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和洋学園は2022年に創立125周年を迎える。それを記念して今年10月上旬、明治の女性から学ぶ未来を拓く力をテーマに、オンラインシンポジウムを開催した。ゲストに、脚本家・山本むつみ氏と、同志社大学大学院教授・佐伯順子氏を迎え、真の女性活躍とは何かについてお話いただいた。

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和洋学園紹介
女子教育の発展に寄与した和洋学園125年の歩み
和洋女子大学 学長
岸田宏司
教養を糧に行動した創設者・堀越千代

和洋学園の創設者堀越千代は、幕末の安政6年生まれ。明治維新後、故郷の岩手県から上京し、夫となる堀越修一郎に出会います。熱心な教育者である修一郎の影響を受けた千代は、習字、国文学、漢文学、礼法などに加えて、当時は珍しい洋裁技術なども学び、当時の女性としては抜きんでた教養を身に付けていたといわれています。学びから得た深い教養を糧に、明治30年に設立したのが、和洋女子大学の前身となる和洋裁縫女学院です。

和洋女子大学 学長岸田宏司
受け継がれる理念 進化する学習環境

創立以来、和洋学園は時代とともに変化してまいりました。近年では、平成30年に看護学部を設置し、より実学的な学びに取り組める総合大学としての環境を整備しました。また、令和2年には、高校・大学一貫の7年制教育を行う和洋コースを設置。時間をかけて深い学びを得られる学習機会の創出に取り組んでいます。

いつの時代も根幹にあるのは、堀越千代が唱えた「豊かな教養と専門的な知識・技術を兼ね備えた自立した社会人の育成」です。これからも、時代に即した女子教育を実践しながら、社会で自分らしく活躍できる自立した女性の育成に取り組んでまいります。

創設者堀越千代
明治の女性に学ぶ人生の切り拓き方 明治の女性に学ぶ人生の切り拓き方
山本むつみ
脚本家
やまもと・むつみ旭川市出身。出版社勤務を経て、2004年脚本家デビュー。主な作品は連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』、大河ドラマ『八重の桜』(NHK)、『コウノドリ』(TBS)、『相棒』シリーズ(テレビ朝日)など。
知識、技術、勇気で戦った戊辰戦争

戊辰戦争で戦い、のちに教育にも携わることとなった新島八重の生き方には、女性が自らの力で未来を拓くために必要な、3つのポイントがあると思います。

1つめが、知識と技術を養い、それを行動に移す勇気があったこと。会津藩の砲術師範の家に生まれた八重は、武家の子弟に撃ち方を教えるほど、砲術の知識と技術を深めていました。戊辰戦争の際には、身につけた能力を総動員し、勇気を持って、女性でただ一人銃を手に戦いに挑んだのです。

変化を恐れない新時代のハンサムウーマン

2つめのポイントは、変化を恐れない姿勢です。八重は既存の価値観にとどまることなく、知識や考えをアップデートしながら、時代の最先端を歩んでいきました。

かつては銃を手に戦った八重ですが、戦後は、兄の山本覚馬や二番目の夫・新島襄の西洋的な考えに触れ、英語や聖書など新しい知識を学んでいきます。良いものは積極的に取り入れ吸収する、柔軟性があったのです。

3つめは、生涯行動し続けたこと。最愛の夫・襄の死後、女性の社会貢献の道を模索した八重が見いだしたのは、篤志看護婦の道でした。若い看護婦を率いて従軍し、知識と技術と勇気で、傷病兵の看護に奔走したのです。自らの力を自分のためだけでなく、他者のために使う努力も、八重は惜しみませんでした。

学ぶことをやめず、人のために尽力し続け、「ハンサムウーマン」と称された八重の生き方は、私たちが目指すべき自立した女性の姿といえます。

真の『女性活躍』とは~明治のメディアと女子教育から現代へ~ 真の『女性活躍』とは~明治のメディアと女子教育から現代へ~
佐伯順子
同志社大学大学院 社会学研究科教授
さえき・じゅんこ東京都出身。専門は比較文化・メディア学・女性文化史。主な著書に『「色」と「愛」の比較文化史』(岩波書店、1998年、サントリー学芸賞、山崎賞受賞)など
女性の社会進出第一波は明治初期

