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キャンパスナウ

▼2013 新緑号

第二世紀へのメッセージ

早稲田大学に関係のある方にお話を伺い、客観的な視点により、早稲田大学の魅力や課題を浮き彫りにします。

岩手県医療局 理事
岩手県立高田病院 医師
石木 幹人さん
略歴はこちらから

総合大学の強みを生かし
多様な連携による高齢者医療へのアプローチを

石木 幹人さん/岩手県医療局 理事、岩手県立高田病院 医師

岩手県陸前高田市にある唯一の総合病院・高田病院の院長として、東日本大震災で家族を失いながらも地域医療の再生に尽力してきた石木幹人さん。早稲田大学在学中の思い出と、これからの早稲田大学に期待することを伺いました。

考える力を身につけた学生時代

――どのような学生時代を過ごされましたか。

 実家が開業医ということもあり、親は医学部に進学してほしかったようです。しかし高校時代の私は医学に興味がなく、当時人気だった電子工学を学ぶため早稲田の理工学部へ進学。学生運動が盛んな時期でしたが、野球部六大学リーグ戦優勝の応援に行ったり出身地青森の学生稲門会の仲間と交流したり、それなりに楽しい学生生活を満喫しました。また、高校までとは違う大学の授業は衝撃でしたね。先生は問題を板書して「答えがわかったらレポートにまとめて提出するように」と言って帰ってしまう。一番頭の良い同級生でも答えを出すのに2~3時間かかる。でもそれを写すのは悔しかったので、自分で数学の教科書を調べて必死に考えました。家でも考えて、答えが解ったという夢を見たこともあります。後に進んだ医学部では、すでに確立されたものを覚えることが中心で、集中して何かを考える時間がありません。そういう意味では、早稲田で「考える力」を培うことができたことはその後の人生にとってとても有意義でした。

――理工学部から医学部へと進路を変更したのはなぜでしょうか。

 電子工学を医療へ応用する「医療電子」の研究室に進んだことがきっかけです。医師から依頼されて医学的な生体データを処理することや、卒業研究のテーマである「心電図の自動計測」のために病院に通って心電図のデータを集めるなど、医師と共同研究をするうちに医学を学びたいと強く思うようになったのです。

現状の中でも必ず打開策はある

――医師として、また地域の中核病院である高田病院の院長として地域医療の再生に尽力される中で一番大切にしてきたことは何でしょうか。

 地域におけるその病院の役割を把握した上で運営すること、そして現状の中でも必ず何とかするんだという意識を持つことが大切だと考えています。

 私は2004年に院長に就任しましたが、その10年ほど前から地域の小さな病院で医師不足が深刻化していました。最大の理由は医師の専門分野が細分化し、専門しか診ない医師が増えたことです。そのため、例えば内科ひとつ運営するにも複数の専門医が必要となり、小さな病院では医師の確保が困難になったのです。さらに院長就任の頃は、県の政策により高田病院は、広域医療を担う基幹病院である大船渡病院を支える地域病院と位置づけられていたのですが、地域住民にきちんと理解されておらず、来院者も減少していました。そこで「高齢者に優しい病院」をテーマに高齢者医療の充実や介護職などとの連携、訪問診療の強化やホスピタリティの高い外来対応、スタッフの勉強会などを実行していったところ、次第に医師たちの意識も変化し、今では活気ある病院へと生まれ変わりました。毎年数億円の赤字だったのですが、2011年度は単年度黒字になったのです。2012年度はさらに新しいことをと考えていた矢先、東日本大震災が発生しました。

友の支援が大きな励みに

――高田病院は東日本大震災で甚大な被害を受けられました。当時そしてその後の状況を教えてください。

 経験したことのない大きな揺れの後、建物の最上階である4階まで津波が押し寄せました。患者さんや職員、地域の人たち合わせて160名あまりが屋上で寒い一夜を過ごし、翌日ヘリコプターで救出されました。そのとき目にした町の無惨な様子は忘れることができません。幸いにも病院の職員は全員同じ避難所に移ることができました。するとそれを聞きつけた人たちが診療を求めて集まってきたため、休む間もなく診療を再開しました。医療器具が何もなく地域の医療が壊滅的な中、その再建に汲々としていて、他のことは考えられませんでした。

ボランティアに訪れた早大生たちと(2012年2月)

 そんなときです。まだ瓦礫が残っているところへ、早稲田時代の友人が寝袋持参でボランティアに来てくれたのです。突然のことに驚きながらも困っていることなどいろんな話をしました。するとその彼が同級生たちに支援を呼びかけ、手を尽くそうと動いてくれたのです。残念ながら計画は実現に至りませんでしたが、本当に心強かった。そして、彼の活動がきっかけで早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター(WAVOC)から支援の話をいただきました。混声合唱団やマンドリン楽部など文化系サークルの活動や運動部によるスポーツ支援など、そしてそれは現在も子供の教育支援へと形を変えて継続されており、早稲田の底力を実感しています。

――震災以降の地域医療について、どういった取り組みが必要だとお考えですか。

 地域医療の一番の課題は、少子高齢化に対してどのようなアプローチをするかです。特に地方ほど高齢者の割合が増加する傾向にある今、医療や介護だけで解決することは不可能でしょう。例えば理工学の知識を用いて独居の認知症患者にセンサーを付けてインターネットを使って安否確認するなど、多様な分野の知見が求められます。高齢者医療の課題解決には、スポーツ科学や心理学、教育学など、さまざまな専門分野が連携する国家的な取り組みが必要だと考えています。

早稲田だからこそできる研究プロジェクトで
高齢化社会の課題解決を

――早稲田大学に期待することをお聞かせください。

 理工学部の内山明彦教授の研究室にいた頃、学内でヒューマノイドロボットを開発するプロジェクトが立ち上がりました。それまで個別にされていたロボット研究を共同で行うというもので、内山研究室は情報を分析・処理する脳を担当。手、足、目、耳、脳など複数の分野の研究室がチームを組み連携する中で、一つの課題を解決するためには多元的な専門知識を持ち寄り互いに補い合うことの重要性を学びました。多様性を持つ早稲田だからこそ分野横断型の研究が自然にできるのだと実感しました。

 ぜひこれからの社会のために、総合大学である早稲田大学の強みを生かし、高齢化に付随するさまざまな課題解決に向けた学際的なプロジェクトを立ち上げていただきたいと思います。

石木 幹人(いしき・みきひと)さん/岩手県医療局 理事、岩手県立高田病院 医師

1947年青森県生まれ。医師・医学博士。早稲田大学理工学部電気通信学科卒業、同大学院を中退後、東北大学医学部に入学。1989年からの岩手県立中央病院勤務を経て、2004年同高田病院長。陸前高田市にある唯一の総合病院として診療訪問等に力を入れるなど地域医療に取り組み、赤字だった病院経営を黒字に建て直した。2013年3月で院長を退任し、4月より岩手県医療局理事に就任。引き続き高田病院で診療にあたりながら、2011年の東日本大震災で壊滅的になった地域医療の再生に尽力している。