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キャンパスナウ

▼3月号

Trend Eye
山岸 駿介

山岸 駿介(やまぎし・しゅんすけ) 略歴はこちらから

学者・文化人は頼りになるか

このコーナーは、教育ジャーナリストとして活躍中の山岸駿介氏による教育問題に関する連載コーナーです。

ユーモア溢れるスピーチの裏に

 ドナルド・キーンさんが文化勲章を受章されたのを祝って、日本記者クラブが昼食会を開いた。2000円の会費を払い、主賓と一緒にお弁当を食べる。その後で、キーンさんが30分ほど話をしてから質問に答えた。昼食会は12時に始まり、13時30分に終わった。ユーモアたっぷりのとても面白いスピーチだった。

 キーンさんは若いうちから驚くほど各地に出かけ勉強していた。舞台は欧州やアフリカの各地だが、目まぐるしいほどバラエテイに富んでいる。日本への関心はなかった。日本に文学があるなど考えてもいなかったそうだ。

 日本に目を向けさせたのは、ニューヨークで偶然見つけた古書の山の中に源氏物語の英訳書を発見したためだ。読むと実に面白い。日本にこんな素晴らしい文学があったのかと小躍りした。第二次世界大戦の「召集」を利用し、海軍の日本語学校を希望したのは、仕事を使って日本語の上達を考えたからだ。

 キーンさんら日本語の分かる将校は、日本軍兵卒が書いた日記や、日本軍が作った文書を読んだ。日記の著者や事情を知っている捕虜がいればそれを呼び、話を聞いた。そんなとき、キーンさんは捕虜であっても、脅して話させるようなことはせず、人間として対等に扱ったということをスピーチでは強調していた。

 戦争が終わってアメリカは、今度は占領軍として日本の権力を握り、日本人はそれにひれ伏した。だがキーンさんは日本と戦争をしていたときと同じように、人間として対等に付き合うという態度を変えなかった。いつでも、どこでも、だれに対しても、同じようにこれまで振舞ってきたということだろう。

 最近はキーンさんを褒め称える研究者や文化人が多い。キーンさんの生きる姿勢が分かってきたためか。キーンさんの話を聞きながら、私は永井道雄(※)さんのことを思い出した。

 永井さんは日本人でいちばん早くキーンさんの力を認めた人である。キーンさんは戦後、京都大学に留学した。日本の文化を知りたかったためで、日本式の民家に下宿した。そこへPhDを取り、アメリカ留学から帰ってきた永井道雄さんが下宿先で一緒になった。

 永井さんは小学校時代から同級生だったという中央公論の当時の社長嶋中鵬二氏を紹介した。キーンさんは谷崎潤一郎氏をはじめ、普通なら一介の研究者にはとても会えないような超一流の文学者に会えるようになったのは嶋中氏のおかげだったといっている。

 永井道雄さんは、キーンさんの学識を高く評価していた。日本人を凌ぐ、と。私が聞いたのは、東京オリンピックが終わった翌年のことだが、キーンさんの学識の深さを日本人にいくら紹介しても、外国人に日本の文学など分かるはずがないといって、信じる人はいなかったと嘆いていた。

(※)1923~2006年 教育社会学者・第95代文部大臣

学者・文化人の仕事

 当時の日本人には、それが普通だったろう。恥ずかしながら、私もキーンさんなる人物の名前をこのとき知ったのに、学識の深さや広さなどを理解しようと調べもせず、日本の文学を外国人が理解するのは無理だととっさに思った。

 私のような「その他大勢」の者がそう思うのはしょうがないだろう。だが当時、インテリと呼ばれた優れた人たち、一流の学者、研究者、あるいはジャーナリストも含む文化人と呼ばれる人たちが「その他大勢」と同じ感覚でいられては困る。分からなければキーンさんの仕事を調べて、その中身を確かめるべきだろう。だが一流の人たちはそれをしなかった。

ミーチャン、ハーチャンの感覚

 今になると、キーンさん、キーンさんである。なぜなのか。何時からキーンさんの学識が分かり、ファンになったのか。そのとき過去の自分たちの不作為の振る舞いを恥ずかしいと反省したかどうか。

 一流の学者、文化人と書いたが、考えようによっては一流も三流も大差なく、どちらもミーチャン、ハーチャンのようなのかもしれない。みんな仲良く時代の流れに身を任せていることが幸せだったのだろう。それをいけないことだというのには勇気が要る。

 会場では何度か手を挙げて発言を求めたが、何度やっても指名されず、貴重(だと私が思っている)な質問はむなしく水に流れてしまった。

 キーンさんに直接聞くことはたやすい。だがそれでは何かが欠ける。私は、シンポジウムを開いてはどうかと思っている。出席者には、一流を代表する学者・文化人一人と三流を代表する学者・文化人も一人出てもらい、それにキーンさんが加わる。さらに永井道雄さんにも冥土からご参加願えないものか。

 ドナルド・キーンさんをどう評価したかということは、日本人が文化とどう向き合ってきたかという基本的な姿勢に関係する。極めて重要なことであり、曖昧なままに過ごしていれば、これからも同じような無責任な態度が繰り返されることを意味する。

 歯に衣着せず言えばキーンさんの会合で、私を指命しなかった司会者に何ができるのか聞いてみたい。

山岸 駿介(やまぎし・しゅんすけ)

1958年 新潟大学人文学部法律学科卒業。新潟日報、朝日新聞記者を経て、多摩大学教授(教職課程)。定年退職後、昨年まで客員教授。1968年 大宅壮一東京マスコミ塾第一期生・優等生。1970年新聞連載「明日の日本海」で菊池寛賞受賞。教育ジャーナリストとして活躍。「大学改革の現場へ(玉川大学出版部刊)」など著書多数。