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第二世紀へのメッセージ

高野 孟さん 略歴はこちらから

時代は移り変わりつつある。
求められるのは、考え抜く力。

高野 孟さん/ジャーナリスト

 日本を代表するジャーナリストとして、テレビやインターネットで言論活動を展開されてきた高野さん。 ご自身の学生時代や早稲田大学での講義、これからの大学像についてお聞きしました。

学生運動の先にあったジャーナリストという職業

――どのような学生時代を過ごされましたか。

 いわゆる模範生とは正反対の学生だったと思います。私は附属の高等学院から早稲田大学に進学したのですが、高校時代には仲間とジャズバンドを組んで米軍基地のキャバレーでサックスを吹いていましたし、大学では学生運動にも参加しました。大学4年生だった1966年には授業料の値上げが引き金となって第一次早大闘争が起こり、全学ストライキに突入。私もバリケードを築いて大学の封鎖にかかわりました。正直に言って、ろくな学生ではなかったですね。

 今になって学生運動を振り返ると、少しばかりバリケード封鎖したところで大学が解体するわけもなく、完全に若気の至りだったと思います。それでも当時の学生たちを突き動かしていた動機はとても純粋なものでした。「天下の早稲田大学がこれでいいのか」「独立不覊(ふき)の精神はどうした」と誰もが真剣に憤っていましたからね。とにかく学生が熱く元気な時代でした。そして学生運動に熱を上げ、二度も留年しているような私が今では母校で教鞭を執っているわけですから、人生はつくづく分からないものだと感じます。

――卒業後、ジャーナリズムの道を選ばれたのはなぜですか。

 将来を決めるうえで大きな影響を及ぼしたのは、やはり学生運動です。お世辞にも真面目とは言い難かった私ですが、当時の風潮に漏れず本だけはたくさん読んでいました。読み終えると仲間と議論して、キャンパスに主張を書いたアジビラをまく。これはジャーナリズムに極めて近い行動です。卒業後は通信社に入社しましたが、はっきり言って仕事の内容は学生時代にやっていたこととほとんど変わりませんでした。

 ただ、通信社では自分の書いた文章がニュースになるわけですから、記事の書き方は徹底的に鍛えられました。徹夜で書いた原稿を上司にチェックしてもらうと、目の前で丸められてごみ箱に捨てられる。それをあとでこっそりと拾い、どこが悪かったのかを確認するわけです。大工の見習いが怒鳴られながら鉋(かんな)のかけ方を覚えるように、私も上司にみっちりとしごかれながら記事の書き方を覚えました。いまでは笑い話ですが、当時はとても苦労しましたね。

自分自身と真剣に向き合い、人生を決めてほしい

――長らくジャーナリズムの世界に身を置いてきた高野さんから見て、現代の若者にはどのようなものが必要だと思われますか。

 現在の若者を見ていると教養、特に近現代史の知識が圧倒的に不足しているように思います。極端に言えば「ベトナム戦争」を知らない。さすがに早稲田大学の学生はある程度知識を持っていますが、歴史における位置付けや戦争の背景までは分からないという学生は珍しくありません。

 過去を知らなければ、未来を考えるときに想像力が働きません。参考にすべき手掛かりがないため自分のやるべきことが見えないのです。しかし、もし明治維新の志士たちのことを知っていれば、この時代と重ね合わせて自分のやるべきことを想像できるかもしれません。少なくとも考えるうえでのヒントにはなるでしょう。近年、「自分が何をすれば良いか分からない」という学生が増加している原因の一つは、過去に対する知識不足だと私は考えています。

――早稲田大学ではゼミや大隈塾で教鞭を執っておられますが、どのような想いで講義に臨まれているのでしょうか。

 学生には“インテリジェンス”を養ってほしいと考えています。インテリジェンスとは情報や知識を駆使して自分の考えを組み立て、行動を決断する力のことです。日本語で言えば「知恵」になるでしょう。日本ではいまだに「知識」と「知恵」の定義が曖昧で、結果として「知識」ばかりが偏重されています。インテリジェンスを鍛える機会が圧倒的に不足しているのです。

 そこで私の授業では、学生たちが自ら考える機会を設けることを意識しています。大隈塾※の「21世紀日本の構想」を例に挙げると、講義では毎回ゲストを呼び、彼らに人生を語ってもらいます。これまで20代でバングラディシュに乗り込みカバン工場を設立した山口絵里子さん、外交評論家の岡本行夫さんなど、たくさんの方々に足を運んでもらいました。「こんな生き方もあるんだよ」とサンプルを見せることで学生たちに刺激を与え、自分自身の生き方を考える際のヒントにしてほしいのです。実際に講義でイラク戦争における子どもたちの惨状を知り、「医師になりたい」と早稲田大学を卒業して医学部に入学した学生もいます。

 世間で叫ばれているように、近年は安定志向の学生が増えているのが実状です。こうした傾向を一概に否定する気はありませんが、学生たちには固定観念に縛られることなく、自分自身と真剣に向き合ったうえで生き方を決めていってほしいと私は考えています。

次なる時代も一流であり続けるために

――今後、早稲田大学に期待することをお聞かせください。

 先ほど述べたように、日本の大学ではインテリジェンスを育むための教育が圧倒的に不足しています。これは大学教育だけに限った話ではありませんが、今後は考える力を伸ばすための教育が重要になることは間違いないでしょう。

 これまで早稲田大学は、世間から一流の大学と見なされてきました。しかし、それはあくまでも明治から始まった成長期の日本における話です。時代は変わりつつあります。頑張っていれば明るい未来が待っているという時代は終わりを迎え、日本はいまだに目指すべき未来を描けずにいます。今、大学も変わる時期なのです。そして次なる時代を見据えた教育を実践できたとき、早稲田大学は本当の意味で一流になれるのだと私は考えています。

※大隈塾:日本と世界の明日を担う人材を育て、明確な将来プランを示して混迷する日本社会を再生へと導くという使命を果たすために2002年4月に発足した、学内外の知的資源を結集して活動するプロジェクト。本学出身のジャーナリストである田原総一朗氏を塾頭に、高野氏を塾頭代行に迎え、政治経済学術院の田中愛治・坪井善明教授ら本学教員とともに、教育と研究、そして社会とが三位一体となった活動を進めています。

大隈塾での講義の様子

高野 孟(たかの・はじめ)さん/ジャーナリスト

1944年生まれ。1968年本学第一文学部卒業。通信社や広告会社の勤務を経て、1975年からフリー・ジャーナリストとなり、ニュースレター『インサイダー』や独立系メディアの総合サイト『THE JOURNAL』などを立ち上げる。2002年、本学客員教授に就任。オープン教育センター「21世紀日本の構想~大隈塾~」「大隈塾演習:インテリジェンスの技法」や大学院政治学研究科「ニューズルーム(新聞の読み方)」などの授業を担当している。