激動の時代といわれる明治時代ですが、それは社会での女性の立ち位置も同じです。

明治の前半、適性を生かして社会貢献したいという高い志を持つ女性が増え、多くのメディアが女性の社会進出について取り上げるようになりました。結婚後も仕事を続ける女性や子連れ出勤する女性が記事になり、その書きぶりからも、結婚と仕事の両立に寛容であったことが分かります。

女性の社会進出に伴い、女子教育も促進されます。和洋学園創設者の堀越千代や、津田塾大学創設者の津田梅子をはじめ、多くの女性が、女性の学びの拡充のために力を注ぎました。

女性活躍の鍵は社会貢献の志

しかし明治の後半になると、様相が変化します。明治32年、良妻賢母を唱えた高等女学校令が制定され、次第に女性の活動が家庭内のみに制限されていきます。女子教育が拡充しながらも、同時に女性の役割が限定されてゆくことの矛盾に、内心、とまどう女性も、多かったことでしょう。

驚くべきことに、その固定観念はいまだに根強く残っているのです。共働き家庭が増えているにもかかわらず、日本のジェンダーギャップ指数が、近年、国際比較上低下しており、政治等での女性参画が進まないのはその反映です。

この状況を打開し、真の女性活躍を実現するための鍵、それこそが明治初期の女性が持っていた、自らの能力で社会に貢献しようという志なのです。

トークセッション
行動することで社会を変える
時代の変化を力に明治女性が活躍

草野千代も八重も、社会制度が大きく変わっていく時代に、たくましく活躍しました。明治時代の女性たちのこの原動力は、どのように生み出されたのでしょうか。

山本一つには、国自体に未来に向かって突き進むようなエネルギーが満ちていたことが挙げられます。五人の少女が留学生として海外へ派遣されるなど、女性が活躍する機会が増えていくのを目の当たりにするなかで、女性たち自身にも「現状維持ではダメだ。私にも何か役割があるはずだ」という意識が自然と芽生えたのだと思います。

岸田時代の雰囲気、とでもいうものでしょうか。江戸時代の、戦争がなく比較的ゆったりとした期間に熟成された知識や教養が、明治時代に世の中を動かす力へと変換されたともいえます。また、他者のために行動しようという意識が高まったのも、明治時代の特徴の一つ。堀越千代は、「ナイチンゲールのように敵味方を区別しないことが、これからの女性には大切だ」という言葉を残しています。

佐伯明治時代の前半は、社会に流動性がありました。だから、女性の活躍が許容されやすかった。士農工商が否定されたことで、男性も身分を超えて活躍しやすくなりました。男性も女性もともに頑張ろうという雰囲気が醸成されたのだと思います。しかし、後半になって社会が安定するとその雰囲気がなくなり、性別による役割分業が強化され、ジェンダー平等は単純に進歩せず、明治後半の退化が今にひびいています。

自立と支え合い成長できる関係とは

草野現代の女性が真の活躍を遂げるには、何が必要でしょうか。

佐伯結婚していても、一方的に経済力や家事を依存しすぎず、お互いに協力しあうのが大事ではないでしょうか。ワークライフバランスを適性にすれば、仕事をする良妻賢母も良夫賢父も可能なのです。女性も男性も、自分軸の出世志向や固定観念を捨てて、社会のためにという志が大事です。

山本八重と襄は、まさしく固定観念に縛られないゴールデンカップルなのですが、それは両者とも学びや出会いを通じて変化できる、柔軟さを持っていたからです。八重は襄からたくさんの影響を受けましたが、それは襄にとっても同じこと。「真の女性活躍」ができる女性だったからこそ、襄も惹かれたのだと思います。

岸田それから、自分が活躍できる適性とは何かを見極めることも大切です。千代にとって、教育の世界はまさに天職。その証拠に千代は学校内に住まいを構えて、晩年も教育と携わり続けました。授業に出席し、学びをさらに深めることもあったといいます。自分に適した職業であれば、年齢に関係なく行動を起こし続けられるんですね。

草野今日は、学び続けること、行動すること、そして既存の価値観をアップデートできる心の柔らかさが重要だと教えていただきました。性差にかかわらず未来を拓く力をつけられる社会になることを願っています。

草野満代
フリーアナウンサー
くさの・みつよ岐阜県出身。1989年NHK入局。フリーになった1997年以降は「筑紫哲也NEWS23」(TBS系)など多くの番組でキャスターを務める。
和洋学園 オンラインシンポジウム(アーカイブ動画)
学校法人 和洋学園