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山岸 駿介

山岸 駿介(やまぎし・しゅんすけ) 略歴はこちらから

「政治」と「教育」。その報道に見えるもの

このコーナーは、教育ジャーナリストとして活躍中の山岸駿介氏による教育問題に関する連載コーナーです。

国民が判断することでは

 2009年の3月は、本当にやかましい季節だった。東京地検特捜部が民主党の小沢一郎代表の公設第一秘書を逮捕、起訴したことから、その不当を非難し、断固戦うと言っている小沢氏に、マスコミは辞めろ、辞めろの大合唱。小沢氏は涙を浮かべて記者会見をしていたが、国民のことを考えれば、代表を辞任すべきだと記者たちは食い下がる。マスコミが問題にしていることは、選挙の時に国民が民主党と自民党を比べながら判断することであって、小沢の進退など、どっちでもいいと私には思えるが、新聞はそう考えてはいない。

 ところが公設第一秘書の起訴が決まると、朝日新聞は全6段の長尺の大型社説を掲載、「西松献金事件 小沢代表は身を引くべきだ」と強烈なパンチを繰り出した。日本経済新聞や、読売新聞なども、主張は似ていたが、そこまで強烈ではなかった。ああした原稿は論説主幹が書くことが多いが、別の人が書いていたとしても、それは主幹の意思であり、朝日新聞の論説主幹は、元気がいい人がやっているのだなと驚く。

 主張は明快で面白い。法的に問題は何もないという小沢氏の主張を認めたとしても、古臭い自民党の体質と似ているような世界とどう決別するのか。その説明もなく、多額の政治献金を受け取るのは、土建政治にどっぷり漬かった、かつての田中角栄氏に付き添って、小沢氏が育ってきた世界と変わらない。そこと決別しないで、何が新しい政治かといっているのである。

 まったくごもっとも。私も同感だが、違うのは、それこそ選挙になって国民が判断することではないのか、という一点である。朝日新聞に限らないが、小沢問題をめぐる言論や報道姿勢を見ていると、マスコミはどこまで国民を保護し、手取り足取り歩かせてやろうと考えているのか。気になって仕方がない。

朝日、郵政報道の顛末

 このところ朝日新聞の社説は明解なことが多い。事件の経緯を説明する余裕はないが、大阪府の橋下徹知事に、社説で「弁護士資格を返上しては」と批判した。怒った同知事は「朝日のような大人が増えれば、日本は駄目になる」と切り返した。

 日本郵政が宿泊施設「かんぽの宿」をオリックス不動産へ譲渡しようとしていた。そのことに対して許認可権を持つ鳩山総務相が「待った」をかけた。今年1月18日付けの社説は、そのことを取り上げ「筋通らぬ総務相の横やり」と真っ向から批判した。これを読んだときは、私は恐ろしさに足が震えた。

 従業員の雇用を守るための一括売却であり、許認可権を振り回しての動きは、不当な政治介入だ。宮内氏は規制緩和や民営化を推進してきた。官僚任せでは構造改革が進まないため、当時の政権が要請したものだ。過去の経歴や言動を後になってあげつらうのでは、政府に協力する民間人はいなくなってしまうとまで書いていた。これが新聞記者の書くことなのか。

 「週刊金曜日」の編集委員は、たまりかねたのだろう。同誌の巻頭のコラム「風速計」で「朝日新聞経済部の皮相」と書いていた。経済部出身の論説委員が書いたから有力経済人に気配りをしたのであって…という意味に受け取れた。

 驚いたのは、私だけではなかったらしい。社説への批判が殺到したのではないか。1月31日付けで「かんぽの宿売却 徹底調査と公表で道開け」という社説が載った。ただ、見出しはともかく中身の文章は何を書いているのか分からない支離滅裂ぶりだった。

 マスコミは、野党第一党とか、小沢代表の出処進退を問題にしているが、マスコミはどこまで指導するような報道を許されているのか。私には気になることなのだが、社説がこうはっきりしていると、一線の若い記者は行け行けドンドンになるようだ。昔の編集委員のように、「何も知らない論説委員が書いていることなど、信用できるか」と冷たい目で見ることはないようだ。「何も知らない」と書いたが、当時の一線の取材記者には、問題の微妙なところまで、いちばんよく知っているのは自分たちで、官庁や学者の意見を聞き、論をまとめるような論説委員なんか…という自負か思い上がりがあった。論説委員は社内的にはステイタスが高い。テレビを見ていると優れたコラムニストである朝日新聞政治部のある編集委員が、「私は一介の編集委員で、論説委員のような偉い方とは」と発言している。

「教育」だったらどうなるか

 それにしても小沢がどうこうと言っていられるのは、政治の世界の話だからで、これが「教育」となったらどうなるか。知り合いに、教育関係の社説だけを集め、それについて批評をしている者がいる。教育関係の社説と言っても、大学入試ばかり書いている訳ではない。「小学生の暴力をどうするか」、「大学に地域貢献が求められている。若者の自立対策に目を向けよ」といったことを、朝日新聞がどうの、読売新聞はこう言っている、毎日新聞の提言は、とか、日本経済新聞の、ネットワークに注意することはないのか」といったことを、どこが面白いのか分からないが、ぐちゅ、ぐちゅと論じている。

 だれがあの原稿を読んでくれるのか、私にも分からない。教育といっても、韓国が自国領だと主張しているところは、日本の昔からの領土だから、学習指導要領にその旨、掲載し、日本中の生徒に教えるといったことを書くのだったら、世間は注目するし、面白かろう。

 しかし「脱ゆとり教育をどう生かす」とか、「学力調査勇気ある撤退を求める」とかいわれても、ほとんどの大人は、「そりゃ何のことだい?」と言うのではないのか。このプログラムは、そんな者のためにやっている訳ではなく、評者も匿名である。ではだれのためにしているのかといえば、その時代の新聞が教育についてどんな意見を述べたかを知り、時代の空気を抑えておくことが、後になって大切だからだ。「教育」を担当する者は、「政治」と違ってこんなに苦労しているのである。

山岸 駿介(やまぎし・しゅんすけ)

1958年 新潟大学人文学部法律学科卒業。新潟日報、朝日新聞記者を経て、多摩大学教授(教職課程)。定年退職後、昨年まで客員教授。1968年 大宅壮一東京マスコミ塾第一期生・優等生。1970年新聞連載「明日の日本海」で菊池寛賞受賞。教育ジャーナリストとして活躍。「大学改革の現場へ(玉川大学出版部刊)」など著書多数。