2024.10.29
デジタル技術の進歩などにより、利便性が著しく向上し、私たちの生活は大きく変わってきました。その一方で、生活を豊かにするはずの技術の進歩が、時として行き過ぎた効率化につながり、常に追い立てられせわしない状態に陥ることも危惧されています。人生にとっての豊かさとは何か。ウェルビーイングにつながる適切なパフォーマンス(適パ)とはどういうものなのか。深い洞察力から「走る哲学者」の異名も持つ、男子400mハードル種目日本記録保持者で3度のオリンピック出場を果たした為末大さんに、現役時代の経験も踏まえつつ日々の生活との向き合い方などについて聞きました。
目標達成を考えたとき、絶好調っていうのが必ずしもいいとは限りません。有名なスポーツ誌で「表紙の呪い」っていう有名な話があります。雑誌の表紙を飾った次の月やシーズンに必ずパフォーマンスが下がるっていう話なんですが、これは統計的に言うと「平均回帰」で説明が可能です。たとえばパフォーマンスの平均が10だとしても、各月の値は7~13とぶれているわけです。表紙を飾るのはいい時なんでこの平均より上振れした時になります。必ずその後、平均回帰するので平均で10、下手したら7になります。すると悪くなってるように見える。ですので、絶好調を狙うということは、絶不調も許容するってことなんです。
陸上競技は4年に一度のオリンピックで良い結果が出ればいいので、絶好調の絶不調の幅を大きくしたがる傾向にあります。一方、野球やサッカーは年間百何十試合もあるので、1試合だけ最高のパフォーマンスを出してもダメですよね。社会一般の仕事は野球やサッカーに近く、1日だけよくてもダメで、ずっと10の状態を保つ方がいいのだと思います。
無理をしようとした時に、一番重要なのは「心に体力があるか」どうかだと思います。普通に仕事をしていればこの半年とか一年は頑張りどころだとか、この1週間は追い込まなきゃいけないって時もあると思います。365日の重さって全く一緒じゃなくて、365日のうち、その1日が全体のパフォーマンスの 20% を決めるってことってあるじゃないですか?そこは頑張って、その後にさっきの平均回帰を意識して、あまり力が出ない状態も受け入れる。揺らぎをコントロールする感じだと思います。
でも、勝負どころだけではなく、ずっと無理し続けるというのは、全体のパフォーマンスからして逆に効果が低いと考えています。たとえば、柔道は日本のお家芸なので、以前はどんな試合も負けちゃいけないっていう雰囲気だったのですが、結果としてオリンピックの勝率が下がっていた。他の国は、オリンピック前の試合を捨てて、コンディションを整えて臨んでくるのですから。がんばれがんばれ、いつもがんばれは、がんばれといっていないのと同じですよね。期間限定だから頑張る意味があるわけです。
どうやったら長期的に頑張れるかというと、重要なのは2点。「適切な状態」を保つことと、勝負所と抜きどころみたいなものを自分で考えながら帳尻を合わせていくということかなと考えています。
たとえば、野球選手が毎日バッティング練習をする場合、同じことの繰り返しだと思うか、小さな実験の繰り返しかと思うかで、同じ練習でも変わってくるわけです。実験だと思える人は続けられる。それが、「適切な状態」を作るルーティンを継続する上で重要なポイントになると考えています。たとえば、取材を数多く受けていると、「いつ陸上始めたんですか?」といった同じような質問に同じようなフレーズを返していることがよくあります。多分500回ぐらいは繰り返したと思うんですけど、その時にせめて同じ回答なんだから500回毎回変えてみようと思って、ちょっとずつ言い方変えるとかしてみるんですね。そうしていくうちに、こう話すと分かってもらいやすいとか、こう話すとあんまり響かないとかっていう学びも生じます。
確かに、どこで歯止めを効かせるか、という悩みはありますね。難しいですが、「ひらめき」について話すことが答えになるかもしれません。「ひらめき」はいつ発生するのかというデータがあって、ほとんどは散歩かシャワーかトイレの中か、という結果だそうです。
私の考えでは、なにか一定の身体活動を伴う際にひらめくのだと思っています。人間の考える行為は潜在意識と顕在意識の両方で行われていますが、ひらめく時はむしろ意識的に考えるのはストップしていて、潜在意識の働きが起こすのだと。没頭して何かに集中するっていうのも、何も考えてない状態に近いと思います。デジタル社会の中でそれだけ集中するのはなかなか難しいですが、せめてぼうっとする時間を一定量取るのが良いのではないかと思っています。私は散歩してる時によく「ひらめき」がやってくるので、それもあって散歩してます。
今の社会は、なんとなく1990年代ぐらいに出来上がったルーティンを続けようとしていて、それが起こしている弊害に耐え難くなってる感じがしています。1990年代の頃は、「24時間戦いましょう」みたいな世の中でした。それはそれで、その時代を象徴していたとは思います。実際、もっと平均年齢が若かったら、「24時間戦える」社会もあると思います。でも今は違いますよね。だから、社会も次なる「適切なルーティン」っていうか、バランスみたいなものを探していかなければならないのかなと思っています。
じゃあ具体的に何をするかというと、コンディションがいい方が良いパフォーマンスが出るっていう事実を、徹底してみんなで理解することが大事だと思います。たとえば、この20年で、スポーツ科学が与えた一番大きなインパクトは、疲れた状態で長時間練習するよりは、元気な状態で短時間練習した方が効果が高いんだという認識が広がったことだ思います。だから、ちゃんと休んで、「いい状態」を作らないとダメだという風に変わってきた。それが今の日本の選手が活躍できている大きな要因だと思います。
練習量が減ることではなくて、質を高めることに着目したのです。昔のデータを見て、本当にハードな練習を長時間にわたってこなしているのですが、タイムが遅い。疲れて速いタイムが出せないんですよ。それが昭和の練習方法だったんです。そこから転換して、いいコンディションを作って、より速く走った方が練習のインパクトが大きいことが分かった。だから、コンディショニングの概念ってすごく重要なんです。
コンディショニングの考え方とともに、食事や睡眠にも注目が集まっています。練習量は限界がありますから、どれだけ練習するかという競争から、どれだけ次の日に備えて良い状態に持ち込むかという競争に変わってきています。そうした流れを、みんなが理解することで、社会は変わっていくのではないかと思っています。
Deportare Partners代表
為末 大
1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2024年10月現在)。現在はスポーツ事業を行うほか、アスリートとしての学びをまとめた近著『熟達論:人はいつまでも学び、成長できる』を通じて、人間の熟達について探求する。その他、主な著作は『Winning Alone』『諦める力』など。
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