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▼錦秋号

SPECIAL REPORT

男女共同参画社会を実現し、新たな知を創造する

男女共同参画社会とは、男女の性にかかわらず、平等に社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、共に責任を負う社会をいいます。男女共同参画社会の実現には、教職員のワークライフバランスの充実や若手研究者支援、男女共同参画の意識を持った学生を社会に輩出するといった、大学の役割が重要です。
本学における取り組みをはじめ、大学に求められている役割、意義について探ってみます。

Chapter.1 対談

大学における男女共同参画とは

鎌田薫総長と本学男女共同参画推進室の初代室長である浅倉むつ子教授に、大学における男女共同参画の現状と課題について語っていただきました。

多様性を確保するために

鎌田 薫 総長(法学学術院教授)

浅倉 男女共同参画は、21世紀の重要課題だと思います。社会の発展のためには、さまざまな経験をもつ人が議論を闘わせながら未来をつくっていくことが大切です。大学でもいろんな経験や考え方を持った学生や教職員が、新しい発想で課題に取り組む必要があります。

鎌田 歴史をさかのぼれば、本学の創設者である大隈重信は、男性だけが活躍する社会は国力の半分を無駄にしていると考え、例えば日本女子大学の創立委員長を務めるなど、女性の社会進出に積極的に取り組みました。本学では、1921年に12名の女子聴講生を受け入れ、1939年に女子学生4名を正規入学させて以来、その精神は脈々と受け継がれています。

浅倉 そうですね。ただ全体的にみて、日本の大学は女性の育成にあまり積極的に取り組んでこなかったように思えます。それが変わり始めたのは、おそらく1985年に「女性差別撤廃条約」が批准された頃からでしょう。1999年には「男女共同参画基本法」が成立し、2001年には内閣府に「男女共同参画局」が設立され、学術分野の男女共同参画に関しても積極的な取り組みが始まりました。

鎌田 社会全体で男女共同参画を目指す中で、社会を構成する一つの単位として、大学にはそれを推進する責任があります。また、本学がグローバルユニバーシティを目指す以上、人材活用においても、グローバルスタンダードに合った取り組みが不可欠です。さらに、女性教員比率の向上は、女子学生にとってのロールモデルの多様化という意味でも重要です。

浅倉 人材の多様性が進めば、大学はもっと活性化していくでしょうね。

鎌田 私は、本学の一番の特長は多様性だと考えています。多様なバックグラウンドをもった学生が個性豊かな教職員と相互に刺激し合いながら伸び伸びと才能を発揮しています。ところが、人材の男女比率でいうと、まだ学生の女性比率は約35%、教職員ですと約23%※にとどまっています。

※ 教職員の女性比率:非常勤・任期付も含むすべての教職員数における比率(ただし、派遣は除く)。

浅倉 内閣府は、日本の女性科学者が諸外国に比べてきわめて少ない理由について、次のように述べています。一つ目は、出産育児と研究活動の両立の問題。二つ目が、女性は理系向きではないという誤った認識の問題。三つ目は、研究者を採用する人事のあり方の問題です。

鎌田 研究者として業績を積み重ねていく時期と、出産育児の時期は重なるケースが多い。問題なのは、それにともなう家庭内での負担のほとんどが、女性に課せられていることです。託児施設の整備に始まり、女性が家庭と両立しながら研究活動を続けられるような、よりニーズにマッチした環境づくりを今後進めていきます。また、介護の問題についても検討していきたい。

浅倉むつ子 法学学術院教授(男女共同参画推進室 初代室長)

浅倉 人事のあり方については、ポジティブアクション(男女の間に生じている格差を解消するための積極的取り組み)の推進について、理解を広めたいですね。これにはいろんな方向性がありますが、私は、公募時に「早稲田は男女共同参画を推進しています」と表示することもまた、一種のポジティブアクションだと思います。そのためには、ワークライフバランスのための環境づくりなど、女性が研究者として活躍しにくい要因を取り除くための取り組みを地道に進めることが重要ですね。早稲田は女性が活躍しやすい大学だという情報発信ができるようになることを期待しています。

鎌田 近年の取り組みとしては、2006年に文部科学省による「女性研究者支援モデル育成」事業に応募し、「研究者養成のための男女平等プラン」として、私立の総合大学で初めて採択されました。2007年には、創立125周年を機に「男女共同参画宣言」を発表し、「男女共同参画推進室」を設置。浅倉先生には初代室長として、宣言の実現に向けて取り組んでいただきました。

