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責任ある原子力規制の“仕組み”を築け

岡 芳明/早稲田大学理工学術院特任教授(共同原子力専攻)

 東電福島事故は福島県民はじめ国民に多大な迷惑を及ぼしている。二度とこのような事故を生じてはならない。

1.事故は日本の行政のしくみや文化と深く関連。

 事故の直接の原因は想定を超えた大津波であるが、安全審査の会議でその可能性を専門家が指摘したにもかかわらず、指摘は生かされなかった。なぜ、そのようになったかを考えると、単なる”想定外”という言葉では済まされない日本特有の問題や文化が深くかかわっていることに気付く。

 根本的な問題は日本の行政の“責任不在”の構造と“密室”や“村”を好む日本文化である。これは原子力にかかわる行政や企業特有のことではない。問題の根は深いのである。改革に当たってはこのことをまずよく認識する必要がある。原子力規制の改革は担当省庁を変更する単なる組織づくりでは到底済まない。その“仕組み”や“意識”を根本から作りなおす必要がある。

 米国の原子力規制委員会(NRC)と日本の原子力規制との最大の相違は日本には案件ごとに多数(約170、役所のHPを見ればわかります)の委員会等があり、専門的知識を外部の専門家からなる委員会に依存していることである。これに対し、米国の原子力規制委員会には職員に多数の高度な知識を持つ専門技術者がおり、自らの判断で自ら責任を持って規制行政を行っている。

 日本の原子力規制は上級公務員に米国のような技術専門家はほとんどおらず外部の専門家に会議の委員を委嘱し、膨大な数の会議に専門的知識や判断を依存するという日本特有の行政の責任不在・責任不明確という構造の中で行われている。

 日米の原子力規制のもう1つの大きい相違は日本の行政庁が“お上”として申請者や原子力事業者の上に君臨する意識と構造である。米国では原子力規制委員会が原子力事業者に“お上”として君臨する構造はない。日本では“お上”はいばって事業者はそれに従っていたのだが、指針や規制がなかったり不完全だったりしたのが今回の大事故を含むこれまでの大きい原子力安全問題の根本にある。

 日本の原子力産業は“内向き”の特殊な構造をしている。現在は原子炉メーカが海外展開を図ろうとしているので少し変化しつつあるが、“内向き”の構造は原子力に限らず日本特有の構造と文化であり、不況の超長期化を生んでいる原因でもある。内向きの構造は結果として電力とメーカの一体的で強力な“原子力村”を生み出し、日本の規制やエネルギー産業の構造にも影響し、福島事故の要因にもなったと言わざるをえない。

2.原子力規制の“土俵”を作れ

 規制側と原子力事業者が原子力安全をめぐって真剣な議論をたたかわせる透明な“仕組み”が必要である。これは相撲の土俵上の力士(規制側と事業者)の真剣な取組(やりとり)を観衆が見守るイメージである。取組の様子はテレビで中継されることもあるであろう。相撲と違うのは、規制は勝負をつける作業ではないことと、原子力事業者は規制側が手続きを踏んで定めた安全の規制や指針に従う必要があることである。

 土俵のルールとはたとえば土俵の上では規制側と事業者とは対等であり、申請や意見や検討結果は口頭ではなく書面で提出すること、土俵外でのかくれた取引は厳禁であることなどである。

 真剣勝負するためには規制側にも単なる“お上”の威光でなく事業者と対等に安全をめぐって戦える実力と責任ある体制が必要になる。

 原子力の推進と規制の分離が重要である。公開され皆が見守ることのできる“土俵”はそのためにも大きい役割を果たすと期待できる。規制側の安全をめぐる真剣な考察をうながし、事業者側もそれに対する対応を検討し、結果を公開の場で議論する。これが本当の意味の推進と規制の分離である。米国NRCの規制行政をみると両者がいつも角を突き合わせるイメージではなく透明な場で規制作業が行われ、その結果安全と規制の実効性や効率性が高まるイメージとなる。外部の安全専門家で構成される諮問委員会が安全確保の充実と課題の予見を助け、行政を国民がCHECKする仕組みとして議会の行政監査委員会があり、NRCの作業を調査・監視し結果を公表している。議会は毎年予算や定員を決める。

3.責任ある規制体制を築け、深い知識を持つ専門家を育成せよ

 責任は技術的実力がないと引き受けられない。技術的能力のある人材がいても適切な人事と任用がなされないとそれは生かされない。

 日本の行政に特有なのは深い知識を持った技術的専門家が上級公務員にいないことである。担当部署が次々と変わるのが上級公務員の人事の姿である。これでは専門分野の深い知識を持つことは不可能である。しかし原子力規制の責任はそれを担当する上級公務員にある。責任とは予算と人事権に伴っており、原子力担当省庁に原子力規制の責任があるのは明らかである。研究所の研究者や大学教員を役所に出向させても規制業務を本業として永年取り組んでいるわけでもないし、人事権も予算権もないので責任を果たせるとは到底言い難い。

 米国の原子力規制委員会は約50%が技術専門家である。職員全体の約25−30%は博士号を持っている。日本の上級公務員に原子力分野の博士号を持つ人は何人いるのだろうか。NRCは自ら職員の能力向上を図る教育訓練システムも有している。

 博士号を持つ専門家は研究開発を担当する独立行政法人にはいる。彼らの能力を原子力規制研究を通じて活用することが必要である。米国原子力規制委員会はエネルギー省の国立研究所や大学に安全研究を委託している。米国の安全研究予算の約半分は不確定の大きい炉心溶融事故研究に用いられており、規制の科学的基盤構築に役立っている。米国の博士課程大学院生は教員が獲得した外部資金で研究することで生活しており、この研究費は安全分野の人材育成にも役立っている。

4.独立性、開放性、実効性、透明性、信頼性を原子力規制行政の標語に

 これらの標語は米国原子力規制委員会が用いている。国民の信頼は実力と責任のある規制体制がこれらの標語を目標にたえまない努力と改善をしないと得られない。

 2011年秋の米国原子力学会の大会では、原子力規制委員会やエネルギー省のそれぞれの分野の責任を所掌する専門家(お役人)が原子力規制、福島事故とその影響、過去の原子力事故の教訓,事故後の復旧や長期的対応などのパネルで行政の経験や対応を述べていた。深い専門知識と経験がないとこうした発表を自ら行うは不可能である。著者はこれらの講演と質疑を聞いて米国のこの分野の歴史と現状のみならず米国政府の福島事故対応の概要、さらには間接的に日本政府の対応まで推察できた。これが本当の開放性である。日本でも将来お役人が学会で安全確保の説明責任を果たすようになることを期待したい。

 なお米国原子力規制委員会の概要やQ&A等を研究室のHPにまとめた。

http://www.f.waseda.jp/okay/news/news_content/20111107.sekinin.rev.pdf

岡 芳明(おか・よしあき)/早稲田大学理工学術院特任教授(共同原子力専攻)

1946年生まれ、東京大学名誉教授、日本原子力学会元会長 専門は原子炉工学、主な編著書は「原子炉設計」等の原子力教科書シリーズ(オーム社)、“Super Light Water Reactors and Super Fast Reactors”、“Advances in Light Water Reactors Technologies”(Springer)など。考案したスーパー軽水炉は第四世代原子炉として世界で研究されている。

研究室の活動はこちら
http://www.f.waseda.jp/okay/

東京都市大学・早稲田大学 共同原子力専攻
http://www.nuclear.sci.waseda.ac.jp/