてもらいたい。

山岸 駿介(やまぎし・しゅんすけ)

1958年 新潟大学人文学部法律学科卒業。新潟日報、朝日新聞記者を経て、多摩大学教授(教職課程)。定年退職後、昨年まで客員教授。1968年 大宅壮一東京マスコミ塾第一期生・優等生。1970年新聞連載「明日の日本海」で菊池寛賞受賞。教育ジャーナリストとして活躍。「大学改革の現場へ(玉川大学出版部刊)」など著書多数。