浅倉 2010年に鎌田先生が総長に就任された時に、男女共同参画をマニフェストに加えていただきました。ぜひ今後も取り組みの継続をお願いしたいと思います。

鎌田 私の総長就任と同時に、教職員としては初の女性理事として齋藤美穂先生を任命し、男女共同参画事業を担当していただいています。今後も体制を整備し、さらに強力に推進していきます。

教育機関としての役割を果たすために

浅倉 最近は、育児をしながら通う学生も増えています。そこで、理工学術院のある西早稲田キャンパスにワークライフバランス・サポートセンターが設置され、各種相談を受け付けたり交流会やセミナーを開いたりしています。そのほかにも、徐々に制度的なサポートは整いつつあるのですが、そこで重要な役割を担うのは、職員だと思います。

鎌田 そうですね。学生や教員のサポートをする職員自身の女性比率向上や男女共同参画意識の向上も大きな課題です。残念ながら、2000年から2010年の間に、専任職員の女性比率は下がってしまいました。女性職員が働きやすい環境を整えることも重要だと認識しています。

浅倉 職員に関しては、女性管理職の比率が非常に少ないことも、改善が必要な点だと思います。

鎌田 女性管理職や女性研究者の登用が進まない原因の一つは、一日のすべての時間を職場に捧げることを要求する雰囲気が、まだまだ残っていることだと思います。私は、たとえ男性でも、これからの時代はそうした働き方から脱すべきだと考えています。

浅倉 その通りだと思います。男女共同参画を実現するためには、男女を問わず研究環境や勤務環境を整えることが大切ですね。今は、育児に積極的に参加しようという男性も出てきていますから。

鎌田 大学は研究機関であると同時に教育機関でもあります。今後、男女共同参画社会の持つ意味を学生に伝え、それを体現できる人材として彼らを社会に送り出していくことも重要な役割だと考えています。そして、男女を問わず、学生が将来、社会の中で自立した個人として活躍したいという意欲を駆り立てるような取り組みに力を注いでいきたいと思います。

早稲田大学の女子学生の歴史

 本学の創立者である大隈重信は、女性の高等教育に深い理解を示すなど、戦前において本学は女性の高等教育に積極的な大学の一つであった。①

 しかし、戦前の日本において女性の大学教育機会は閉ざされた状態にあった。1913年に東北帝国大学理科大学で初めて女性の入学が認められるが、一度限りに終わる。1918年からは聴講生などの形で在学を認める大学が続く。本学では、男女は対等であるとの認識に立った機会均等的な観点から、1920年に学部学生として女性への門戸開放を計画するが、文部省の要請により断念。1921年に聴講生を受け入れるにとどまる。 ②

 1938年、田中穂積総長が女性の大学教育の推進を主張し、強いリーダーシップのもと学則改正が行われ、翌1939年にようやく本学最初の女子学生4名が入学。日本の大学では10数番目の開放となる。当時、女子学生の入学を認めていた大学の割合は30%、女子学生の割合は0.3%程度である。③

 戦後においては、民主社会における女性の社会的地位の向上や「婦人参政権」の確立など、女性への期待が高まる。本学では1946年から高等師範部でも女性の入学を認め、1949年以降は他大学と同様に男女平等の資格で開放し、共学となる。以来、本 学における女子学生数は増え続け、1950年に349名、1970年には3,960名、現在では18,690名が在学している(2011年5月1日現在)。 ④⑤

①「新時代の女子教育」を講演中の大隈重信(1910年代ごろ)
所蔵:早稲田大学大学史資料センター

②女子聴講生を報じる『早稲田大学新聞』
1935(昭和10)年5月8日付

③女子入学資格についての学則改正を報じる『早稲田大学学報』
1939(昭和14)年3月号

④戦後の女子学生
―文学部国文専攻卒業記念写真―
1946(昭和21)年9月
所蔵:早稲田大学大学史資料センター

⑤現在のキャンパス風景

参考:講演会&写真展「ワセ女は彼女たちから始まった」(2009年実施)より
●湯川次義教育・総合科学学術院教授講演資料
 『女性への大学教育の開放:早稲田大学の場合』
●写真展資料