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▼1月号

第二世紀へのメッセージ

エフゲニー・アクショーノフ先生 略歴はこちらから

65年前の早稲田もインターナショナルで居心地の良い学校でした

エフゲニー・アクショーノフ先生/国連WHO指定医 インターナショナル・クリニック院長

83歳の現役ドクター、エフゲニー・アクショーノフ先生は、六本木・飯倉片町の交差点に約100年前からひっそりとたたずむ白い洋館で、外国人を専用としたクリニックの院長を務めていらっしゃいます。日本語を学んだ早稲田国際学院での思い出や日々のことについてお聞きしました。

6歳の時から医師になりたかった

──アクショーノフ先生は、65年前に来日されて早稲田で日本語を学んだ後、慈恵医大に進学されましたが、そもそも医師を志したきっかけは何ですか。

 ロシア人の父が亡命した旧満州・ハルビンに住んでいた6歳の頃、風邪をひいて初めて病院に連れて行かれたときのことです。子供ですから、医師も看護師さんも私をとてもかわいがってくれました。聴診器を私の胸に当てて心臓の音を聞かせてくれて、その他の医療器具も面白いおもちゃに見えました。白衣も格好良いし、消毒の匂いも好きで、おまけに甘いシロップの風邪薬を飲ませてもらって、病院はなんて素晴らしいところなんだろうと……。それからずっと、医師になりたいという気持ちが揺らぐことはありませんでした。

クリニック外観

日本に来られて、早稲田で語学を学ぶことになったいきさつを教えてください。

 ハルビンでは、フランスのミッションスクールに通っていたので、本来ならそのまま無試験でフランスの医大に進むことができたのですが、戦争中だったので行くことができなくなってしまいました。そんな折に、津軽さん(常陸宮妃華子さまの父)がハルビンを訪問され、乗馬を嗜まれていた関係で父が経営していた牧場を訪れました。私は日本語が話せたので、「将来は何になりたいのですか」と話しかけられ、「医者になりたい」と言うと、「ぜひ日本に来て勉強してください」と言われました。話半分でいたのですが、1ヶ月後に招待状が届いて驚きました。早稲田で語学を学んでから、慈恵医大の医学部に進みました。

早稲田は外国人にも居心地の良い学校でした

──早稲田での学生時代には、どんな思い出がありますか。

 1943年(昭和18年)に国際学院※に入学しました。3年コースでしたが、私はハルビンで日本語を勉強していたので1年で卒業しました。動詞の四段活用や漢文は難しかったですが、先生たちの教え方はとても上手でしたね。先日亡くなった名取順一先生には、大変お世話になり感謝しています。

 早稲田は当時から国際的な雰囲気があり、戦時中で私が外国人であっても嫌な思いをすることはありませんでした。柔道と剣道をやってたくさんの友人ができ、楽しかった思い出しかありません。食堂のおばさんは、私の体格がいいからといつも山盛りにしてくれました。卒業後にお菓子を持ってお礼に行ったのですが、賑やかだった食堂は食糧難で閉鎖され、しーんとして誰もいなくなっていました。扉に「勝ち抜くまでは休みます」と貼り紙がしてあったのを今でも覚えています。とにかく早稲田で学ぶことができて本当に良かったです。今でも学生野球を見て、早稲田を応援していますよ。

 早稲田とは直接関係ありませんが、あの頃、月謝を払うために俳優のアルバイトをしていました。悪役ばかりでしたけれど(笑)。「重慶から来た男」「マライの虎」などの国策映画に出演したり、「黒船物語」という舞台にも出たりしていましたよ。

──慈恵医大を卒業された後、米国司令部の通訳、米軍陸軍病院や外国人向けの診療所に勤務され、独立されてインターナショナル・クリニックを開業され、フランスのシラク元大統領などの政府要人、マイケル・ジャクソン氏などのビッグスター、日本で働くビジネスマン、夜の六本木で働く女性、旅行者とさまざまな立場の外国人を診察されてきました。現在も、現役ドクターとして元気に活躍していらっしゃいますね。

インターナショナル・クリニックの待合室には、さまざまな身の上の外国人が集まる。

 こんなクリニックは他にないと思います。現在は、米国人、マレーシア人、日本人のドクターと4人で運営していますが、私自身も英語、中国語、ロシア語、ドイツ語、日本語などを話すことができますから、いくつもの大使館から診察依頼があります。家とクリニックに診察カバンをそれぞれ一つずつ用意しておき、連絡があればすぐに、患者さんの滞在先のホテルにでも、どこにでも往診に行きます。

 毎朝、南麻布の自宅から飯倉片町のクリニックまで、35分かけて歩いてくるんですよ。この通り元気ですが、目が見えにくくなってきたので、外科手術は専門の腕の良い先生に紹介して協力体制を組んでいます。

 長年やっていると、最初に診察したときは子供だった患者さんが、お母さんになって子供をつれてきてくれます。100歳の患者さんもいて、4代にわたって診ているんですよ。今も患者さんと接することが楽しいし、スタッフもみんな親切だし、辛いと思うことはありません。それに、働くのを辞めて家にずっといたら奥さんにも悪いですしね。亭主元気で留守がいいというでしょう(笑)。

今も患者さんから学んでいます

──アクショーノフ先生は、経済的に困っている患者さんには診察料を安くしたり、無料にしたりして、生活費を渡すこともあるとお聞きしました。そうした功績が認められて、吉川英治文化賞や社会貢献支援財団の社会貢献者表彰を受賞されましたね。

 You cannot squeeze blood from a stone. お金のない人から取ろうとしても無理です。でも病気は治療しなければなりません。だから私は何も偉いことをしていません。診察料を受け取らなくても、私は患者さんから多くのことを学ばせてもらっています。今も勉強は続いているんですよ。

──日本の医療はいろいろな課題が取り上げられていますが、どのように感じられていますか。

 高齢化社会で病院にかかる人が増えることに伴って医療現場が忙しくなり、医師も看護師も疲弊しているという問題点はあります。しかし、日本の医療制度そのものは立派です。他の国は、日本の医療システムに学ぶことがたくさんあると思いますよ。

 クリニックの建物は、大正時代の洋館。関東大震災にも持ちこたえ、周囲を大使館で囲まれていることから戦災からも免れた。「東京で大正時代のトイレがそのまま残っているのはここくらいでは」とアクショーノフ先生は言う。

エフゲニー・アクショーノフ先生/国連WHO指定医 インターナショナル・クリニック院長

1924年(大正13年)、旧満州・ハルビン生まれのロシア人。満州国の崩壊とともに無国籍となる。18歳の時に来日、早稲田国際学院(※)、慈恵医科大学で学び、米国司令部の通訳、米国陸軍病院での勤務を経て、インターナショナル・クリニックを開業。

※早稲田国際学院
(財)早稲田奉仕園の一事業として、1935年9月、現在の西早稲田の地に創立。大学進学を希望する外国人のための予備校も兼ねた。院長はじめ顧問、教員として本学教員が多数兼務しており、両校はきわめて緊密な関係にあった。