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▼1月号

Trend Eye
山岸 駿介

山岸 駿介(やまぎし・しゅんすけ) 略歴はこちらから

座標軸不在

このコーナーは、教育ジャーナリストとして活躍中の山岸駿介氏による教育問題に関する連載コーナーです。

 テレビを見ていたら慶應義塾大学の准教授が、この世界的な景気低下をどうしのぐかについて、アドバイスをしていた。繰り返し言っていたのは、他人と同じことをやるのは避けよという助言だった。

 いま新聞はどこも「教育の○○」と名乗り、うちこそ教育について深く、適切な報道ができる新聞だとアピールしている。深く、適切な報道をすることも、もちろん大切だが、出来事の歴史的な意味や、位置づけを説明できることも重要である。「教育の○○」は結構だが、同じことばかり言わずにがんばってほしい。

ベタ記事でいいのか

 11月11日に加藤一郎さんが亡くなった。86歳と報道されていたから、かなり高齢までご存命だったわけだ。加藤さんに限らず、高齢の方が亡くなると、かつて社会的に活躍した当時と時間が切り離されているので、いまの価値観で見れば、「普通の人」である。

 私の知り合いの話だと、加藤一郎さんの死亡記事が、第二社会面の左下にベタ記事で載っていたという。加藤一郎さんは言うまでもなく、東大紛争で大河内一男総長(学長)が辞任した後、総長(学長)代行に就任した人である。大学改革について学生参加を呼び掛ける一方、安田講堂に立てこもる全共闘を排除するため機動隊を導入するなど、東大紛争を正常化する上で、多方面に活躍した。

 いまは「東大紛争 what?」という時代だから、若い人には分からないかもしれないが、加藤一郎さんが果たした社会的に重要な役割を誰かが説明してくれなければ困る。

 私の考えでは、一面に二段か三段の扱いで亡くなったことを伝える本記を載せる。社会面ではそれを受けてどんなことを当時したのかを、大学紛争を伝える思い出の写真を入れて分かりやすく書く。そばに加藤さんについて詳しく知っている人物の語るコメントを付ける。この位のことをやるのは普通だと思う。だがそれをした新聞は「教育の毎日」しかなかった。

肝心なことを無視してきたツケ

 「教育の朝日」はさすがベタ記事のままにはしなかったが、同じ場所に二段で「加藤一郎さん死去 東大紛争収拾の元総長」として普通の本記のような記事にした。だが、識者のコメントも、雑感めいた記事も写真も入っていなかった。

 朝日新聞が加藤さんについてはいちばん本格的な扱いをするのではないかと思ったが、現実はその反対で、「朝日は変わった」と外部でよく聞かれる批判が、やはり本当なのかもしれないと思わせる結果になっていた。

 筑紫哲也氏が亡くなったときに、何があっても彼の発言が変わらなかったことが評価され、座標軸のような存在の重要性が指摘されたが、その役割を朝日新聞に期待することはもはやできない。私には信じたくないことで辛いのだが、後輩たちに聞くと、驚きも悔しさも感じていないようだ。分かっちゃっているのだろう。

 多様であることは結構だが、肝心なことが分かっていないが故にバラバラになってしまうことまで評価していいとは思えない。

 中山成彬元文科相が悉皆調査で学力の競争をさせ、児童生徒一人一人の力を上げると言い出した「暴挙」は、いまもなお調査結果の公表の内容と方法をめぐって百家争鳴の状況が続いている。

 学力の偏在状況を知りたいのなら、サンプリング調査で十分。金はほとんどいらないと言われていたのに耳も貸さなかった。

リーダーに頼れるか

 こんな難しいことは、学者、専門家、技術者等の中のリーダーがしっかりしていれば問題はない。だがそうでもなさそうだ。最近、国立大学法人の学長に、学長の選び方についてアンケートをしたら、教員の選挙で選べばいいという回答が多かったという。調査の分析等の報道はまだ出ていないので分からない。

 だが、それなら以前の国立大学時代と変わらない。あのときは文部省が国立大学を経営していたようなもので、それでは困ると大学の経営者を探すため国立大学法人にしたのである。それがこの結果では、困ったときは文科省が助けてくれると学者たちは考えているということになる。大学改革は完全に元に戻ってしまった。こんなリーダーが私立大学も巻き込んで大学改革の先頭に立って闘えるわけがない。新聞がどんな分析をした記事を載せるか分からないので、これ以上は書けないが、それにしても恐ろしい。

山岸 駿介(やまぎし・しゅんすけ)

1958年 新潟大学人文学部法律学科卒業。新潟日報、朝日新聞記者を経て、多摩大学教授(教職課程)。定年退職後、昨年まで客員教授。1968年 大宅壮一東京マスコミ塾第一期生・優等生。1970年新聞連載「明日の日本海」で菊池寛賞受賞。教育ジャーナリストとして活躍。「大学改革の現場へ(玉川大学出版部刊)」など著書多数。