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キャンパスナウ

▼2016 新緑号

研究最前線 frontline of the study

社会に貢献する最新の研究を取り上げて紹介します。

河野 貴美子
文学学術院教授
略歴はこちらから

人類を豊かにするために「知」を蓄積し、継承する

河野 貴美子/文学学術院教授

「人文学の危機」を「人文学の画期」とする

『弘決外典鈔』(西東書房、1928年影印)

 最近、人文科学系の学部不要論が話題になりましたが、実は世界中で「人文学」は危機を迎えています。例えばアメリカでは、2013年にハーバード大学が「大学入学時に人文学を専攻することを希望していた学生の57%が、最終的には他学部を選ぶ」というレポートを発表しました。しかし私は「文学」こそが、学問だと考えています。というのも、「文学」というと大抵の人はliteratureを思い浮かべると思いますが、その由来をたどると、もっと広い意味を含有していました。

 日本の「文」はもともと、中国の書物を通じて伝わった漢字文化から出発しています。最古の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』の序文では、「文」を、「文」字、「文」献、「文」明、「文」人・「文」士、「文」学という広い概念から捉えていますし、教育制度においても、古代の大学寮においては紀伝道(文章道)が国家社会を支える学問として大きく位置づけられていました。ちなみに西洋でも、まさに東アジアの「文」に相当するlettersという語と概念がありましたが、19世紀以降は歴史学、文学(literature)、哲学といった各分野に分断されてしまいました。私は、「文」がたどってきた道を振り返り、「文」という概念の意義や可能性を再発見することで、「人文学」の危機をむしろ画期とすることができるのではないかと考えています。そして現在、ボストン大学のWiebke DENECKE准教授をはじめとする国内外の研究者と共同して取り組んでいるのが『日本「文」学史』の刊行です。

『日本「文」学史』出版にあたってのワークショップ

近著『日本「文」学史』(3冊シリーズのうちの第一冊目)

日本の言葉や文化を和漢古文献から読み解く

 私が研究者を志したのは、大学2年生のときに北京に1カ月間留学したことがきっかけです。中国と日本の重なる部分、異なる部分を発見することが楽しく、また、中国や韓国の研究者との交流を通じて学問の面白さに目覚めていきました。

 中国の文化は、日本の文化に深く根付いています。例えば、杜甫の「国破れて山河あり」という一節は、日本人のほとんどが知っているのではないでしょうか。古代から近代にかけて、日本は、中国の書物を通じて、先進文化を学んできました。江戸時代になっても知識人は漢文を書いていましたし、東京大学が1877年に創設されたとき、文学部には和漢文学科が設置されました。長らく、中国が日本の先生のような存在で、その流れは近代になるまで一貫して続きました。私は、日本人が漢字文化をどのように学んできたのか、伝達の過程で誤解は生じなかったのかなどについて、和漢古文献を通して研究しています。

時代と海を越えて受け継がれる『弘決外典鈔』

 日本人が中国の文化をどのようにして学んだかを紐解く上で、注目している古文献の一つが、平安時代の村上天皇皇子具平親王(ともひらしんのう)による『弘決外典鈔(ぐけつげてんしょう)』です。これは、仏教書の『摩訶止観(まかしかん)』の注釈書である『止観輔行伝弘決(しかんぶぎょうでんぐけつ)』の注解のうち、外典(仏典以外の書物)からの引用に対して、具平親王がさらに注釈を加えたものです。そこには、さまざまな外典からの引用文が豊富に含まれています。例えば、老子から引用したある一節に関し、複数のテキストがあることに注意せよと、本文批判を行っていて、具平親王の教養の高さがうかがえます。

 それから長い時を経て、中国近現代を代表する文献学者の余嘉錫(よかせき)(1884〜1955)が『弘決外典鈔』を書写し、校注を加えた手校本を残しています。渡日経験のない余嘉錫がなぜこの本に出会ったのか、私はその経緯と内容について研究し、北京大学でも発表しました。余嘉錫が手にしたのは、1928年に徳富蘇峰が300冊刊行した複製本で、日本が1927年に北京に設立した北京人文科学研究所に所蔵されていた1冊でした。戦時中も日本の古典籍を使って研究を続けていた余嘉錫の手校本には文献学者たるものの執念が見え、背筋の伸びる思いがします。論語や四書五経もそうですが、古典には多くの先人の解釈が積み上げられていて、注釈に注釈が加わった形で現代に伝えられています。時代と海を越えて1冊の本が受け継がれてきた事実に、感動を覚えずにはいられません。

和漢古文献の研究に西洋の視点を取り入れる

 中国での研究を行いつつ、欧米の大学との交流も活発に行っており、昨年の夏には、カナダのブリティッシュコロンビア大学で日本文学専攻の大学院生を対象に、源氏物語の古注釈書をテーマとしたワークショップを行いました。源氏物語に注釈が必要なのかと疑問に思うかもしれませんが、武士が平安時代の有職故実を学ぶテキストのように読まれていたこともあり、中国の古典籍を引用した注釈がついていたりします。注釈を検討することで、その時代の文献学者が何を考えていたのかが分かり、盛り上がりました。また、角田柳作記念国際日本学研究所のメンバーとして、コロンビア大学とUCLAでのシンポジウムで発表したり、学生を受け入れたりして、西洋の視点にも多く触れ、互いに学んでいます。

 今後も、東アジアに蓄積、継承されてきた書物の世界を研究し、日本における「文」の意味、役割を探求し、さらには早稲田大学の文学部と文化構想学部の存在意義を発信していきたいと考えています。

ブリティッシュコロンビア大学で行った「源氏物語の古注釈書」をテーマとした集中講義の様子(左)とポスター(右)

河野 貴美子(こうの・きみこ)/文学学術院教授

1987年早稲田大学第一文学部文学科日本文学専修卒業、1994年同大学大学院文学研究科日本文学専攻修士課程修了、2001年二松学舎大学大学院文学研究科中国学専攻博士前期課程修了、2004年早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻博士後期課程修了。同年早稲田大学文学学術院専任講師、2012年より教授。著書に『日本霊異記と中国の伝承』、共編著に『東アジア世界と中国文化—文学・思想にみる伝播と再創』『日本における「文」と「ブンガク」』などがある。